二十五・母 中

そしてオレは、彼女の人生というものを考えた。


…………年は、恐らくオレの母親よりも随分と若い筈だ。


しかし、今はその面影はない。


疲れて、草臥れはてて。壮年の筈なのに、老婆にしか見えなかった。



…………まだ、娘とも言える年の頃にグレイスを産み、そして人生で一番幸せな時期に信じていた人間に裏切られた。



色々なものを恨んだに違いない。それでも、グレイスとこの街で生きていくことを選んだ。



ただ………それは彼女にとってとても辛いものだったのだろう。



身体を壊して、様々な職を転々として。



真面目な性格故に誰にも頼ろうとせず、逃げ場をどんどん失って……自分の生き方や喜び、全てを犠牲にしても…ただ、グレイスを幸せにしたかった。



それだけの、人生だったのだろう。



『ジャン……………。』




その時………ふと、ある風景が頭を過った。


ある日の、夕焼けが差し込む教室だ。


最近めっきりと話しかけて来なくなったグレイスが、恐る恐ると言った体で、オレの服の端を掴んで呼び止めた時のことだ。



『ジャン………。お母様が最近、とても疲れてしまっています。何か元気になってもらえる方法は、無いでしょうか…………。』




あの時、オレはなんて答えたんだっけ。


すっかり顔色を悪くしてしまっていた奴に向かって、言った言葉は。



『バカ。お母様お母様って、お前何才になるんだよ。ガキみたいで恥ずかしくはねえのか。』




そして、思い出した。


あの時、オレは陰気なグレイスがただうっとうしくて仕様が無かったことを。



あんなに仲良く、一緒だった筈なのに。


オレが泣いてしまったり落ち込んでいたとき、不器用ながらも懸命になぐさめてくれたことだってあった。


腹を立てて虐めてしまったときや喧嘩したときも。次の日には言い出しにくそうに謝ってくれた。あいつが悪く無いときだってあったのに……。


それすらも全部忘れて、オレはただ一言そう言ったんだ。



グレイスは、オレの言葉をどう思ったのだろう。



悲しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。何も感じなかったのだろうか。



でも、とにかく。あの時オレが優しい言葉のひとつでもかけてやれば、少しでも親身になってやれば。



……………何かが変わっていたのかもしれない。



あんなに沢山の喧嘩も、悲しい別れも無くて、もっと違った幸せな未来があったのかもしれない…………。



心の中にひと雫落とされた後悔の念が、じわじわと急速に広がっていく。



それを紛らわすために紅茶を飲もうとカップの取手に指をかけるが、震えてしまってうまく掴めなかった。

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