乙女心とワンピース 結

翌朝、グレイスは欠伸を噛み殺しては女子寮から食堂への道を歩いていた。

その道程では、今日も今日とて決めに決めて彼女を待ち構えているジャンと遭遇したが、無視した。


「おい!!!!」

「なんです朝からやかましいですね。」

「無視するなよ。待っててやってんだぞ毎日!!!」

「頼んでませんけど」

「かわいくなさFULL MAX!!!!」


毎度のことながら元気だなあと、周囲は言い争う二人を生温い目で見守る。

グレイスはうんざりした表情で口の中でなにかを呻いたあと、ジャンの耳元で「そりゃ嬉しいですけれど、毎日は恥ずかしいからやめてください…!」と早口に囁いた。


「ほらやっぱり嬉しいんだな、お前オレのこと大好きだもんなあー?」

「その調子の乗りやすさをどうにか、しなさい」

「痛い痛い痛いほっぺた千切れちゃう」

「ええ、千切りますよ?」

「ひえっ」


やがてグレイスはジャンの掌から指先を離し、「冗談に決まってるでしょう」と溜め息交じりに零した。彼女の疲労度合は朝から随分色濃いようである。





「グレイスグレイス。」


ジャンの相手を適当にしながら食堂に入るグレイスの袖を、誰かがふと引いてくる。

ので、彼女は声をかけてきた少女…サシャにぺこりと一礼しつつ返事の代わりに「おはようございます」と述べた。


「おはようございます。ちょっと相談なんですけれど、良いですか。」

「はい、良いですよ。」


ジャンとの水掛け論にうんざりとしていたグレイスは愛想良くそれに応える。彼女の背後にいたジャンは、自分との対応の違いにやや不満そうである。


「とっとと済ませろよ。グレイスはお前のもんじゃねえんだ」

「そして貴方のものでもありませんけれどね」

「何言ってるんだ、オレのもんだろ」

「サシャ、向こう行きましょ」

「はあ!?」


グレイスはサシャの肩を抱いてジャンからの距離を取る。サシャもまた、「それが良いです。なにしろ女の子同士の話なので」と面白そうにした。


「おんなのこどうしだあ?石と芋が何言ってるんだ、っっっっで!?」


ジャンが悲鳴に似た声を上げる。その足はグレイスのブーツによってしっかりと踏まれていた。



「はい、それで用事はなんでしょう?」

幼馴染兼恋人が踞って大人しくなるのを確認すると、グレイスは気を取り直してサシャへと向き直った。彼女の鮮やかなジャンへの対処法に、サシャは若干引いていた。


「いえ…、用事というか。」


なんだかサシャは気恥ずかしそうである。グレイスはひとつ相槌を打って続きを待った。


「次のおやすみに、クリスタとユミル、ミーナやハンナも一緒に街におでかけします…。良かったら、グレイスもどうですか。」

「え…?」


思わぬ誘いに、グレイスは少々驚いたふうにする。


「どうして、急に……」

思わず尋ねれば、サシャはあっけらかんと「それは、私がグレイスともっと話してみたいなって思ったからですよ。」と答える。


「なんだか最近、グレイス優しいので。もしかしたら、仲良くなれるかなって……」


そう言って、サシャはまったく邪気なく笑ってみせた。

あまりにストレートなものの言い方に、グレイスは熱が頬へとじわじわと集まっていくのを自然と感じてしまう。


「駄目に決まってるだろ」


しかし、和やかな雰囲気は足の鈍痛からようやく解放されたジャンの一声で打ち破られる。

彼は自分から離れてしまっていたグレイスの腰のあたりへぐっと腕を回すと、一気に元の位置に引き戻す。少し乱暴な仕草だった為に彼女の口からは小さく声が漏れた。


「一体なんの権限があっててめえらにグレイスを貸さないといけねえんだ。」


不機嫌そうなジャンの様子を眺めて、サシャは呆れたように目を細める。それからちょっと肩を竦めた。


「…………はあ。逆に言うと、なんの権限があってグレイスと遊ぶのにジャンの許可がいるんですか。」

「いるに決まってるんだろ。グレイスに何かあって死んだらどうする。責任取ってくれんのか」

「いつも思いますが……………ジャンのイメージの中の私はどれだけひ弱なんですか。そう簡単に死にませんよ、普通。」


ジャンの腕の中でグレイスがぼやいた。この粘着質までに心配性な幼馴染を本気でどうにかしたいと考えながら。


「まあ……。」


ひとつ、深呼吸。離すようにそっと促して解放されてから、グレイスは再びサシャの元に歩み寄る。

…………朝からこれだけ騒々しい出来事に巻き込まれながらも、なんだか彼女は幸せな様子だった。不思議と笑っている。


「サシャ、誘ってくれてありがとうございます。でも次の休日は先約があるんですよ。」


そう言って、グレイスはジャンのほうをちらと振り返る。「………。偶には、別の人と遊ばないと駄目ですよ。」とサシャは少しだけ食い下がった。


「ええ。でも私、知っての通りあまり人付き合いは得意じゃありません……。大勢だと、なんだか緊張してしまいます。」


言いながら、グレイスはサシャの掌をそろりと握る。彼女の皮膚は柔らかく、意外にも頼り無さげな女性らしい指先だった。


「だから、次の次の休みに…まずは二人で遊びに行きませんか。どこか、一緒に。」


きゅっとサシャの掌を握り直してやりながら、グレイスはこそばゆそうにする。………非常に珍しい彼女の積極的な行動にサシャは少々面食らったようにしていたが、やがて笑って「はい、勿論です」と応えた。



(……………いつの間に仲良くなったんだ?)


その様を首を傾げてジャンは眺めていた。


(あのキツい性格は芋女とは合わねーだろーって思ってたんだけどな。)


………不思議、と思うと同時に若干の………恐らく、本当にちょっとした嫉妬。

自分と一緒にいるときに滅多に見せてくれない柔らかな表情を、こうも簡単に自分以外の人間によって引き出されてしまったのが…悔しかったのかもしれない。



「ジャン。」


ふと声がするのでその方を見れば、すぐ近くまでグレイスが戻って来ていた。


「なにボーッとしてるんですか。早くご飯を食べましょう。」


言いながら、ごく自然な仕草で彼女はジャンの掌を取った。


「…………おう。」


普段は恥ずかしがって滅多に手なんて繋いで来ないくせに、急にこんなことをされると、驚く。

彼は自分からグレイスへのスキンシップを計るのは得意というか生き甲斐だったが、こういう不意打ちには正直弱かった。


「やですね、マヌケな顔。」


グレイスはぼんやりとしてしまっているジャンの顔を見上げて、殊更おかしそうに笑った。

「おやすみまであともう少しですから、頑張りましょうよ。」


楽しみですね、とても。そっと背伸びをして彼の耳の傍で囁くと、グレイスはそのまま歩き出す。それに引かれて、ジャンも歩いた。一歩踏み出して隣に並ぶ。二人の距離は近かった。でも、ジャンは足りないと思った。もっと近くを歩いていたかった。







お母様


お手紙とワンピースをどうもありがとうございました。

早速袖を通す機会に恵まれたので、先日着てみました。

サイズも丁度良く、とても気に入りました。嬉しかったです。


私は元気です。お母様はどうですか。仕事で根を詰めすぎていませんか。

お母様が私を心配して下さるように、私もお母様のことを遂々気にかけてしまいます。

ちゃんとしたものを食べていますか、とか。睡眠は取れていますか、とか。


――――数ヶ月後にトロスト区で、実習があります。

そのとき顔を見に行っても良いですか。

話したいことが、沢山あります。


グレイス


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