二十・本屋

「お、本屋だ」



並んで歩いていると、店の並びに一軒の本屋を発見する。



「ちょっと寄ってもいいか?」



そう尋ねれば、グレイスは勿論です、と首を縦に振った。



「ジャンは随分と本をよく読むようになりましたね。昔は蛇蝎のごとく活字を嫌っていたのに……。」



本屋へ向かう為に道を横断しながら、彼女が言う。……どこか嬉しそうに。



「まあ……本はお前等が随分と残してくれたからな………」



…………子供たちが数人、はしゃぎながら走ってくるので少し声量を落としてそれに応える。


元気だな……。この季節っていうのは、元よりやかましいガキを更に陽気にさせる働きがあるらしい。



「そうですね……。私もマルコも本は好きでしたから。
でも、まさかジャンと本についての話ができるとは予想外ですよ。……なんだか、嬉しいです。」



グレイスは明るい声色で言う。それにつられるように、オレもちょっとだけ笑った。



……………………本屋へ入るためには数段ほどの小さな階段をのぼる必要があったので、転ぶなよ、と注意を促しては手を引いてやる。


グレイスは「子供扱いしないで下さい。忘れているようですが私は貴方よりもひとつ年上なんですよ。」と少し拗ねたように応えるが……手は、握り返してくれた。冷たい体温が心地良い。



木目を洗出された時代の錆のある板扉に取り付けられた、真鍮のドアノブを引いて中に入ると、外よりは少し涼しいようでほっとした。


狭い店内には大きな書架がいくつも窮屈そうに並んでおり、壁に嵌め込んだ化粧窓の枠は古い樫を組合わせた細長い造りをしている。

強く厳しく思えた陽光が、それを通して眺めるといくらか優しく思えるのが不思議だった。



……………店内には、奥でうたた寝をしている初老の男性が一人。恐らく店主か。


客が入って来ても起きない無防備さは割とありがたく思う。……これなら、グレイスとも小さい声でなら会話ができるだろうから………



店の中に入って、グレイスはすぐさま並んだ本の背表紙を楽しそうに眺め始めた。


本棚にはそれぞれ色褪せた張り紙がしてあって、なんの本が置かれているのかを分かりやすくしている。


経済。農業。機械。絵画及び工芸。政治。歴史に関する文献。宗教。グレイスにとってはどれも興味深いものらしい。………飽きること無く、じっと眺めている。



「お前は本当に本が好きだよなあ。」



その情熱的な眼差しに少々感心したように声をかければ、グレイスは「ええ、昔から好きです。」穏やかに応える。



「ああ……そうだな。確かにお前は本ばっか読んでたもんなあ……。」



懐かしい風景を思い出すように目を細めてからオレは腕をのばし、脇の本棚からなんとはなしに一冊を取出した。


戻して、また別のもの。


しばらく二人は口を閉ざして、なにか研究でもはじめるようにものものしく気取って、一頁、一頁、ゆっくりページを繰っていった。



「……………グレイス。そういや昔……これ、持ってなかったか。」



少しして、随分と高い棚から取り出した厚めの本の表紙をグレイスへと見せる。


そうだ、間違えない。………まだ十才になる前だ。グレイスが読んでいたのを覚えている。



表紙にはエッチングの装画が施され、今はもうくすんでしまっているが……当時はとても華やかだったことを思い起こさせた。



「おや懐かしい。よく見つけましたねえ。」



グレイスは感心したように呟きながら、その本をオレから受け取った。



パラパラと中身を捲るので、オレもそれを覗きこむ。



合間にも装飾的な挿絵がされていて、児童書独特のいかにもロマンチックな内容である。


短編集なようで色々な話が収まっていたが、そのどれもが夢の溢れるおとぎの国が描写されたものだった。



「…………昔はさんざん、こういった夢見がちなものを読んだものですよ……。私、大好きでした。」



グレイスは、蝶の羽を背負った美しい女性の挿絵を眺めながら溜め息を吐く。その瞳は優しい色をしていた。



「お前にも年相応な時期があったんだよなあ……。………今はその本、まだ家にあるのか。」



そう尋ねると、グレイスは首を左右にゆっくりとふる。


「もう………ありませんよ。」


そして穏やかに言った。



「まあ、そりゃそうか。………10年以上前の話だもんな。」


なくなりもするか………と言いながら、別の本を手に取ろうと隣の書架に視線を移す。



「いえ………違うんです。」


しかし、グレイスが何かを否定するので、再び奴の方へ向き直った。



「捨てられてしまったんです。
…………お母様が、こういう幼稚なものを読むのは頭の悪い人間だと言って………」


彼女の声色は相変わらず静かだった。けれど、瞳の中に少しだけ悲しい光が宿る。



その時にオレは………ある時期を境に、急にグレイスと遊ぶ時間が減ってしまったこと、彼女が異様とも思えるほどの量の勉強をこなすようになったこと、余裕が感じられなくなったこと、あまり笑わなくなったこと………色々なことを、思い出した。


確か、あの時は………そうだ、



「お父様がいなくなってしまってから、お母様は変わってしまいました。
もう、以前のように優しくはしてくれない………私は、お母様に嫌われてしまったのです。」



グレイスは、本のページを捲った。


今度は、さっきの羽が生えた人外の女性が人間の男………格好から察するに、王子とか貴族…か?と手を取り合って互いを見つめている絵が現れた。

周りを沢山の淑やかに描写された花が取り巻き、とても賑やかな場面だ。恐らくクライマックスだろう。



「…………お母様の心に、どんな変化があったのかは分かりません。
けれど、そういうものなのです。人間の心なんて、ちょっとしたことがきっかけでまるで別のもののように変わってしまう………。」



グレイスは、本を閉じた。


そして顔を上げてこちらを見つめては、優しく微笑む。



「………少し、暗い話をしてしまいましたね。何か面白い本でも探しましょうか。」



声色が急に明るくなる。

グレイスはオレに、手の内にあった本を渡して来た。元の場所に戻してくれ、ということだろう。



(…………………………。)



だが、オレは何かを考え込んではそれを眺める。



「どうしました、ジャン。」


動かなくなってしまったオレに対して、グレイスが不思議そうに声をかけてきた。



「……………。これ、買っていくぞ。」



少ししてから零されたオレの発言に、グレイスが驚いた表情をする。



「え…………?なんでですか?」



至極もっともな問いかけだった。


だが、オレ自身にも理由はよく分からない。



「別に良いだろ。金を払うのはオレだ………。」



にべもなく言い放っては、オレは他に買う本を物色する為に、少し離れた書架の方へと移動した。

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