十五・醜くとも貴方の中に

「………そうですか。」



やがて、グレイスは静かに言葉を零す。そして目を伏せると、小さく首を振った。


「知っていましたよ………。」


何故かグレイスは淡く笑っている。ひどく穏やかな表情だ。


「貴方が私を嫌っている事位、ずっと昔から知っていました。何年一緒にいると思っているんです。
…………それ位、分かりますよ。」


囁く様に言うと、グレイスはオレの方へ一歩踏み出してくる。

呼吸が完全に整わないオレは、それに合わせてよろめいて後退さった。



「でも……ジャン。一度だけ言います。…………貴方がどれだけ私を嫌いでも、私は貴方の事、好きです。
貴方が私を嫌った分と同じ位、昔からずっと…貴方だけを好きでした。」



彼女の告白に、皮膚がざわりと粟立つ。


……………え。


嘘だろ…………。グレイスが。オレの事を…………?


だって、お前はマルコと…………



「まあ…だからどうこうという事は言いません。同じ気持ちでいて欲しいとも思いません。
………ただ。私は貴方の傍にいるのに相応しい人間になりたかった………。」


グレイスの静かな灯火の様な笑顔がくしゃりと歪む。眉根を寄せ、唇を噛んだ。

たったそれだけで、例え様も無い悲痛を表現している。


「………その為に、努力してきたつもりです。
一緒に育ったのに関わらず、私は貴方より随分と劣った人間でしたから……
強く…頭も良かった貴方の事が、羨ましかった。そして、憧れました。」


風が凪いで、グレイスの言葉は気持ち悪い程に良く聞こえた。

彼女は、その、怖い程痛々しい面持ちのまま、言葉を続ける。


「………別に、貴方に認められる為にやってきた事ではありません。貴方は気付かなくても良い事です。
私が………。勝手にやっている事です。」


はっきりとしていたグレイスの声が震え始める。その瞳は濡れた様な澄んだ光が宿り始める。


……いつか。あの、雨の夜を同じ様に。


「………………ただ。それを攻められる謂れはありません。
何故……他でもない貴方に、否定されなくてはならないのですか。」


グレイスはゆっくりと、呼吸した。その瞳はオレの事を逃す事無く捕え続けている。



「……………とても、悲しいです。」



それだけ言って、グレイスは固まるオレの脇を通り過ぎて宿舎へと真っ直ぐに向かった。



……………涙を、流してはいなかった。



ただ、その瞳に宿っていた光は情念の火だ。



あれで、オレの事をこの十数年間見つめ続けて来たのか。


その事実が、何よりも鮮明にオレがグレイスの心に刻んでしまった傷を表していると思った。



……………空を見上げると、銀砂を散らした様に美しい星空が広がっていた。


ひとつひとつが何かの意思を持って訴えてくる様に消えては灯るを繰り返していて、とても美しい光景である。



この時に、オレは、ふと……何の脈絡も無く、けれど確かに確信した。



もう…………戻れない。



今までの、よくあるちょっとした諍いとは訳が違うのだ。


オレがグレイスを許せなかった様に、グレイスもまたオレを許してはくれないだろう。



無かった事にするには………オレは。超えてはならない境界への一歩を、あまりにも大きく踏み出してしまったのだ。







私は……そのまま足早に、前をしっかりと見据えて歩いていた。凪いでいた風がようやく吹き始め、頬を優しく撫でて行くのが心地良い。



…………ジャンは。追いかけて来ない。



昔だったら、喧嘩して私が怒って立ち去ってしまう様な事があれば必ず……焦った様に走って来てくれたのに。



しかし……同時に安堵した。



今の顔を見られてはいけない。…………きっとひどく情けなく、見せられたものではないから。



(私……ちゃんと、いつも通りに振る舞えていたでしょうか。)



じわりと瞳の奥が熱を持つ。



(いいえ、きっと駄目だった。ジャンには全部見透かされている。)



それは溢れ出し、頬に熱く垂れていった。



『………貴方がどれだけ私を嫌いでも、私は貴方の事、好きです。』




…………言ってしまった。彼には伏せていたこの想いをよりによってこんな形で。


こんな想い、さっさと無くしてしまえば良かったのに。そうすれば、誰も傷付かずにすんだ。



まして、ジャンに伝えてしまう等もってのほかの事だった。


……ジャンはきっと傷付く。彼は優しいから……私への罪悪感で、いっぱいになってしまう筈だ。



自然と………どういう訳だか口角が上がっていくのを感じた。涙は止まらないのに、とても不気味な現象だ。



………それで、良いと、思ってしまったのだ。………ジャンが、苦しめば良いと思ってしまった。



「だって私ばかり……不公平じゃないですか。」


誰に言うでもなく呟きながら、遂に耐えきれなくなって膝を折る。



(なんてあさましくて………醜い愛なんでしょう。)



醜悪な自身の正体を知った気がして、涙は更に溢れ出して来た。

やがて喉の奥からは嗚咽がせり上がり、顔中の体液が皮膚を伝って真っ黒い地面へと吸い込まれていく。



(そう………。どんなに醜い感情だろうと、貴方の中に私が留まる事ができるのなら……それだけで、何もいらないと………思って、しまった、から…………。)


だから、ジャンが私の告白を聞いて表情を歪めてくれて、嬉しかった。これで彼が私をいくら拒否しようと、忘れる事はできない。



(なんで………なんで…………。)



昔憧れた、貴方にいつか想いを告げる時は、この様な形で訪れるものでは決してなかったのに。


こんな風になるのなら、私の気持ちがまだ美しさを保っていた時に伝えてしまえば良かった。それでお終いでも、美しい思い出となる事ができたのに。



(それでも…………)



…………それでも、私はこの道を選んだ。心を体を、少しずつ削り取られていこうとも、傍にいる道を。


傷付いても、今いる場所が正しいと……彼の幸せこそが、私の幸せだと………



でも、それももうお終いだ。



ジャンの幸せに私はいらない。



それどころか、彼を不幸にしてしまった、私なんかに………最早、傍にいる資格などは……………!!



……………嗚咽は激しさを増すので、それを必死で噛み殺そうとするが……無理だった。


遂に私は恥も外聞も捨て、額を地面に擦らせ、獣の様な声を上げて泣き叫んだ。

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