十五・夏は往く 下

「なあグレイス。結婚したら子供は何人が良いかな。」



少しそのままでいた後に、ジャンが呟くように尋ねる。



「気が早過ぎますよ………。急に何言い出すんですか。」


「オレ兄弟いなかったからわいわいした賑やかな家って憧れるんだよ。最低二人は欲しいよな。」


「だから気が早過ぎますから………!人の話聞いてますか!?」



グレイスの顔はぴったりとジャンの胸板に押し付けられている為にその表情は伺えなかったが、腹の辺りを……照れ隠しらしい……弱々しく殴ってくる辺りから、またしても耳まで真っ赤にさせているに違いない。



「ああ、でも良かった………。すごい………、すげえ嬉しいよ。」


しみじみとしたジャンの言葉を聞いて…ようやく緩んだ腕の中、グレイスはもぞりと動いて顔を上げた。


予想した通りにその顔は木陰にいながらも充分に分かるほど、綺麗な朱に色付いている。



至極近い顔の距離に、ジャンはこのままキスしちまおうかな……といったことをぼんやりと考えた。


…………が、彼が行動を起こす前にグレイスの方がゆっくりと顔を近付けてくる。



突然の積極的な彼女の行為に、ジャンは思わずたじろんでしまった。


しかし、グレイスはジャンの首筋に顔を埋めただけで、何もしてこなかった。



そして、本当に短い言葉をもう一度言う。


やがてグレイスはまた顔を離し、「さあ…もう一回言ったから、離して下さいね。」と囁いた。



ぽかんとしてしまったジャンのことをグレイスはじっと眺める。


それから安心させるように微笑みながら、「大丈夫。逃げませんよ。」と続けて言った。



……………ジャンは何だか一気に脱力してしまい、そのままへなりとして彼女の身体にのしかかる。



「ちょっと………。重いですよ。」


グレイスは不満げに呟くが、もう嫌がる様子は見せなかった。どうやら腹をひとつくくったようである。



ジャンは……約束通り腕を離してやらないと……と頭の隅で思ってはいたが、どうもそれは惜しくてもう一度抱き締め直してしまう。


すると後頭部の辺りを軽く叩かれる感覚がした。



「こら……。そろそろ離してくれないと、次の訓練に遅刻しちゃいます。」


グレイスは叩いたついでとでもいうように、ジャンの頭をそっと撫でる。


心地良い感覚にしばし目を細めるが……ようやく、渋々とではあるがジャンは身体を離して起き上がった。


その際に、グレイスに手を差し伸べて体勢を整えるのを手伝ってやる。



「………さあ、行きましょうか。」



彼女は、先程の慌てようもどこへやら……何処か清々しげに言って立ち上がった。


グレイスに軽く腕を引かれるので、ジャンもまた地面に足をつけて立つ。



未だにぼんやりとしてしまっているその様子を見て、彼女はくすりと笑った。


そして少しだけ背伸びをして彼の髪にそろりと触れる。



「ほら、葉っぱがついてましたよ。」


彼女は青い葉を一枚こちらに見せてから、風に乗せて流した。


ひらひらと二、三度回転しながらそれはどこかへと運ばれていく。



自分の肩口についてしまった葉も軽く払って、グレイスは歩き出した。


その後ろにジャンも従う。



「グレイス………。」



一歩踏み出して隣に並んだジャンは、彼女のことを呼んだ。


グレイスは彼の方は見ずに返事だけする。



「手、繋いでも良いか………?」



ジャンの言葉に、グレイスは少しだけ照れたようにしては…彼の方をちら、と見上げた。


それから無言で手を差し出す。


握ってやると、しっとりと汗ばんだその手は熱かった。



「………恥ずかしいから………、みんなのところに戻るまでですよ。」


グレイスは小さく呟いて握り返してくる。


ジャンは頷いて、そのまま並んで歩き続けた。



太陽に照らされた平野の上には、熱と湿気とを吸い込んだ空気が瓶の底のおりのように層積している。


でも、時折思い出したように吹いてくれる風は心地良かった。


今年の夏も、暑い。



「ジャン。」



唐突に、グレイスが口を開いた。


ジャンはなんだ、と言って彼女のことを見下ろす。



グレイスの山梔子色の瞳は、相変わらず真っ直ぐに前を見つめていた。


そしてそれが僅かに、優しい形を描いて細められる。



「ありがとうございます。」



それだけ言って、彼女はまた口を閉ざしてしまった。


ジャンは少しの間グレイスを見下ろし続けるが、やがて彼女と同じように前を見据える。



目に飛び込んでくる景色はどこまでも明るく、全ての濁った色の彩は影を潜めていた。

そして鮮やかな色ばかりが樹と空と草とをめまぐるしいまでに染めて、その全てを太陽の光が包みこむ様に射している。



ジャンはどういう訳か胸が締め上げられるように苦しくて、このまま右手の先にいる彼女をどうにかしてしまいたい衝動に駆られるが……深呼吸をして、それには気付かないふりをした。



(大丈夫だ。時間は沢山ある………。)



きつい日差しを避けつつ木陰を選んで歩いてはいたが、それでも暑いことに変わりはなく、空は燦々としてどこまでも青空で、樹々に繋がれた葉はふっさりとして青い。



(焦らず……慌てないで、ゆっくりと。)



そう思って、すっかり手汗に塗れてしまっているグレイスの掌を握り直す。



二人は無言のままで歩を進めていった。


しかし合わさって握られた掌の力は互いに強くなる一方である。



通りかかる茂みでは山梔子が微かな風に吹かれて、ほろほろと白い花を落とすのが見える。



それは光に真っ直ぐに照らされては、多くの葉に埋もれながらも浮かび上がるようにして咲いていた。



沈む山梔子  完




お付き合い下さり、どうもありがとうございました。
貝20141031


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