十五・夏は往く 上
「おい、グレイス!どこ行った!!」
さんさんと太陽が照りつける真夏の訓練場で、怒鳴るようなジャンの声が響く。
「……………………。」
マルコは、それを茂みの影に隠れつつ……困った顔をして聞いていた。
「……………グレイス。こんなところに隠れていると、あとで見つかった時にまた面倒なことになるよ。」
そしてすぐ隣で葉と葉の間から忌々しげにジャンを睨みつけるグレイスに小さな声で言う。
「面倒なことならもう、しょっちゅう起きてますよ。まったく何なんですかあの人は。
傍に居るとやかましくて、落ち着いて本も読んでいられません。」
「だからと言って……ここまで露骨に避けなくても。幼馴染なんだろう?」
「ただの腐れ縁です。全くもって馴染んでいませんから、そう言うのやめてくれませんか?」
グレイスは心底うんざりした様子でマルコのことを見つめ返す。
夏の日差しが作る黒々とした影の中で、彼女の燃え立つような山梔子色の瞳はよく目立っていた。
「……………あ、くそ。こんなところに隠れていやがった!!」
うまいことジャンから逃げ切れたと踏んでいたグレイスだったが……彼女のこととなると異様に鼻が利くジャンによってその居場所はあっさりとバレてしまった。
彼は元より鋭い瞳を増々凶悪な形に変えながらグレイスに詰め寄る。
面倒なことになる予感を察知した彼女はその場から一目散に逃げようとするが、それは腕を掴まれて適わなかった。
腕力では到底勝ち目がないことは明確であるが故に、グレイスは実に悔しそうにしながら握られた自分の腕を見下ろす。
「お前、オレの許可なくどこほっつき歩いていやがった!滅茶苦茶心配して探したんだぞ!!」
ジャンはそんな彼女に凄むようにして言った。
しかし、グレイスはツンとした態度で「私の行動にいちいち貴方の許可がいるんですか。」と反論する。
「いるに決まってんだろ!オレが目を離した隙に何かあって死んじまったらどうする!!」
「そんな簡単に死にません!どこまで私はひ弱なんですか!!」
早速始まったいつものやり取りを、マルコは呆れたように眺めていた。
…………が、少ししてこの口喧嘩は彼の方にも飛び火する。
「第一マルコ、お前人の女捕まえて何やってんだよ!言っておくけどやらねえからな!!」
「だれがいつ!貴方の女になりましたか!!」
ジャンの言葉に猛然と抗議するグレイス。
マルコはもう、どうにでもなってくれと思って溜め息を吐いた。
「まあグレイスも………………。
本を読むくらいならジャンの傍だって良いじゃないか。毎度こうやって揉め事を起こすよりはよっぽど体力を使わなくて済むと思うよ?」
マルコは場を収束させようと助言めいたことをしてみる。ジャンもまた、よく言ったというように大きく頷いた。
しかし……グレイスはその提案は不服だったらしい。
「だからと言って四六時中一緒なのは勘弁して欲しいです。私にだって、一人になりたいときくらいありますから。」
と、相も変わらず不機嫌そうな声色で言う。
「はあ?じゃあお前がオレの傍から離れてる時、オレはどうしてれば良いんだよ。」
「そんなの知りますか。というか良い加減、手を離して下さいよ……!」
「だって離したらお前逃げるだろ。」
「当たり前じゃないですか。」
「何でだよ。」
「貴方が追いかけてくるからです……!しつこい男は嫌われますよ。」
「別にオレはお前に嫌われてなきゃそれで良いよ。」
「誰が嫌ってないと言いましたか。」
「じゃあお前はオレが嫌いなのか?」
「なんでそういうことになるんですか……。そんなこと、一言だって言ってませんよ。」
「ということは好きなんだろ。」
「思考が短絡的過ぎます……。別に嫌いじゃないからと言って好きなわけでは「オレはお前のこと好きなうえに愛して「貴方のことは聞いていません!!!」
グレイスは大きな声をひとつ張り上げてはジャンの言葉を遮った。
