十五・夜は長い
「………………で。」
風呂から上がったオレは濡れた髪をがしがしと拭きながら、相も変わらず白く裾の長い下履き姿でベッドに腰掛けていた奴を見下ろす。
「良い加減服着ろよ………。」
溜め息交じりに、言う。……いや、別にやましい気持ちは微塵も湧かないのだが、いくら夏とはいえ…こうも肌の露出が多い格好をされるのは、落ち着かないのだ。
「別に良いじゃないですか。もう兵士じゃないんですから……私、あんな暑苦しい格好したくありません。」
グレイスは床につききらない足をゆらゆらと揺らしながら手元の本へと視線を落とす。
オレは溜め息を吐きながら、きちんと畳まれてあるべき場所に収まっている自身のシャツを一枚、戸棚から引きずり出しては奴の方へと放る様に渡した。
きょとりとした顔をしてこちらを眺めるグレイス。「着てろ」と愛想無く言うと、彼女はその表情のまま繁々とオレのシャツを摘まみ上げては観察する。
「成る程、これが噂の彼シャツですか。」
「オレはお前の彼になった覚えは微塵もねえ。」
下らない事をのたまう奴の頭に落とそうとした拳骨は避けられて空を切った。
「冗談です。」
…グレイスはオレの苛立ちなど知ったこっちゃ無い様で、楽しそうに笑ってはシャツを広げて着始める。
…………なんでそんなに嬉しそうなんだ。訳が分からない。
*
「…………大きいです。」
少しして着用し終えたグレイスは、余った袖を畳みながら不満げな声でそう言う。
「お前がチビなだけだろ……」
肩袖を捲るともう肩袖がずり落ちてくるという悪循環に嵌っている奴を救う為に、仕方無く袖を畳むのを手伝ってやる。
おかしいな……。こいつ、こんなに小さかったっけ?もっとゴツい女だとばかり思ってたんだが……
「チビじゃありありません。貴方が大きくなり過ぎただけです。」
「オレは割と平均的な身長だと思うぞー。ほれ、チビと運動音痴と目の下のハナクソはお前の昔からのチャームポイントだろ。」
「ハナっ……!?チビは元より運動音痴はもう克服しましたよ!?」
「そりゃご苦労さん。」
………無事袖を捲り終えたのは良いが、今度は肩の位置が定まらず襟からだらしなく胸元が覗く。
皮膚の色は紙の様な白さで、不健康的だった。
変な思いよりも先に、痛々しさを感じてしまう。そんな色をしている。
オレは何も言わずに…今朝奴にされたのと同じ様に、一番上まできっちりとボタンを留めた。
その際に、首筋に走る赤い痕を見ない様にしながら。
「………ジャン。やっぱり貴方が大きくなったんですよ。」
ふと、すぐ近くで声がして思考が現実に返ってくる。………想像以上近くにグレイスの顔があったので、少し、驚いた。
それから彼女はそろりと手を伸ばして、未だ湿っているオレの頭髪…頭の天辺に触れた。
「大きい。」
………ほう、と息を漏らしてそこを撫でるグレイス。
心の底から感心した様にする奴が若干可愛らしく見えた事は…気の所為だろう。
*
「まあ…さっきよりはマシになっただろ。」
ようやく肌の部分が粗方隠れてくれたので、ホッとした様に言う。
グレイスは……何かを考える様に若草色のシャツの裾を弄った後に、「ありがとうございます。」とやんわりと笑いながら言った。
「……髪がまだ少し湿ってますね。夏とはいえ風邪を引くかもしれませんから…お礼に、拭いてあげます。」
それからオレが手にしていたタオルを奪っては、椅子に座る様に促してくる。
それに対して最初は断ろうと口を開きかけたが、グレイスが何故かとても幸せそうなので…それは飲み込んで、言われた通りに着席した。
髪を、ゆっくりとタオル越しに拭かれると、少しだけ眠気が襲ってくる。
……………静かだった。
グレイスは、一体何を思ってオレの髪を拭いているのだろうか。
前から…奴の思考はさっぱり理解する事ができなかったが、こうして再会してからはそれが顕著だった。
何故、こうまでも優しいのだろうか。……人が変わった様に、思いやってくれるのだろうか。
それは、ただ単純にグレイスがオレに想いを寄せているという簡単な理由だけでは説明できない気がした。
(いや…………。)
面倒くさいことを考えるのはよそう。
一度失ったと思ったものが、戻って来てくれたんだ。
…………今はそれだけで、
(それに。気付かなかっただけで、昔からずっと………)
「なあお前……仲良くするって具体的には何したら良いんだ?」
一通りオレの髪を拭き終えて、再びベッドに腰掛けたグレイスの方へと向き直りながら、尋ねた。
彼女は少し考える様にするが…やがて、「何もしなくて、良いですよ。」と穏やかに応える。
「なんだ…それ。」
机に頬杖をつきつつ返す。…………グレイスはただ、笑うだけだった。
「じゃあ………。それなら、カードゲームでもしましょうか。」
短い沈黙の後、思い付いた様にグレイスが言う。
「………ゲーム?なんか死んだ奴とやると負けたら魂持って行かれそうだな」
「おやおや最初から負ける気満々ですか。…まあ貴方、これまで一回も私に勝てたことありませんから自信無いのは分かりますが」
「なんだとこら楽勝してやるっての」
………奴の発言に青筋を立てながら返すと、グレイスは殊更嬉しそうに声を上げて笑った。
よく笑う奴だな。………今まで笑わなかった分の反動か。
「にしてもよ…。こういうのって二人でやっても楽しいのか?」
棚の中から随分と長い事使われていなかったカードを取り出しながら尋ねる。
「……きっと楽しいですよ。やりましょう。」
グレイスは相変わらずご機嫌で、オレが着席していた向かいに腰掛ける。
小さく溜め息を吐いてはカードを配り始めると…ふと、手の甲にひやりとした感触が。
何かと思って重ねられた掌の先、グレイスの瞳を眺める。
彼女はにっこりと微笑んでは、「配る時のズルはいけませんよ。」とのたまってみせた。
「………バレたか。」
そう言ってオレも笑い返す。
「バレバレです。やるにしてももう少しうまくやらないと。」
「おかしいな。同期の奴らは一回もバレたことねえんだけど。」
「私は騙せませんよ。」
…………何だかおかしくなって、オレも声を上げて笑ってしまった。
それにグレイスの笑い声が重なる。
久しぶりに笑った所為で、腹とか表情筋とか、色んなところがきしきしと痛んだ。
そして、胸も。少し。
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