十五・一番星がふたつ(みっつ)
「ああ…疲れた…」
ある日の訓練後、ジャンはマルコの隣で一言零した。
解散式にも日にちが近い本日の訓練は、採点されていた事から考えるに訓練終了時の順位に大きく影響するのだろう。
いつも以上に気を張って望んだのに関わらず、結果は狩猟お気楽コンビに邪魔されて散々だった。
それを思い出しては、ジャンの体に色濃い疲労がのしかかる。
「…………あれ。」
ふいに、マルコが口を開いて前方を指差す。ジャンもまたその方を向いた後、溜め息を吐いた。
丁度、いつもの幼馴染が軽く手を上げてこちらに早足でやってくるところだったのである。
「マルコ、ジャン。お疲れ様です。」
珍しく微笑んだ表情でグレイスは二人の前に立った。
………その態度から、どうやらジャンとは対照的に彼女はいつもの様に四角四面、至って真面目に自分が納得いくまでとことん訓練をやり遂げたのだろう。そこはかとない充足感が取り巻く空気から感じ取れる。
「グレイスもお疲れ。」
マルコもそう言って笑いながら少し乱れたグレイスの髪を整えてやった。
………親密なその仕草に、ジャンは些かの苛立ちを感じたが、それは無かった事にしようと胸の奥にしまい込む。
「随分遅かったね。何かあったの?」
マルコはきちんと整ったグレイスの髪を眺めては自分の仕事に満足がいったらしい。とても満ち足りた表情で質問をする。
「どうせ正義の粘着質で作業してたんだろ。丁寧なのは良いがお前のやり方は日が暮れるぞ」
「まあ。その通りですが………、そう言うジャンは雑過ぎです。
貴方みたいに早い・安い・マズい仕事しかできない人間は一定の需要しか見込めませんよ。」
…………そしていつもの小競り合いが始まるのである。
マルコは毎度の事ながら二人の間に立たせれて非常に胃の痛い思いをさせられていた。
「………で、そう言う貴方たちは集まって何してたんです?」
ここはマルコの顔を立てて引き下がりましょう、とグレイスは話題を変える。相も変わらず癪に触る彼女の態度にジャンは舌打ちをした。
「………マルコは指揮役に向いてるって話と、どこぞのハナクソ野郎がこの暑さでくたばり申さねえかなって話だ。」
「馬面な上に馬鹿なんて貴方本当に可哀想ですね。」
「おう言いやがったなてめえ」
…………収まりかけた風に見えた二人の対立がより激化しそうなこの光景に、マルコは額に手を当てて溜め息を吐いた。
それに気付いたグレイスが場を仕切り直す様に咳払いをして「………まあ、確かにマルコは指揮役に向いてますね。」と相槌を打つ。
「そうかな………」
滅多に人を褒めないグレイスにまでお墨付きをもらって、マルコはいよいよ照れながら後頭部をかるく掻いた。
「そうですよ。貴方は決断力があるし、何よりとても優しい。間違った事は決してしないと、安心してついて行く事ができます。」
グレイスの口からこんなにも沢山の賛辞が聞けるとは思わなかったマルコは、思わず赤面して「あ……ありがとう。」と礼を述べた。
「でも……僕はジャンの方が指揮役に向いてると思うな。」
そんな二人のやり取りを少々面白く無さそうに眺めていたジャンは、急に出て来た自分の名前に驚いた様にする。
「オレが?冗談だろ?勇ましくなんかねぇぞ」
無愛想に応えると、マルコは曖昧に笑ってからゆっくりと口を開く。
「怒らずに聞いてほしいんだけど…ジャンは…強い人ではないから弱い人の気持ちがよく理解できる。」
「…何だそりゃ」
マルコの唐突な発言にジャンの口調はやや困惑していた。それに構わずマルコは続ける。
「それでいて現状を認識することに長けているから、今何をするべきか明確にわかるだろ?」
…………グレイスもまた、彼が何を言わんとしているのかよく理解できた。だから相槌すら打たずに黙って耳を傾ける。
「まあ…僕もそうだし大半の人間が弱いと言えるけどさ…それと同じ目線から放たれた指示ならどんなに困難であっても切実に届くと思うんだ。」
そこでマルコは少しだけ恥ずかしそうに言葉を終えた。
………ストレートに褒められる事に慣れていなかったジャンは、顔にじわりとした熱が集まるのを感じる。
