十五・告白

(※主人公がジャンに罵倒されるシーンがあります。また、ジャンを少々嫌な役回りにさせてしまっておりますので、予め謝罪させて頂きます。申し訳ありません。苦手な方はご注意下さいませ。)



「……………おや。」


「…………………。」



その夜。空の黒さも深まった頃、オレ達は運が悪い事に宿舎への道のりでバッタリと出会ってしまった。



「お風呂上がりですか?」

私もです。と言いながら、グレイスは自らの濡れた髪をくいと引っ張る。


「おや………ジャン。随分と髪が水を吸ってますね。ちゃんと拭かないと「うるせえ」


…………オレの身を案じての言葉だろう。だが、それは自身の予想以上に冷たい声によって遮られた。


オレの髪を触ろうとしてそろりと伸ばされたグレイスの掌はぴたりと静止する。………そして、元の位置へとゆっくり戻って行った。


「…………………。」


グレイスは少しだけ眉をひそめるが、すぐに気を取り直す様に軽く咳払いをする。



………………オレ達は、宿舎への道を並んで歩いた。


本当なら、この女を視界にいれる事さえ不快だったが、行き先が同じなのでどうしようもない。



「あ、あの。ジャン。」

「…………………。」


沈黙に耐えきれなかったらしいグレイスが声をかけてくる。勿論応える事などしなかった。


「ミカサ、とは………。」

「…………………。」


…………オレは歩く速度を速めた。グレイスの声は尻すぼみに小さくなる。

奴は慌ててオレに追い付き、また隣に並ぶ。そして再び、重たい沈黙。


「…………………。」

「…………………。」


オレ達はしばらく非常に居心地の悪い空気の中で歩を進めた。今日に限って、宿舎への道が倍程長く感じられる。



「…………グレイス。」


やがて、オレはゆっくりと口を開いた。……グレイスは驚きつつもようやくオレが声を発した事にホッとした様に返事をする。


「良かったなあ、4位。」


……………自分で言っていて、何故こんな発言したのかはよく分からなかった。


だが………確かにオレはこの時。腹に溜まりに溜まったどす黒いものがのそりと動き出すのを感じていた。



「オレよりも優秀な成績で、胸がすく様な思いだろう?」


まるで蛇の様に意地の悪い声である。グレイスの表情も、それを聞いて少しだけ強張った。


「……………。そんな事、ありませんよ。」


だが、流石はグレイスと言った所か。すぐに表情をいつもの涼しげなものに戻して当たり障りの無い返事をする。

その余裕のある態度が余計にオレを苛つかせているとは知らずに。


「運が……良かっただけですよ。それにジャン、きっと貴方がサボらずにきちんと訓練していれば、私なんかたちまち抜かして……もしかしたら上位3名にも名を連ねていたかもしれません。」


「………何が言いたい。」


オレが凄む様にして言えば、グレイスは小さく溜め息を吐いた。


「そんなに…怖い顔しないで下さい。ただ、貴方にはそれだけの素質があると言いたいだけです……。
これから2人…いいえ、マルコも入れて3人。憲兵団で切磋琢磨していく仲じゃありませんか。
………今日位、笑いましょうよ。」


