十五・黒いケーキ 上
(…………しっかし。)
その日の実習終了後、どこかで休んでいこうぜ、という同期たちからの誘いを断ってオレは街中、きらびやかな商店が並ぶ通りを歩いていた。
そして女ものを取り扱う店のショーケースの前で足を止めては、溜め息を吐く。
(女の服のことなんて、さっぱり分かんねーよ…。)
うんざりとしながら眉をしかめ腕を組み、ガラス越しの鮮やかな色をした衣服を睨みつけた。
…………そもそも。グレイスは昔から服に関しては無頓着な人間だった。…いや、家が厳しかったからだろうか。基本的には無彩色のものしか着用せず、オレはよくそれを葬式にでも行くのか、と茶化して馬鹿にしたものだった。
だから……、誰も彼女を咎めることのしない今…ここでは、少しくらい女っぽい色味のある格好をしても良いんじゃないかと思ったし、そういう姿も…少しだけ、見てみたかった。
だがしかし。男のものに比べて、女性用の衣服の種類、店の多いことよ。
オレは……鮮烈な色をした衣装の並ぶ店を覗いていくうちに、目が回ってくる気持ちがした。
………地面に視線を落とし、こめかみを軽く揉んでは思わず低くうなる。
というか、あいつ。他の奴らには姿が見えないってことは…明日はその、端から見たらオレ一人でああいった店で買い物をしていると思われる訳か。………ふつーに女装趣味の変態野郎じゃねえか。
それを考えると、中々に鈍く、頭痛がした。
(……………ん?)
ふと視線を上げると、カラフルな商品が並ぶ衣装店の並びの間に、ぽつりと素朴なかまえの店を発見する。
普通にしていれば通り過ぎてしまう様な佇まいだったが、華美な装飾が目立つこの通りの中ではかえってその地味な趣きは目立っていた。
(んん…………。)
なんとなくその方に足を向けてみると、甘い匂いが漂ってくる。
……………なるほど、菓子屋だ。これで周りの装飾品を取り扱う店に比べて外装が落ち着いていることにも納得がいった。
(あいつは……。そういえば、基本的に色気よりも食い気の人間だったな…。)
その、周りに流されずに動じない店の雰囲気が、少しだけグレイスの姿に重なる。
………もしかしたら、明日も。服を買ってやるよりも、こっちで菓子を買ってやった方が喜ぶのかもしれない。
(ほんと呆れた甘党だよ、あの馬鹿………。)
考えているうちに可笑しくなって来て少しだけ笑っては、ショーケースを覗いてみる。
質素な店の構えに反して商品は……女子供が喜びそうな、可愛らしく物語を感じさせる様相を呈していた。
…………もし、今日。これを買ってやって帰ったら、あいつはどんな反応をするのだろうか。
シンプルに喜んでくれるのか。それとも『これじゃ私が食い意地はってるみたいじゃないですか…!』と怒る?どっちにしても面白そうだ。
そんなことを考えてる内に、気付くとオレは甘い匂いで満ちた店内に立っていた。
いつ、扉を開けて入ったのかさっぱり理解できない。………だが、まあ。そんなことはどうでも良いや。
(…………そういえばあいつ、ものは食わないんだっけ。)
陳列された、大瓶に入ったカラフルにアイシングされたビスケットやら、ガラスの器に盛られて透きとおったボンボンをなんとなく眺めながら、考える。
(いや…。まあ、墓にだって食い物は備えるし…大事なのは気持ちだろ。)
………結果的にそういうことに落ち着き、オレはひとつ頷いた。
それから狭い店内を、もう一度見渡す。
寄木張りの深いチョコレート色の床は清潔に掃除されて、床板一枚ずつがしっとりと光っていた。
どの商品も小綺麗にさっぱりして、磨いた色硝子で囲まれた窓からは、わずかに傾きかけた陽が様々な色になって差し込んでくる。
その軒には花樹が茂り、騒がしい街に日蔭のある情趣を添えていた。窓から見える四つ辻の赤いポストすらも何故か綺麗に鮮やかに見えるから、不思議なものである。
(今からでも……遅くは、ないよな。)
色硝子を通して青や赤に染まる日の光を眺めながら、オレは微かに目を細めた。
どの女神の気まぐれかは分からないが、本当に偶然の巡り合わせで、オレはもう一度グレイスに会うことができたから…それを、無駄にしてはいけない…と今更ながら、思った。
それから昔々、グレイスが好きだったものを思い出す。
彼女は、うちの母親が作るココアが好きで、よく飲みに来ていた。……もしかしたらそれはオレに会いにくる為の建前だったのかもしれないが……
(流石に自惚れすぎか……?)
