十五・山梔子の瞳と青い空 中

「急げ!ミカサに続け!!」


私は……叫ぶジャンとの距離を、そっと詰めて行く。


一生懸命に前を見据え、鮮やかな動きで飛んでいく貴方を見つめては……なんて精悍な顔つきだろうと、場に似合わない事を本気で考えた。



「とにかく短期決戦だ!!オレ達のガスが無くなる前に本部に突っ込め!!」



ああマルコ、貴方が言った事はどうやら本当の様です。ジャンはきっと、良い指揮役になります。


きっと。本当に。



――――私は、ジャンとの距離を更に狭めて遂にその隣にと並んだ。突如として現れた私に、彼は少々驚いた様にする。


私は……この時が永遠になれば良いと思った。


貴方の隣でこのままずっと、こうして飛んでいられたのならば。



私は、この時察知していた。



斜め後方から巨人が接近してくる気配を。それの瞳が、虎視眈々とジャンの事を追っている事を。そしてあわよくば……私の事も狙っている事も。



自然とまた、口角が持ち上がる。



そう、それで良い。私を、私たちを殺して食えば良い。



どうせ私が気付いた時には既に手遅れだったんだ。最早逃れる事は―――できない。



『オレはな……ずっと昔から、そうやって自分の優秀さを鼻にかけたお前の事が大嫌いだったんだよ!!!!』



頭の中には、昨日私に向かって放たれたジャンの言葉ががんがんと響く。

それが余計に私の表情を歪ませて、醜く、どろどろとした甘ったるい笑みを顔中に広げていかせた。



そう……。私とジャンが、生きて一緒になる可能性は絶望的なのだ。


それならば、せめてここから共にいなくなりたい。


それだけが、それこそが今の私のただひとつの望みだった。



…………巨人が、大きく腕を振りかぶった。ジャンは気付いていない。



あと数秒で、全てが終る―――――――



『          』




その時。本当に突然の出来事だった。



私の脳髄の奥、幼いのある日の光景が、ふうっと…何の前触れもなく…浮かび上がって来た。



それは、私の中の真っ黒い水を湛えた淵を照らしながら、黄金色の光を纏った様に美しく、きらきらと輝いている。



――――――ジャンが、ジャンが笑っていた。


私は貴方のその表情が本当に好き。世界中……壁の外を探したって、貴方程格好良い人はいないと思う。………本当、ですよ。



そしてその笑顔は、他でもない私に対して向けられている……なんという幸せだろうか、私は胸が支えて何の言葉も喋れなかった。



ジャンは、私の掌に、小さな約束を収めると……確かに、囁いたのだ。もう一度。私の胸にしっかりと届く様、この耳元で。


私がずっと……本当にずっと……それだけを求めて、手に入るのならば命さえも惜しく無いと願った、あの言葉を。



何だ。



私はもう、全てを手に入れていたんだ。



――――――周りの景色が鮮やかに色を持ち、晴れ渡るのが分かった。


今まで、薄い膜に覆われていたかの様にぼんやりとしていた景色が。


そして、世界は何て美しいのだろうかと、私はこの時―――ただ、感動した。


空も、ジャンも、変わってはいなかった。そして私も。気付かなかっただけで……世界は美しさを保ったまま、ずっと……傍に、いたんだ。



――――巨人の腕が、あとコンマ数秒程でジャンの足へと届く。



その光景を見て、私は全身の血が逆流する様な感覚を味わった。



『          』




また、あの言葉が私の中を駆け巡る。それだけで、何でもできると思った。



……………ジャン。



ジャンが、笑っていてくれる。


時々は怒ったり泣いたりするけれど、やっぱり最後は笑って、私に優しくしてくれた………。



ジャン………………。



夏を彩どる真っ白な山梔子の花の茂みに二人座って瑠璃に似た青空の、鼠色に変るまで沢山お喋りしましたね。


ひどい喧嘩だって、昨日だけじゃない、もう何回もしてきた。


でも、私たちはいつだってごめんなさいをして仲直りができた。きっと今回もそれができる筈。


私も………今度こそは優しくなって、貴方にちょっとだけ素直になりますから………



ジャン……………!



沢山の約束と、秘密と、優しさと共にある記憶。


貴方と過ごした全部の景色が私にとっては掛け替えの無い宝物だった。


これからも、一緒にその宝物を増やして行きましょう?



ジャン……………!!



私、やっぱり貴方が好きです。


ずっと昔から。好きで、ただ好きで。この気持ちが、貴方の中に響かないと知っていても。


ただ……貴方の幸せをそれだけを。それだけが…………!!!!



「ジャン。死んでは、駄目…………!!」



私はぽつりと、しかし……叫ぶ様に呟いた。


そして、あらん限りの力で、隣に並んでいたジャンを、蹴飛ばした。



―――――ジャンが、驚きの声を上げる。


その後、すぐに体勢を立て直しては、私に対して何か罵倒の言葉を叫んだ。



けれど……それも直に止む。



そして私はジャンと見つめ合う。こんなにも互いの瞳を真っ直ぐに見据え合ったのはいつぶりだろうかと、そんな事を考えながら、信じられない様な面持ちをしたジャンを、私はしっかりと、見た。



その時の私は……きっと笑っていたのだと思う。



だって、嬉しかった。……ジャンが、生きていてくれたから。


それだけで………私は、この世に生を受けて、本当に良かったと思えた。



私の体を包む力が徐々に強くなり、ひどい痛みを齎している。……恐らく、肋骨の数本はへし折れているのだろう。


…………生温かい息が、顔にかかった。………すぐに殺さないところを見ると、どうやら奇行種の様だ。



ああ、嫌だなあ、という感慨を胸に抱く。せめて一思いにやってほしかった。



でも、これは私に相応しい最後だと思う。この世で、一番に大事にしたかった人間を、一時でも祖末にしようとしてしまっていた、私には。



………私は、最後までジャンから目を離す事はしなかった。



死に向かうこの時、この瞬間、一時たりとも無駄にせず、貴方の事だけを考え、見て、脳裏に焼き付けておきたかった。



だから、ねえ………。ジャン。どうか、そんな顔しないで下さい。



どうか、私が一番大好きなあの顔で……私の最後を。



………いつまでも、笑って……………



そして、体を激しい苦痛が襲った。



痛くて、苦しくて、辛くて………もう、絞り出す声が尽き果てるまで、叫んだ。



やがて体が今一度びくん、と強く痙攣すると…………私の体は動かなくなり、ぼろ切れの様にそこらに捨て置かれる。



私の、腕が。脚が。胸が。首が。



ばらばらと、宙を舞う。



地面に鈍い音を立ててそれは、ただの肉塊と成り果てて転がった。

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