二十五・未来の道は過去に続く
また、夢を見た。
とても悲しい夢だった。でも、どんなものか思い出すことが出来ない。それがひどくもどかしかった。
トロスト区へと向かう馬車に揺られながら、オレはうっすらと瞼を開ける。
…………ゆっくりと流れる窓の外の景色が視界に入った。
もう故郷の街は近いようで、段々と懐かしい賑わいをそこに形作り始めている。
高い建物が遠くに見えて来た。時計台である。
それが近付いてくると、もうトロスト区に差し掛かった証拠だった。
塔の上の大きな時計のガラスには日の光がさして、ちょうど反射している。その所為で時刻を読み取ることはできなかった。
池に臨んだ裏通もイチイの並木の一株も残らず切り倒されてしまったらしい。
池と道路との間にあった溝は埋められて、新たに広い街路が開通していた。
この溝には且つて小さな橋がいくつもかけられていたのだが、今は影も形もない。
景色の移り変わりが激しいのが城壁都市の特徴であり、当たり前のことなのだが……少し、寂しくも感じる。
だが、風景が異なってもここはオレの故郷だ。
且つて嫌と言う程見慣れては飛び出した、あの場所なんだ…………。
オレの家に至る道は川沿いで、細く馬車が通りにくいので……もうここで良いと言って降ろしてもらう。
心ばかりに料金をはずんで、ここまで自身を持って来てくれた馬車を少し見送った。
……………季節は初夏真っ盛りだった。
懐かしい匂いが、沢山する。
手を繋いで、そこから汗が滲むのも構わずにこの道を沿って、ずっとずっと走った。
どこまでも永遠に続いているように思えた石畳を一歩ずつ歩けば、その時の気持ちを少し思い出した。
傍を流れる河は………今は少し濁ってしまっているけれど、オレ達が互いを真実に思い合っていた時代は打てば鳴る程に澄んでいたんだ。
そこでよく遊んで、沢山笑った。………奴の笑った顔がその後何年も見れなくなってしまうとは知らずに、心から無邪気に過ごしていた。
混じりけ無い夏の日差しの中、一歩、また一歩と思い出に近付いて行く。
全ての幸せな記憶の中にはグレイスの姿があった。けれどそれに気付くことが出来ないまま、本当に長い間、ずっと…………
遂に、オレは一軒の家の前に立った。
この家だけは変わらない。………温かで優しい時間を包み込んだ、自分の家。
とても安らかで、それでいて泣きたい気分になった。
手を伸ばして、古びたドアノブを握ろうとするが、やめる。
……………今日、今。ここに訪れたのはオレの家に帰るためではない。
そしてゆっくりと、そこからほんの少し歩けば辿り着く、小さく静まり返った家へと視線を移した。
生活感が、全くしない。しんとした家だ。きちんと整備はされているのに、まるで廃屋の様に虚ろな空気を纏っている。
隣の自分の家とは……まるで対照的だった。
そっと踏み出して近付き、扉の前に立つ。
…………緊張した。
そう言えばそうだ。オレは彼女の母親が、結構苦手だったんだ。
笑わず、驚かず、必要なことしか口にせず。いつも睨む様な目をしていた。
それに見つめられてはどうにも身体がすくんでしまっていた事を思い出す。
深呼吸を小さくして、遂に扉をノックした。
分厚い樫の古木を使用した扉だ。乾いた音がよく響く。
…………少しして、中で人が動く気配が微かにした。やがて扉が軋んで外側へと開かれる。
姿を現した人物が、一瞬誰だか分からなかった。
随分と………痩せてしまっている。そして顔の皮膚にはありありと、且つて目にした時から十年以上の歳月が皺となって刻まれて、哀れに思えた。
しかし、眼光は相変わらず鋭い。
落窪んでしまった眼孔の中でもそれは燃え上がるような山梔子色をこちらに投げ掛けていた。
それを見て、当たり前だがこれが誰なのか、思い出す。
そして、親子揃ってなんて瞳をしているんだ、と心の中で毒吐いた。
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