そう言ってグレイスはにこりと笑ってみせる。

………ひどく無理をして作っている表情だ。それ位、すぐに分かる。


オレの反応の無さにもめげず……グレイスは笑い続けた。そしてゆっくりと手をこちらに差し伸べる。


「これから、3人一緒に……頑張っていきましょうね。」


そう言って握手を求めてくるグレイスの右手と歪な笑顔を眺めては、オレの脳裏には先程のマルコの腕の中に収まった奴の姿が過る。

最悪の気分だった。心の中には憎悪の黒いペンキが更に更にと重ねて塗りたくられて行く。



――――気付いた時には、遅かった。



渇いた音が、湿った空気の中。切り裂く様に響く。



驚いて、オレに叩き落とされた自分の掌を見つめるグレイス。その瞳の中にはひどい狼狽の色が見て取れた。



――――――しばし、時が止まった様に感ぜられた。



オレ達はそのままで、ただ動きを止めて、互いを見つめ合っている。何が起きたのか、双方、よく理解できていない。



「………え。」

そんな中、グレイスがようやくの思いで声を絞り出す。


「ジャン……どうしたのですか?」

心ここにあらずと言った様子だ。その目は見開かれている。


………それもその筈である。オレ達は、互いにどれだけ口汚く罵り合っても、本気で手を上げる事だけはしてこなかったから……


「………はっきり言えよ。」

オレの声は震えていた。全身は怒りで戦慄いている。


何に対しての怒りかはよく分からない。しかし、けれど。悔しくて、悲しくて溜まらなかった。


そしてそうだ……いつも、オレのこういった負の感情をこいつに背負わしちまうんだ……。



「お前……。正直に言えば、オレなんかとは付き合ってられねえ、って思ってるんだろう?」


オレの言葉にグレイスは目を瞬かせて意味が分からない、という表情をした。

自分でも正直、言っている事をよく理解できてはいなかったが、それでも言葉は止まる事はない。



「………オレには分かるんだよ。お前がいつもオレの事を見下しているってな。」

「違います……!そんな事は一回たりとも「ならもうオレに構わず同じくクソ真面目同士なマルコといろよ!!!」


奴の言葉を遮ったオレの声は予想以上に大きかった。グレイスは思わず、びくりと肩を震わす。


そして、二人の間にはまた重たい沈黙が横たわる。


グレイスは困惑の表情でこちらを見つめている。……恐らく。オレが何にここまで腹を立てているのか、皆目見当がついていないのだろう。



「………もう。オレに話しかけるな。関わるな。世話を焼かれるのもごめんだ。」


………静かに。先程とは打って変わり、変に落ち着いてそう言うと、オレはグレイスから視線を剥がして足早に宿舎へと向かう。

後ろからは、すぐにグレイスが追いかけてくる気配を感じた。



「…………ジャン!?待って下さい。お願いです…!!」


微かに震えるグレイスの声を無視してオレは歩き続ける。


「ジャン。私が何かしたのなら言って下さい。不備があったのなら、私は貴方に謝りたい……!」


その言葉に、オレは重たい気持ちで足を止めた。

振り返ると、グレイスはこちらを真っ直ぐに見つめていた。強い視線だ。そのまま飲み込まれそうになる。


…………その視線と同じ様に、真っ直ぐな言葉だった。こいつはいつもこれなんだ。正しい事しか言わず、行わず。



オレは…正直、その愚直なまでの奴の習性を…苦手に思い、馬鹿にしていた。


………そうだ。本当は、見下していたのはオレの方なんだ。



だからこそ……元はオレより劣っているこいつが、一歩ずつ努力を重ねて自分より優秀になっていくのが堪らなく嫌だった。


…………けれど、本当は。本当に嫌悪を抱く対象はオレ自身だったんだ。オレはそれを指をくわえて見ているだけだったから。


同じ様に努力する事もせず、ただ馬鹿にして。自分の幼稚さが心底嫌になる。



「………確かにお前は努力家で……絵に描いた様な秀才だよ。」


だが、それを自覚したからと言って今のグレイスに優しくできる訳が無かった。

口を吐いて出るのは眼前の何の罪も無い幼馴染を傷付ける言葉だけだ。



「けど、何故それをオレに押し付ける…?余計なお世話なんだよ。」



心の何処かでは警鐘が大きく鳴り響く。

それ以上、言っては駄目だ………。戻れなくなる………!!



「オレはな……ずっと昔から、そうやって自分の優秀さを鼻にかけたお前の事が大嫌いだったんだよ!!!!」



一際大きな声で叫んだ後。不気味な程の静寂。虫すらも鳴いていなかった。


グレイスは目を見開き、微動だにせずオレの事を見つめている。


対してオレは肩で息をして、呼吸を整えようとしていた。だが、いくら息を吸っても吐いても、体の内は楽にならない。全身は痺れた様な不快な感覚に陥っていた。

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