少しの熱と少しの不安 上
「うおおおおおおグレイス死ぬなよおおお」
「………………………。」
グレイスは………、自身にしがみついて泣き伏せる幼馴染を見下ろした後、無言でその刈上げた後頭部を叩いた。
スパンと小気味の良い音が辺りに響く。
「ちょっとマルコ……!この人どっかにやって下さいません………!?これじゃ治るものも治りゃしやしませんから………」
「…………。ジャン、良い加減グレイスから離れなよ……。あと泣くなよ………。」
「これが泣かずにいられんのか!??グレイスが風邪引いてんだぞ!!」
「いや……。まあ、可哀想には思うけど。」
「これが原因でグレイスが死んだらお前どう「死にませんから!!!良い加減どっかいきなさい、迷惑です!!!!」
マルコが追い出すまでもなく、グレイスの一喝によってはじき出されるように二人は医務室の外に放り出された。
*
「…………気持ちは分かるけど、ちょっと心配しすぎじゃないか………。」
技巧術においてジャンと同じテーブルで作業していたマルコが、イライラとした友人の表情を伺いながら言う。
ジャンはそれに対してひどく何かを言いたげな顔を向けてきたが……堪えて、ひとつ溜め息を吐いてから口を開いた。
「オレだって………。それくらい分かってる…でもな、不安なもんはしようがねえだろ。」
区切り区切り、言葉を探すようにしながらジャンは言った。その背景には、訓練兵たちが作業する音が絶え間なく響いている。金属と金属が触れあう、硬質な音であった。
「………お前はグレイスのことになると仕様が無いな。」
「…………………………。」
「………よく懐いてるよ。」
「べつに懐いてねえよ……。」
「でも好きなんだろ」
「そりゃあなあ………。」
「はいはい」
「んだよお前が聞いてきたんだろ」
不機嫌そうにジャンが言えば、マルコはちょっと肩をすくめてから笑った。
「まあ……。グレイスもジャンが好きだとは思うけど。それにしても、偶には彼女を信用してやったらどうだ。」
「信用って…なんだよ。」
「どう贔屓めに見ても、今のジャンはグレイスに構いすぎだろ。僕はよくグレイスがうんざりしなかったと……いや、充分うんざりしてるか………まあ、お前と根気強くやっていけてると思うよ。」
「だからなんだよそれ。なにが言いたいんだお前」
「グレイスは一応ジャンより年上だし、しっかりしすぎる程しっかりしているじゃないか。そんなに心配する必要もない………、というか、あんまり構い過ぎると良い加減に嫌われるぞ、お前。」
「いやいやいやいやいや、グレイスが俺を嫌う訳ねえだろ。」
「すごい自信だね……。」
まあ、この程度の説得でどうにかなるんだったらグレイスも苦労しないか……とマルコは半ば呆れた気持ちになった。
最初こそ、グレイスがジャンから逃げるのを笑って見守っていたが、ここ最近はその気持ちも分かるような気がしてきた。
ジャンの……グレイスに向かう姿勢は、執着というより執念すら感じるときもある。彼女が日頃からカリカリしているのは、確実に彼の所為もあるだろう。というか今回の風邪もジャンによって体力が消耗させられた結果ではなかろうか…………
「いや………。分かってるんだ。」
ふとマルコの思考を遮って、ジャンがぽつりと呟いた。
がやがやと騒がしい周囲の喧騒を縫って、その声は不思議とマルコによく聞こえた。
「グレイスに迷惑かけてることは分かってるんだ。でも…オレはグレイスに対してどうしようもならねえから…………」
マルコは黙って耳を傾ける。しかし彼の言葉は、マルコに対してかけられているというよりは独り言のような響きを持っていた。
「正直、いつからこんなになったのかは覚えてねえよ。でも…グレイスがオレの傍にいないと不安だし、いなくなっちまうかと考えればそれこそ気が狂いそうなほど辛い。」
「そう簡単に人はいなくならないよ。…………グレイスだって、黙ってジャンの前からいなくなることは絶対ないさ。なんだかんだ言って彼女はお前を好きだから………。」
「どうしてそう言い切れる。」
「なんだ、いつになく自信なさそうだなあ。いつもの厚顔不遜っぷりはどうした。」
「うるせえよ………。」
まあ、なんだ。とジャンは言葉を切った。その手元には、意味も無く分解された機材の小さな歯車があった。
彼の作業は先ほどからまったく進んでいなかった。声色は冷静ではあったが、その心理が非常に不安定であることを、マルコはなんとなく察した。
「グレイスは確かにオレを大事にしてくれてるよ。だがな……これもそれも全部、オレがずーっと好きって言い続けたから…ただ、オレを傷付けたく無いから…そういう同情から来ているんだったら………。その絆は、脆いよな。」
ジャンはついに作業を中断して、机上に散漫に置かれた細かい機材や歯車へと視線を落としてしまった。
辺りは変わらずに人の話し声や作業の音で喧々諤々としている。しかし、ジャンの周りは静かだった。彼がそっと目を伏せるのを、マルコはゆっくりと瞬きをしながら見た。
「オレはずっとグレイスを好きだけど………。なんだ、その。それが噛み合っていないような、漠然とした不安に襲われないこともなくはない………」
そこまで言って、ジャンは口を閉じた。どうやら、作業を再会するらしい。マルコはなにも応えてやることが出来ず、ただ心弱く笑ってみせた。
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