だが、ジャンの言ったことはしっかりとグレイスの耳にもマルコの耳にも届いてしまっていたので………もう、彼女はただただ赤面するしかなかった。
「まあ、なんだ…………。」
硬直してしまった場に、マルコのこほん、という落ち着いた咳払いが響く。
「ジャンはもう少し落ち着いて、相手への気遣いを忘れずにことを運んだ方が良い。
グレイスはあとちょっと素直になって、自分に嘘はつかないことだ。」
両者の肩をポン、と叩きながら冷静に零されたマルコの言葉に、グレイスの頬を染めていた朱色は更に色濃くなっていく。
「…………わ、私。マルコが何言ってるのか、よく、分かりません。」
しどろもどろになりながらようやく言うグレイスを、へえ…と横目で眺めながら、マルコは「………グレイスって、頭は良いけれど割と馬鹿だよね。」とのたまってみせる。
「だっ、誰が馬鹿ですか!!」
そして彼の簡単な挑発にあっさりと乗っかってしまうグレイス。
こういうことになると面白いくらいに彼女は単純になるな、とマルコは若干感心してしまった。
「じゃあ……ジャンのこと好きなのか嫌いなのかきちんと言ってみなよ。
馬鹿じゃないなら、それくらいは分かる筈だよね?」
マルコによる突然の、なんとも痛いところをついた質問にグレイスは思わず目を見開く。
…………それから、ちら、とジャンを眺めては先程の勢いはどこへやら、ぴたりと口を閉ざしてしまった。
もう、耳まですっかり色付いてしまったその様子は、見ているのが可哀想になってくるくらいである。
「それは…………好きか嫌いかって言われたら…………。………………。」
しばらく経って、本当にか細い声がグレイスの口から零される。
それを見守る二人は固唾を飲み込んだ。
「……………………。もう!!知りません!!だから離してください!!!」
……………が、グレイスは答えることはなく、火事場の馬鹿力とでも言うべくパワーでジャンの腕を振りほどく。
そしてあっという間にそこから駆け出してしまった。
「ああっ、こら待て、逃げんじゃねえよこのハナクソ女!!」
一拍反応が遅れはしたが…逃げられたと分かると、ジャンは鉄砲玉のようにそれを追いかけ始める。
「私の両親から頂いたチャームポイントによくもまあ難癖をつけてくれましたね!?取り消しなさい!!」
グレイスは走るスピードは緩めずにそれに言い返した。
「ああ、確かにチャームポイントだな!すげえ可愛い!!やべえよ!!!」
ジャンもまた走る速度を上げつつ怒鳴るように言う。
「何言ってるんです!?馬鹿ですか!!??」
「言われて嬉しいんだろ?照れんなよ。」
「照れてませんから!!貴方ほんとにムカつきますね!!
もう絶対待ちません!!!意地でも捕まりませんから!!!」
二人は言葉の豪速球のやり取りを辺りに残響させながら瞬く間に見えなくなっていってしまった。
そんな彼等の背中を見送りながら、マルコはもう……本日何度目かになる溜め息を吐く。
(それにしても………。)
額に手をかざし、彼は空を仰ぎ見た。
その日はとみに太陽が元気で、日差しは暴力的と言っても良かった。
茶っぽく青い樫の梢から見える高く澄んだ青空を眺めると、変なほど雲がない。
いかにも気持が良い空の色だ。はっきりした日差しに、苔の上に木の影が踊っている。
マルコはそっと目を細めて、微笑んだ。
まあ……あの二人も、じきに落ち着くところに落ち着くだろう。
ジャンはもとより、グレイスが彼のことを好きなのも、周囲には丸分かりなほどなのだから。
「ジャンもそこまで焦る必要、無いのになあ………。」
気持ちは分からないでもないけれど。
マルコの呟きに重なるように、低く蝉が鳴いた。
彼はもう一度空を見上げたあとに、訓練場内フルマラソンに興じて大層喉を渇かして帰ってくるであろう親友たちの為、何か飲み物を用意しておいてやろうかな……と考える。
そしてその場から静かに立ち去っていった。
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