「い………いや。その、………いや。そんな事ねえよ。やっぱり、お前の方が向いてるよ。」
そして、しどろもどろになりながら言葉を返す。
彼のそんな挙動を見て、どことなく微笑ましくなってしまったグレイスとマルコは目配せをし合ってくすりと笑った。
「いや。ジャンの方が向いてるよ。絶対に。」
「ちっげーよ。お前の方が絶対に絶対向いてるってば。」
「そんな事ないよ、ジャンの方が」
「いやお前の方が「はい、そこまでです。」
そこでグレイスがジャンとマルコの間に涼しげな顔で割って入る。
「どっちが向いているとかでは無いでしょうに。」
言いながらグレイスは二人の腕を抱き込みながらおかしそうに笑った。
「どっちもきっと、素敵な指揮官になりますよ。私が保証します。」
「………別に、お前に保証されたって嬉しかねえよ」
ジャンは、組まれた腕の先で笑みを零し続ける少女に向かってひどく不機嫌そうに応えた。……少しだけこちらにあたる柔らかさから必死に気持ちを逸らす様に。
「つくづくジャンは素直じゃないな……」
それに続いてマルコが呆れながら零す。
「なんだよ、マルコ………」
横目で睨んでくるジャンの視線を交わしながら、マルコもなんだかひどく愉快な気持ちになって、笑った。
「このままいけばきっと...二人は憲兵団の一番星になれるでしょう。私の自慢の友人達です。」
この日のグレイスは、いつもと別人の様に饒舌だった。二人の腕を抱く力は徐々に強くなっていく。
「.....グレイス。君もだよ。きっと皆から慕われる人間になる。」
マルコが優しくグレイスへと言葉をかければ、彼女は少々恥ずかしそうに頬を染めた。
…………この二人は、揃いも揃って褒められる事に慣れてないのだろうか。グレイスの反応を見て、マルコは小さく溜め息を吐いた。
「ありがとうございますマルコ。………嬉しいです。ただ、きっと私は指揮官には向いてません。」
空を見上げたグレイスの声はひどく穏やかで、凪いだ午の景色を思わせる。
「…………どうしてそう思うんだい?」
マルコが尋ねると、グレイスはうふふ、と小さく笑ってみせた。
「だって、指揮役になったら好き勝手できないじゃないですか。
二人が業務に追われているのを見ながらに優雅に暇を持て余しつつココアを飲むのが今の所の私の夢なんですよ。」
…………彼女の答えに、マルコは苦笑、ジャンは心底嫌そうな顔をする。
「お前って性格悪い上に正直者だよな………。」
「15年幼馴染やっていてようやく気付いたんですか。」
「僕は結構前から知ってたよ。グレイスは意外と自分に素直な所があるよね。」
「ええ。私だって石でできている訳じゃないんです。時には本当の事を言いたくなります。」
それが信用している人になら尚更です。と言いながらようやくグレイスは二人の腕を解放する。
…………話し込んでいる内に、青かった空はいつの間にか茜空にと染まっていた。
三人は言葉を交わしながら陽が彼方へと傾き、遠くの山や森が一様の影絵となって、赤い空に写す方へ歩を進めて行く。
三者三様の表情を描いてはいたが、皆胸中はどこか優しい気持ちで満たされていた。
グレイスが………自分が指揮役に向いていないと思う理由は、本当は他の所にあった。
彼女にとって、兵士でいる喜びはジャンの傍に居る喜びである。
傍に居て、支える事に生き甲斐を感じていたグレイスにとっては立身等とどうでも良い事だったのだ。
(…………私は、まだ夢を見続けてしまうのだろうか。)
一番に距離が近いからと言って、一番に想われる事は無い。
傍に居るからこそ惨く傷を負う事だってある。
そんな事は分かり切っているのだ。
(でも……………)
それでも傍にいたいと私の心は言っている。だから愚かしいまでに正直に、この15年間、ずっと……………
(私、被虐の嗜好があったんでしょうか。)
グレイスが思わず自嘲の笑みを漏らすと、マルコが何か面白い事でもあった、と尋ねてくる。
彼女は首を振って何でもありませんよ、と答えた後、一層笑みを深くするのだった。
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