二十五・告白 結
トロスト区から帰る合間に日は傾いていき……とっぷりとした茜色の夕日が馬車の中に差し込んでいた。
隣にいるグレイスの身体もその光に浸されて、綺麗な夕焼け色に染まっている。
どうやら泣き疲れてしまったのか、非常にくったりとしていたので……肩を貸して休ませてやった。
…………真っ直ぐな髪が僅かに肩にかかるのが少しこそばゆい。
馬車の中はまるきりの無言だった。
そっと肩を抱くと、少し身じろがれた後にほう、という溜め息が聞こえる。
そのままでじっと馬車が道を往く音に耳を澄ましていると、やがて街に差し掛かった。
…………ここまで来れば、調査兵団の公舎までは後少しだ。
様々な商店が並ぶ通りをゆったりと過ぎる途中、ふとある店が目に入った。
いつか……グレイスと共に入った服屋の近くである。
相変わらずここに並ぶ店は華やかで……ショーケースの中身の眩しさが、今さっきまで飾り気の無い故郷にいた身としては随分と応えた。
それを見ながら、且つて約束を交わした時にグレイスに手渡したものの存在を思い出した。
……………あれは、きっととっくの昔になくなってしまったのだろう。そういうものだから。
馬車を停めるように御者に言う。言われた通りに徐々に減速しては、停まった。
グレイスが首だけ動かして、不思議そうにこちらを見上げて来る。
彼女の青白い掌を手に取って、少しだけ観察した後に……その耳元で「待ってろ」と小さく囁いた。
何か言いたそうにグレイスは口を開きかけるが、それを待たずにドアを開け、タラップを踏んで外へと出る。
街に降り立つと、そこは燃えるような茜色の世界だった。
何もかもがとっぷりと黄金のような赤に染まっていて美しいと思うと同時に、何故かもの悲しかった。
少しだけその様子を観察したあとに……オレは人が行き交う往来へと、足を踏み出して行った。
*
用事を済ませて帰ってくると、グレイスは瞼を軽く閉じて座席にもたれていた。
すっかり五体の力は抜けて、安らかな表情をしている。
…………寝ているのかと思ったが……違うんだろうな、と考え直す。
こいつが眠れるのは夏の終わりのほんの数日だけで、あとは眠らないし眠れないんだったっけ………。
隣に腰を下ろすと、やはり起きていたようで……そろりと瞼が開かれる。そして長い睫毛に縁取られて澄んだ瞳が現れた。
馬車が、ゆっくり進み出した。
それに合わせるように、オレたちはおかしな風に身体を揺らす。
グレイスはオレが隣に戻ってきたことに安心したようで、また身体を預けてきた。
しばらくそのままで………心地良い体重に感じ入る。
それから先程したように彼女の手を取って、今しがた手に入れたものを握らせてやった。
…………子供の頃に渡したものは、植物で作られたものだったから……おまけに、ひどく不器用だったオレの手で……長くは、保たない。
これもそこまでちゃんとしたものでは無いが、あれよりは幾分マシだろう……。
約束を果たして、それをこれからも守っていくんだ。
それの、ケジメのようなものが必要だと思う。だからもう一度、グレイスに贈ろう。そう思った。
グレイスは自分の掌に収まったものをしばらく見つめていた。
真新しくよく磨かれた銀でできていたので……真っ赤な夕日を反射して、燃えているみたいに光っていた。
グレイスは繁々とそれを観察したあとに、そっと身体を起こしてこちらを向く。
優しく笑いかけてくる表情を久々に見た気がして、オレも笑い返した。ちょっと、照れながら。
彼女は小さな声で、「渡すだけじゃなくて、ちゃんとはめてくれなきゃ嫌ですよ。」といたずらっぽく言いながら指輪を返してくる。
……………渡されて、それを眺めて。何だか、はめてやるという行為がひどく気恥ずかしく感じたが、断る理由はどこにも見当たらないので、彼女の左手を取った。
薄く色付いている爪の先からゆっくりと、それから青白い指へと通していき……やがてはめおわって、小さく息を吐く。
「………ちょっと、ゆるいですね。」
グレイスは、自分の薬指におさまった銀色の指輪を眺めながら零した。
「見ただけじゃ、やっぱりサイズは合わなかったか………。」
オレはその掌を取ったままの姿勢で苦笑する。
徐々に夕日は沈みつつあるらしく、馬車の中は薄暗くなっていった。その中で指輪は静かに光っている。
「でも、綺麗ですね……。」
すごく、と付け加えてから……グレイスはオレに礼を述べた。たった一言だったけれど、とても嬉しそうに。
…………一方オレは、ずっと触れているというのに一向に温くならないグレイスの掌にもう片方の手も沿えて、両手で握るようにした。
すぐにオレの体温は奪われてしまい、しんとした冷たさが指先から伝わってくる。
「相変わらず、冷てえな………。」
そう呟けば、グレイスは仕方無いですよ、と笑う。
「本当……、冷たい、冷た過ぎるよなあ……。」
しみじみともう一度言うと、対照的に熱いものが頬を伝っていくのが分かった。
それが滑り落ちて、グレイスの手の甲をひと雫濡らす。
こんなに火傷しそうなほどに熱い涙も、きっとグレイスの身体に触れた瞬間に冷めてしまうに違いない。
それを思えば、涙は止まらなくなっていった。
無言で、けれど止めどない感情を抑えきれないオレの背中を、グレイスがゆっくりと擦っている。
どうやら今度はオレが、子供の様に慰められる側らしい。
薄紫色になりつつ空の下で、一定の速度で黒い馬車が行く。馬が二頭、御者がひとり、乗客はきっとひとり。
その中では静寂が広がるのみだった。
長く触れているうちにすっかり冷えきってしまい、感覚も無くなってしまった掌も気にせずに……
オレはグレイスの紙みたいに色を欠いてしまった左手を、ずっと握りしめていた。
その薬指では、銀色の指輪が変わらない静けさで光っていた。弱々しく、澄んだ色で。
[*prev] [next#]