ほんの少しの笑みを零しながら、自分しかいないひっそりとした店内で、洞窟の奥底に眠っている財宝のようにロマンのある形をしたケーキのひとつひとつを眺める。
視線は自然と濃いマホガニー色…要はチョコレートやココアを多く使用した作りのものに収束していく。
その中で、一際色が濃くて…苦そうで、甘そうな、ココアの入った生地にクリームとさくらんぼを重ねては挟み、一番上にこれもまた真っ赤なシロップ漬けさくらんぼがのったものを指差しては、オレは店の奥に向かって声をかけた。
気怠そうな女性の店員がそれに応えるように出てくるが、オレの顔を見た途端にその表情は随分と明るくなる。
………ケーキを包装しながら、甘いものが好きなのか、と問われるので…自分のではない、と何だか照れながら答えると…彼女はより表情を楽しそうなものに変えては笑った。
それじゃあ彼女にプレゼントだ、と茶化す様に言われたので、断じて彼女ではないと意固地になって反論してしまう。……しかし、女性店員はただ笑みを増々濃くするばかりだった。
「それならちょっとオマケしておいてあげるね。」
最後に彼女はそう言って、猫の形をしたチョコレートの小さなプレートを取り出してケーキの上にのったさくらんぼの隣にバランスよく据えてみせた。……白いクリームで象られた猫の表情はにっこりとしていて、何だかその店員に似ていた。
「また来てね。今度は彼女も連れて来てくれたら嬉しいな。」
そう言いながら彼女はオレに対して商品を渡してくる。……代金を支払いながら、つい粗暴な言葉で「だから彼女じゃねえよ…」と反論したが、それはどうやら猫に似てしなやかに笑う女に聞き届けられることはなかった様だ。
*
………店を出れば、陽はすっかり傾きかけて空の色はオレンジ色だった。
それを見上げた後に、今度は右手に下げられた白い箱に視線を注ぐ。夕日に染められた空気の中、それだけが混じりけの無い白のように光って見えた。
脳裏には…驚きつつも、大層喜んでくれるであろうグレイスの顔が過って行く。それだけで胸が一杯になって、苦しかった。
………思えば、自分で稼いだ金で人に何かをかってやるなんて行為、初めてかもしれない。
しかもよりによってあいつに。
数ヶ月前ならば、信じられない事態である。
真っ赤に焼ける空の下、足早に宿舎へと向かう。一刻も早くにグレイスに会いたくて仕様がなかった。
(………………あ。)
そこでふと、オレはある考えに思い当たる。
……それを自覚した瞬間、何とも言えない恥ずかしさがじわじわと顔面付近に広がって行った。
(なんだよ………。結局あいつのこと、考えてるんじゃねえか。)
何だかグレイスの思うつぼになったようで癪に触ったが、どこか幸せな気持ちが身体を巡り、ざわざわとした。
夕焼けの色はより濃くなっていく。黄金色の雲がやがて真紅に浸されて流されて行くのが綺麗だった。
その中、真っ黒い影を落として百舌鳥が数羽…甲高い声を上げて、また横切っていく。
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