十五・山梔子の瞳と青い空 下

「うおおおおおおお!!??」


突然の隣からの衝撃に、オレは頓狂な声を上げて体勢を立て直す。



(―――――グレイスだ!!)


オレの中に、瞬間的に怒りが点火する。


あの馬鹿っ………!!いくらオレがひどい事を言っちまったからって、何も今、この状況で仕返しするか!?



下手すりゃ、死――――――――!!!!?????



しかし……眼前に現れた光景に、オレの中の怒りはどこかに吹っ飛んだ。

いや、それどころか……思考そのものが完全に吹っ飛び、頭の中は真っ白になる。



「え………な、あ………。」


口から出る言葉は、意味を成してはくれなかった。


「グレイス…………?」


やっとの思いで絞り出した声で、奴の名を、呼ぶ。



な、なんで。お前………笑ってるんだ?


そんな状況で、なんで……笑っていられるんだ………。



そう……。しっかりと巨人の掌に身体を掴まれたグレイスは、確かに微笑んでいた。


何故か、オレは……その表情が、とても綺麗だと……思わず、見入ってしまう。……もしかしたら、今まで見た誰の笑顔よりも、一番……



そして、微笑った唇の形のまま、グレイスは、オレに対して……何かを囁いた。



『          』




次に、耳を劈く様な激しい絶叫。絶叫。絶叫。絶叫。


オレは掌に握ったブレードを手放して今すぐにでも耳を塞ぎたいのを寸での所で堪える。


見る事は、最早堪えられなかった。視線を地面に落とす。一瞬が永遠に感じられた。



やがて、ボドリ、という音がし………地面に、何かが………落ちる………!!!



恐る恐る、見た。本当は、見るつもりなんか無かった。……でも、どうしても、確認しないと……


もしかしたら、何かの間違えで、オレの見間違いで………!!!



しかし。しかし……それは、確かにグレイスだった。



だって……見間違う筈はない……!!ずっと一緒にいるんだ、何よりも、その左目の下にしっかりと見えるひとつの黒子が彼女が彼女たる動きようも無い証拠で…………



「あ………あぁ、あ。」


からからになった喉から、思わず声が漏れる………。眼前の光景を、認めたくは無かった。



やがて……グレイスの体を弄んだ奇行種が、オレの方へも顔を向けて、にたりと笑う。



――――――凄まじい嫌悪と恐怖が体を駆け巡り………オレは、訳の分からない叫び声を上げながら、本部に向かって、ただひたすらに、ガスを吹かした。







飛んでいるうちに…………段々と、気持ちが、落ち着いて来る。


それと同時に、(あれ、今見た光景は…悪い夢だったんじゃ)という感慨が、胸に浮かんだ。



――――――そうだ。きっとそうに違い無い。



そう思うと、気持ちは急に軽くなった。


グレイスの奴は、責任感が強いから……きっと、しんがりを務めて、後ろにいるに違いない。



(そっか………。良かった。)



ほっと、心から安堵の息を吐いた。

そうだ……グレイスが、いなくなる筈なんかない。これからも……今までと変わらず、オレの傍にいてくれる筈だ。………



(昨日は、言い過ぎたな。)



こちらに迫り来る巨人の掌を避けながら、そんな事を考える。


…………本部で合流したら、一言謝ろう。あの言葉は全部忘れてくれ、心からでは無かったんだ、と本当の事を言おう。


それで………これからはちょっとだけ仲良くやろうぜ…って、いつかの雨の夜の返事を、ちゃんとしよう。



(こんな非常事態に急に何言い出すんだ、ってグレイスの奴はきっと怒るだろうな……)



その顔を思い浮かべては、喉の奥がくつりと鳴る。


いくらでも怖い顔をすると良い。全然怖くねえから。………だってオレには分かる。それが、照れ隠しだって。


…………照れ隠しに怒ってみせるグレイスの表情が、オレは結構好きなんだ。


今までそんな事考えもしなかったけれど、この時……ふと、そんな自覚が胸に舞い降りる。



(だって……ほんの少しだけ、可愛い。)



激しい戦いの中……ジャンの胸の内は、自然と穏やかになっていく。


そしてグレイスの事を考える度に、その胸はどういう訳だか少しの幸せで満たされるのだった。



(あと少しで、本部だ―――――。)



辿り着いたら、言おう。必ず言おう。


今までの事全部謝って、もう一度最初からやりなおそうって。


なあグレイス。お前は優しいから、きっとオレを許してくれる。だからオレも、これからはお前に優しくするよ。


無限に拗れてしまったこの関係を、二人で終らせるんだ。


それで、もう一度オレに笑いかけてくれよ。



お前は……笑った顔が、一番可愛いんだから。



だが――――勿論。いくら待っても、グレイスが本部にやってくる事は無かった。


これは、あまりに過激な光景に堪えきれなかったジャンの脳髄が作り出した都合の良い妄想だ。



本物のグレイスは、何も映さなくなったくすんだ山梔子色の虹彩で、抜ける様な青空をただじっと見上げている。



瞳には澄んだ光を宿したまま。唇は、微笑んだ形のまま。



――――――思えば、私の人生は何だったのだろう。



最も愛する人に嫌われ。


最も愛する人に憎まれ。


最も愛する人を殺したいと願った。



でも―――最後は、最も愛する人を、守って死ねた。



――――それだけで、充分だ。


きっとそれだけで、私が生きた意味は、確かにあった。



そう、信じている。

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