十・やがて忘れてしまう 中

家の中で深い色をしたテーブルの上には、昨日と全く変わらない姿で布がいびつな盛り上がりを形作っていた。



……………白い布の端をそっと摘んで、捲ってみる。



やはりそこにはレープクーヘンがいくつか同じ様に鎮座していた。



絶望する覚悟はしていた。………けれど、やはり辛い。



(ひとりで食べるのは、悲しい………。)



誰かにあげようかと思ったけれど、私にはそこまで親しい人がいないことに思い当たる。



いや……。いることにはいるのだが、どうにも最近勉強に追われるうちに、疎遠になってしまった。



(ジャン………。)



その時に思い浮かんだ、幼馴染の顔。



そうだ、彼。小さい時からずっと一緒のあの子。



今日のお詫びもこめて渡したら、食べてくれるかもしれない。


そして更に言えば、また前みたいに仲良くなるきっかけに、なるかも…………



私は皿に盛られたもののうち五つを布で包み、淡い希望を抱いて隣の家へと足早に向かった。







ジャンは、留守だった。



おば様に言付けても良かったのだけれど、私は今どうしても彼に直接会って話がしたかった。



色々な不安とか、辛い気持ちが少しずつ澱の様に溜まって悲しいけれど、ジャンと話すことができればきっとそれもおさまる。



ジャンは昔から私にとって不思議な存在だった。



一緒にいて、どうしてか苦しくなったりもするけれど、それ以上に。………………。



歩いて、とにかく歩いて、斜陽の街の中で彼の姿を探した。



胸の中に、白い包みをしっかりと抱えて。



見慣れたあの姿が見えないだけで、賑やかな筈の風景も何故か寂しく感じた。



空き地、お菓子屋、路地裏、男の子たちの遊び場になっている廃屋………



彼が行きそうなところをひとつずつ確かめて行く。



けれど、どこにもいない。



日が傾いて行くに連れて心の中の不安は増した。



果物屋、石畳の道を一本ずつ踏みならすように、時計屋の角を曲がって垣根の隙間を、すれ違う猫に思わず彼の居場所を尋ねてしまいそうになりながら、



中々、見つからない。



空の色は一日で最後の、一番強い橙色の光を地面へと投げ掛けている。



皆、夕日に染まっている。



金物屋の先に繋がれた白い犬も、すれ違う老婦人の薄いストールも、遠くを歩く仲睦まじげな夫婦の頬も。



けれど、私だけ灰色のまま、何にも染まれていないような。



そんな不安定な気持ちがして、歩く速度を速めた。



…………どうしようもなく寂しい。ひとりは、嫌だ。ジャンに会いたい。



ぐるぐると、思考と一緒で歩く道も堂々巡りになってしまっていたようで……気付くともとの場所、自宅の近くにまで戻って来ていた。



…………河が、蒸し暑い空気の中で涼やかな音色を奏でて流れている。



それにしばらく耳を澄ましていると何だか泣きたくなった。首を振って涙を堪える。



青い水に臨んだ山梔子が初夏の柔らかな風に吹かれて、ほろほろと白い花を落としていた。それも今やはっきりとした茜色に染め上げられている。



…………ぼんやりと眺めていると………どこからか、話し声が耳に入った。



とても楽しそうで、聞き覚えのある大好きな人の声。そして綺麗で可愛い、錫を転がしたような声。



ふたつを同時に聞いた時、私は全身の血が凍り付くように思えた。



心臓は浅く鼓動を刻み、最早息をすることさえ困難だった。



こちらに向かってくる…………!隠れなくては………………!!



急いで大きな楠の幹に自分の身を隠した。そして、そのままやり過ごそう。



声はどんどん近付いてくる。………私は耳を両手で塞ぎ瞼をぎゅっと下ろして唇を噛んだ。



泣きたい気持ちは最高潮に達している。泣くな、と自分を叱りつけながらしゃがみこんだ。



夕日が舐める様に自分の身体を照りつけるのが分かる。

けれど、まだ灰色をした洋服に包まれた私の身体は茜色に染まることができない。

確固たる無彩色のまま、全世界から仲間はずれにされたように、そこにある。



…………少し、経った。と思う。



恐る恐る耳を塞いでいた掌を離すと、静かだった。河の流れる音だけが微かにしている。



私はほっとして、傍に置いた白い包みを拾い上げて楠の影から足を一歩踏み出す。



………………本当に綺麗な夕焼けだ。



真っ赤で、燃えているよう。



力強くて容赦がない、それで頑な。………誰かに似ているように感じるのは気の所為だろうか。



私は眼前に広がった光景を見て、ゆっくりと微笑んだ。



…………苦しい時こそ、笑わなければね。



それにその景色は本当に美しかったから。



全部が悶える様に、けれども限りなく淑やかに茜色に浸された空間で、二人の描く黒い影は綺麗だと、心の底から思えた。



私は視線を足下に落とす。スカートの裾が目に入る。やっぱり、灰色だった。


なんで、どうして。



私だって。



一人きりになっても、私はそこで立ち尽くして夕日がどす黒くなりながら沈んで行くのを見ていた。



……………やがて夜になって、辺りは茜色から青い闇色へと変化した。



それでも私のスカートの色は灰色をしていた。くすんで、汚い色。でも、私によく似合っている。そう感じた。

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