三十五・星の声 中

どのくらい経っただろうか。



視線を感じてその方を見ると、すぐ隣でグレイスがじっとこちらを見上げていた。



「……………なんだよ。」



尋ねれば、グレイスはこちらにそっと腕を伸ばす。


それを見守っていると、やがて彼女はオレの髪に触れてそこを優しく撫でた。



「白髪が………、と思いまして。」



そのこそばゆさに目を細めたのも束の間。

彼女の言葉に苦い心持ちになって、思わず目元を片手で覆ってしまった。



「……………何本ある。」



低い声で尋ねれば、「五、六、七…………、今分かるのはおよそ十二本ですね。」という事も無げな答えが返ってくる。



「なんてこった………。」



そのままで唸るように言えば、グレイスは小さく笑った。



「大丈夫ですよ。そんなに目立ちません。」


それにちょっと白髪があったほうが貫禄も出て良いんじゃないでしょうか、というよく分からない慰めをされる。


…………オレは、沈んだ気持ちのままグレイスのことをちら、と見た。



彼女の髪は、当たり前だがずっと変わらずに艶やかで真っ直ぐなままだった。


勿論白髪の一本も見つけることは出来ない。



なんとなく……………一房手に取り、眺める。


ランプの橙の光が反射して、きらきらと光っているみたいだった。



「お前は良いよな………。」



そう呟けば、「不自由もそれなりにありますよ。」と返された。



グレイスの髪から手を離すと、さらさらとしながら元の場所へと戻っていく。


……………何か、楽器の弦みたいな。その一本ずつに意味があるのではないか、なんて。そんなことを。…………。



長時間同じ姿勢をしていた為に、身体の節々が痛んだ。軽く伸びをすると関節がぱきりと鳴る。


……………三十過ぎてからだろうか。自分にも年波が寄りつつあることを、しみじみと感じさせられる機会が多くなったのは。


そしてそれと相反するようにグレイスはかつてよりずっと若返って……むしろ、幼くなっているようにも思える。


いや……違うな。単にオレが年を取って、そう見えているだけなんだろう。



……………グレイスの足は地面につききらず、白い爪先が床に敷かれた絨毯すれすれでゆらゆらと揺れている。


なんとなくその様を眺めては頬杖をついて、「…………流石に二十才差って、やばいか?」と呟いてみる。



気付けば、想い合うには犯罪の臭いがしてくるほどに……オレ達の生きてきた年月は隔たってしまっていた。



「そうですね。娘と父親と言っても、端から見たらおかしくはないでしょうからね。私たち。」


まあ、見れたらの話ですが。とグレイスは面白そうに言う。



「む、娘と……父親。」


確かにそれはそうなのかもしれないが、直球に指摘されると若干ショックであり……オレはそこまでは老けていないと、声を大にして主張したかった。



「でもそんなこと、心配する必要はないですよ。」



先程から落ち込み放しのオレの肩を、グレイスが励ますようにポン、と叩く。



「貴方が何才になっても……私たち、年齢はひとつしか離れていないんですから。」



彼女が言ったことの意味を……オレは少しの間考えた。


深夜の闇の中にある僅かなもの悲しさが、肌に沁みてくるのを感じる。

そして窓の外はやはり美しい星空が広がっていて、その下では沢山の兵士たちが眠っているのだろう。



「それもそうか…………。」


やっと一言そう零して、細く長く息を吐いた。



「そうですよ。」


グレイスは何故か嬉しそうにそれを肯定する。


柔らかで安らかな笑顔だった。つられるようにオレも笑う。



「なあグレイス…………。もうちょっと傍に来てくれ。」



オレの言葉に従って、グレイスが椅子を少しずらして近寄って来た。



「…………もう少し。」



彼女はオレの言う通りにする。それをもう一度繰り返すと、二人の間の距離はすっかり無くなってしまった。



「これで良いですか?」


彼女の質問に、ようやく首を縦に振る。


そしてすぐ近くまできた彼女の頬に触れてから、ゆっくりと唇を合わせた。



毎度のことながら、その行為はすごく冷たかった。


でも、もう一度する。グレイスはオレが満足するまでずっと付き合って、ただ応えてくれていた。







時計の針が二時をまわった頃……オレはペンを置いて、ほうと息を吐いた。


…………グレイスは相変わらず隣で、黙って本を読んでいる。



ランプの周りではどこからか迷い込んだ白い羽虫がよろめくようにして飛んでいた。



「………グレイス。」


彼女の名前を小さく呼ぶと、グレイスがこちらを見る気配がする。



「仕事、終ったから………少し散歩でも行くか。」


付き合ってくれるか、と聞けば彼女はこくりと頷いた。



「勿論構いませんが……休まなくて良いんですか。」


「ああ。なんだか目が冴えちまって。」


それに今は、寝るのが何だか勿体なかった。


その言葉を飲み込んでグレイスの方を見る。暗がりの中で、彼女の山梔子色の瞳はよく目立っていた。


それが細められる様はとても綺麗だと思う。好きな表情だった。



「分かりました。………じゃあ、ちょっと待っていて下さいね。」



行くと決まると、グレイスはどこかわくわくとしては地面に足をつけて立ち上がる。


そしてオレの返答を待たずに、また扉の向こうに消えていってしまった。



か細く小さい後ろ姿を見ながら………ふいに、娘がいたら……確かにこんなものなのだろうか、という感慨が湧いた。


もう、オレは…オレたちは、子供を授かる時は永遠に来ないが……想像するのは、自由だろう。



椅子の背もたれにゆっくりと寄りかかって、目を閉じる。


それから、妄想とも言うべきことを瞼の裏に思い描いてみた。



……それはとても、幸せな時間だった。

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