二十五・告白 上

歩いていくと大きな……切り株が現れた。

すっかり、且つての大樹の面影は無くなってしまっている。



だが目を細めて見ていると、だんだんと思い出してくる。



この木の下で、よく待ち合わせをした。

家に直接行っても良かったのだけれど、ここで会うのが……何だか秘密の会合とでも言うのか、とにかく特別な感じがして、お互い好きだったのだろう。



近付くにつれて、穴あきチーズのように隙間だらけだった記憶が少しずつ埋まっていくような感覚がした。



日光が真っ直ぐに差し込んでいる楠の切株の先、少しした所は木の蔭で薄暗いが……それから向こうは畑いっぱいに光が行き渡って、山梔子の花が際立って白い。



茹だるような暑さの中でそれを見渡し、またもう一度切り株を見下ろし……幾年の歳月を、感じる。



あんなに巨大に覚えた樹が、今はこんなに小さく……苔や湿草まみれの姿になって。



そっと目を閉じる。風がなくて、蒸し暑い。肌がちりちりと焦がされていくような気がした。



オレは……確かに、言ったんだ。この樹の根元で。



あのときは、約束だと……将来に渡ってそれを守り通そうと……心からそう思っていた。



でも、オレはあっさりとそれを忘れた。本当に、簡単に。



幸せな子供時代は終って、オレたちは常に新しい困難に向き合わなくてはならない。



生き辛い世の中に揉まれているうちに、大切にしていたものも……忘れて、なくしてしまうものなのだろう。



(いや……………。)



忘れないものも、あるに違いない。



もしくは、忘れてしまっても思い出すことはきっとある。



「なあ……。そうだろう、グレイス。」



呼びかけながら、目を開いた。



時刻は、ちょうど昼を数時間ほどまわったところ。



一日で、一番暑い時間帯だった。



真っ白い光に晒された草原の中でただひとつ、燃え立つような山梔子色を目にした。



…………さっき見たのと、同じ色だ。


でも……少し違う。


そうだな、左の瞳の下に、ひとつ、黒子があるところとか。


瞳の色の激しさと対照的に、ぽつりと静かに、そこにあった。



切り株に腰掛けたグレイスはいつもの白くて袖のない下履き姿で、両手をきちんと膝の上にそろえている。



あらわになった腕や首筋は相変わらず色をなくしていて、けれどふっくらと柔らかそうな皮膚だ。



膝を隠した裾が、脛のあたりで少しだけ揺れている。おかしいな。風もない筈なのに。



その光景を眺めながら……グレイスには白が似合うな、と思った。



赤でも青でも灰色でも無い、混じりけの無い白。



彼女にぴったりだと思う。



「……………ずっと、いたんだろ。」



オレの傍に、という言葉を飲み込んで静かに尋ねた。


あれほどやかましかった蝉の鳴き声も、今は水を打った様に静かだ。


…………でも、暑い。すごく暑かった。



「いつから、気付いていたんですか。」



五年ぶりに聞いたのにも関わらず、まるで昨日と変わらないような声をしている。


少し低くて、穏やかだ。



「…………思い当たったのは、遂さっきだ。お前のお袋さんと話していたとき………」



答えながら、グレイスの真っ直ぐな髪を一房掌に取る。

しかしそれはすぐに指の間を通って、もとの場所へと戻っていってしまった。



「でも、考えてみたら当たり前だよな。
オレがお前を忘れたら傍にいれなくなるってことは、裏を返せば……オレが忘れない限り、お前は傍にいられるってことだ。」



グレイスは、黙って聞いている。

山梔子色の瞳が細められ、そっと続きを促した。



「………お前はオレに、未練たらたらに決まってるもんなあ………。
可能な限りは一緒にいてくれるって、………そう思ったんだ。」



言い終わると、グレイスはふっと唇の端を持ち上げる。………そして、笑った。



「随分と、自惚れ屋さんですね………。」



それにつられて、オレも笑う。



「でも、そうなんだろ?」



そう尋ねれば、グレイスはいよいよおかしそうにする。きっと、図星なのだろう。



ひとしきり笑い合ったあと、オレ達は互いをじっと眺め合った。



…………五年。



この歳月、思い描いて仕様が無かった瞳に、髪に、肌だ。


もしも再び出会ったら、まず何をしようか……オレはいつも考えていた。


………強引なことをしたら、きっと怒る。けれど果たして我慢できるのだろうか……、なんて。



でも、今ここにいるグレイスを前にして、何をしたら良いのかよく分からなくなっていた。


辺りの景色と同じように、オレの頭の中も真っ白だった。


けれど幸せだったと思う。それだけは、確かだ。

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