十五・黒い夜
―――――――今まで生きて来た中で、こんなにも根を詰めた事は、無かったかもしれない。
寝ているか。食べているか。訓練をしているか。
隙間の時間は、少しでも知識の不足を補う為に本を読んだ。
あいつもマルコも、沢山本を読む人間だった。
だから、本だけは沢山、ある。
そして、言い換えれば…………オレに残されたものは、この本の山と、両脇に二人がいた、残酷なまでに温かな思い出だけなんだ………。
沈む山梔子・後「……………ジャン。」
ある日の夕飯……。食べ終えたオレが食器を片付けようと立ち上がった時、アルミンが声をかけて来た。
「……………。何だ。」
例によって疲れ切っていたオレは素っ気なく返事をする。
そのつもりは無かったが、随分と低い声を出してしまったらしい。アルミンはぴくりと肩を震わせた。
「つ、疲れているところ、ごめんね。………でも、最近、ジャンは…少し頑張り過ぎじゃないかなあ、って……」
おどおどしつつも、オレの事を気遣ってくれているらしい言葉が、胸に沁みる。
且つてならこいつのこういう所は、見ていても苛々するだけだったのに…………。
不思議だ。トロスト区での一件以来、オレの心は非常に低い位置でではあるが、何処か安定していた。
「…………心配すんなって。」
自分より低い位置にある奴の頭をぽん、と叩く。
女の様に細く、さらりとした頭髪だ。………少し、驚いてしまった。
「オレは大丈夫だから………。ほんと……平気………。」
呟く様に告げると、アルミンの頭から手を離しては少しだけ窓の外を見つめる。
黒い。
………………夜だ。
全てのやるべき事が終ってしまう時間。
この時間が嫌いだ。
何もしないでいるのが、苦痛だった。
自分を虐める様に過酷な訓練に打ち込んでは、全てを忘れてしまいたかった。
何も思い出したく無かった。そもそも、最初から出会いたくなんか無かったんだ。
………………マルコの死は、辛い。一番仲が良かったと言える友人だ。
だが、それによって変わった事が……変わろうと思えた事がある。
あいつがいなくなるまで気付けなかった事だ。………感謝している。
辛いながらも、そこには妙に腑に落ち着くものがあった。
だが……………。
グレイスの死だけは、オレに何も齎してくれなかった。
強いて言えば、永遠に続くかと思える罪の意識と、付きまとって消えてくれない孤独感か。
それは時として、足下から何かが崩れて行きそうな不安と苦痛をオレに与えてくる。
…………全てが、間違えだったんだ。
あいつに、心にも無い事を押し付ける様にしてしまった事。
自分の幼稚な勘違いで、勝手に憎んで、恨んで………負の気持ちを、全部背負わせてしまった事。
素直になれず、何も言ってやれなかった事。
誰かを好きになれば、必ずあいつを頼ってしまった事。
訓練兵となる時に、同伴を渋々ながら許可してしまった事。
地元の教室で、何だかんだ言って毎回席が隣だった事。
且つては、暇があれば…暗くなるまで日がな遊んでいた事。
口を開けば喧嘩ばかりだったけれど…それでも、一緒にいた事。
そして、隣の家なんかに、生まれた事。
何故、こうまでも傷付け合う運命の下にいながら、オレ達の互いの距離は隔たらなかったのだろうか。
オレはただ、その運命を呪った。
「ジャン………?」
アルミンの呼びかけで、オレは……ようやく、我に返った。
「あ……わり、ちょっとぼーっとしててよ。」
思わず苦笑して、それに応える。
「何だか疲れちまってるみたいだな…。今日はもう寝るわ。………じゃあな。」
そう言ってオレはアルミンの次の言葉を待たずに食堂を後にした。
………下手に慰められたりして、また自身の傷を抉る様な真似はしたくなかったのだ……。
*
………部屋に戻ってくると、真っ黒な大気に包まれた埃臭い空間がオレを出迎えた。
掃除も……もう、ここに来てから一回もしていない。
床に転がる生活用品を避けて歩きながら、オレは手探りでランプの火を灯し…ひとつ息を吐く。
気持ちは、未だに悪夢を彷徨っている様だった。
けれど、これは夢では無く、現実だ。認めたくは無いが………
その事は……あれから二週間。…嫌と言う程に、思い知った。
―――――乱雑に毛布が丸められているベッドに、身を投げる。
良かった。………この調子なら……あまり無駄な事を考えずに眠りにつく事ができそうだ…………。
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