雪の歌 下

握られて、ジャンは少々意外そうな顔をした。「なんですその顔」とグレイスが尋ねれば、「いやなんでも」と応えて握り返してくる。


「きっと、この季節で最後の雪ですね。」

もうすぐ春です、とグレイスは微笑んで言った。そうだな、とジャンは穏やかに返事する。


「桜が咲いたらお花見にでも行きませんか。」

「お、デートか」

「………マルコも一緒です、三人で行きましょう」

「なんでお前ってそう可愛げねえの」

「可愛げなくてごめんなさいね」

「まったくだこの野郎」


二人で手を繋いで、ゆっくりと歩き出した。

グレイスは小さく笑って「デートならいつでも行けるでしょう、私たちずっと一緒なんですから」と零す。


「まあ……。それはそうだけど。」

「という訳です、私ジャンが好きですからそう簡単に離れませんよ」

「普段言わねえ癖になんでどうでも良いときにペロっとそういうことを言う」

「意地を張っても良いことはありませんので」


うわー、かわいくねえーとジャンは後頭部をがしがしと掻きながら言葉を吐き出した。

かわいくなくて結構です、貴方に愛されていればそれで満足ですから、私は。とグレイスは追い打ちをかける。


「……そんならそろそろキスさせろよな」

「結婚もしてないのにそんなこと出来ますか」

「じゃあ結婚しようぜ」

「……貴方こそそういうことを簡単に言う」


グレイスはうんざりとした表情でかぶりを振った。

長く真っ直ぐな髪がさらと揺れて軽く積もっていた雪の結晶がきらきら光る。


「まーなんだ。健全なオツキアイも悪くはねえがオレもそこそこやりたいことはある」

「やらしいですね。破廉恥です。」

「男はみーんなやらしいんだよ。」


むしろオレはよく我慢してる方だ、とジャンは灰色の空を見上げて呟く。


「そうですか、それなら引き続き我慢するよう努力して下さいまし」

「残酷な女だな」

「そんなことありませんよ、恥じらいがあると言って下さいな」


ジャンは自身より少々低い位置にあるグレイスの頭にごつんと同じものを合わせる。何するんですか、と彼女はぼやいた。


鈍い色をした雲の隙間から、透き通った光が漏れてくる。不思議な天候だった。

もうすぐ日が完全に昇り切るらしい。


「………早起きは三文の得とはよく言ったものです。」

「そうかね。三文程度ならオレは寝てたいけどな」

「私にとって今日は三文を大幅に上回る収穫がありましたので。」

「へえ、どんな」


グレイスは、聞きたいですか。と悪戯っぽく言う。ジャンはべつにー、と気の無い返事をした。


「そう言わずに聞いて下さいな。ほら、耳を貸して。」

「へいへい」

「へいじゃなくてはいでしょう、あと一回言えば分かります。」

「へいへい」

「かわいくない人ですこと」


ジャンは促されて軽く膝を折ってグレイスに顔を近付ける。

彼女の唇が自身の耳の傍へやってくるのが儚い息づかいから分かって、柄にもなく少々緊張した。



「……………………。」



暫時して、ジャンは切れ長の瞳を目一杯見開く。

ゆっくりと彼女は寄せていたものを離しながら、小さな声で「私にも、やりたいことがなくはないんですよ」と囁いた。


「……帰りましょう。この分ならそろそろ雪も止みます……。ちょっと、名残惜しいですね。」


グレイスは微笑んでから、呆然としている彼の掌を引いて元来た道を辿ろうとする。

しかし、進まない。強く腕を引かれ返されたので思わず身体のバランスを崩して小さく声を上げた。



「ちょっと……!やめて下さいよ。
だから……本当に、急にそういうことするのは。」


随分と強い力で抱き締められているらしいので、グレイスの声は悲鳴に似たものになる。

急にそういうことをしたのはお前の方じゃねえか、とジャンは心の中で弱く毒吐いた。


でも、ひどく嬉しかった。幸せだと言えることなのだろう。

そうして堪らなく、どうしようもなくなってしまったので気が付いたらこうなっていた。そうして今も気持ちのやり場に困っている。


グレイスが大人しくなってくれたので、ずっとそのままでいた。

頬に触る長い髪は相変わらず歪まないで真っ直ぐなのが彼女そっくりで好きだった。それから皮膚の温かさ。これが何よりかけがえなく感じて、胸が痛くて辛い。


やがて彼女も腕を回して来てくれる。あやすように背中をとんと叩かれた。好きだな、とか愛しいとかそういうことじゃなくて…ただ、大切なんだと思う。それに気が付けて本当に良かった。


グレイスが何か言うので、同じことを繰り返して伝える。

それが分かっているならもう大丈夫ですよ。と彼女が囁いた。その通りなのだろう。ようやく安心できて、その身体を離した。


非常に恥ずかしそう、しかし嬉しそうにしているグレイスと目が合うので……また苦しくなる。



「良いですよ」


手を繋いで再び歩き出したとき、唐突に彼女が言う。

なんのことだとジャンが視線で尋ねると、「結婚しようって言ってくれたじゃないですか。了承の意を示したまでです。」と事も無げに答えられた。


……………ジャンは無言でグレイスに二度目の頭突きする。「脳細胞が死ぬからやめて下さい、貴方よりは多い自覚ありますがそれでも無くなると困るんです」という心の底から可愛くない反応をされた。


「だからそういうことペロっと言うなよ!こんのハナクソ女が!!」

「ハナクソじゃありません!チャームポイントです!!」

「かわいいのは分かってるっつーの!!」

「貴方こそそういうことペロっと言うのやめなさい!!」

「うるせーオレの勝手だ」

「それなら私だって勝手です」


ジャンは思わず舌打ちした。グレイスはふん、と呆れたようにする。

変なところで似た者同士過ぎてどうしようもないな、と思わず二人揃って溜め息を吐いた。



やがて見慣れた宿舎が見えてきた。……そろそろ同期たちが目覚め始めているらしく、どこか活き活きとした雰囲気がしている。


「ああ、見て下さい。やっぱり晴れましたよ」


グレイスが遠くの空を眺めて言うのでジャンも倣って見上げれば、薄い黄金色の太陽が雲の合間から覗いていた。眩しいので目を細める。


彼女が隣で小さく歌う。意外にも少女のように澄んだ声をしているので、ジャンは結構彼女の歌声が好きだった。



やがてほのぼのあくる朝 空はみごとに晴れました あおくあおくうつくしく

小さいきれいなたましいの 優しいお国へゆくみちを ひろくひろくあけようと



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