十五・夏は巡る

――――――そして、季節は巡り、ここに来て3回目の夏がくる。



「ジャン!!」



聞き慣れた不機嫌そうな声がしてジャンの肩はびくりと震える。


…………次に、うんざりとした感慨がその胸の中で湧き上がった。…………クソ、ここも見つかったか。



「貴方…!いくら採点されないとは言え訓練をサボるとはどういう了見です。そんな事では国民の皆さんを守る立派な憲兵になれませんよ。」


そう言ってグレイスは軽く腰に手を当てて木の幹にもたれて座っていたジャンの事を見下ろす。


ジャンもまた逆光で影になっているグレイスの顔を見上げては舌打ちをした。


「………舌打ちは人の顔を見てするものではありません。不快ですので壁に向かっていくらでもどうぞ。」

「うるせえ目の下ハナクソ野郎。」

「生憎ですが私はハナクソでも野郎でもございません。」

「じゃあなんだ?耳くそ淑女か?」

「貴方自分で言ってて恥ずかしくならないんですか?」

「おいその虫けらを見る様な目をやめろ。」



グレイスとジャンの間には不穏な空気が横たわる。互いに一歩も退かずにじとりと睨み合った。



「ちょっと………二人とも、喧嘩は駄目だよ。」


そこに、グレイスよりも少し遅れてやってきたマルコがまあまあ、と苦笑しながら割ってきた。


それによって場の空気はいくらか和やかになる。



「ほら、グレイス。………もしかしたらジャンにだってどこか具合が悪いとか、事情があったのかもしれない。とりあえずは理由を聞いてみようよ。」


未だにジャンを鋭く睨み下ろしているグレイスの肩に手を置いてマルコが落ち着かせる様に言った。


しかし……グレイスは、その刺々しい視線のままマルコの事を見上げ、「いけません、マルコ。」と盛大に眉間に皺を寄せる。



「…………貴方がジャンを甘やかすから、これがどうにもならないちゃらんぽらんになるのですよ!
この甘ったれには少し厳しい位が丁度良いのです!!」

「………いや、だが。しかし………」

「理由なんてどうせダルい眠いお腹が減ったのどれかです。世の中の人間全員が貴方みたいに真面目に生きている訳では無いのですよ。」


そう言いながらグレイスはジャンへと右手を差し伸べる。………『立て』という事だろう。


ジャンはそれを少しの間眺めては、渋々と言った体で捕まって立ち上がる。………彼女の手は、この暑さの中で少しだけしっとりとしていた。



……………ジャンが手を離した後、グレイスはしばらくの間自分の掌を見つめていた。


そして、何かを話し込むジャンとマルコに気付かれない様に、胸の辺りでそっと……もう片方の手で握って、深く呼吸する。



……………その様子に、マルコは気付いていた。そして彼女の胸の内を思っては、ひどく切ない気持ちになるのだった。



…………………。



あの日から…………数年の歳月が流れても、やはりグレイスはジャンの事が好きなままだった。


我ながらひどく諦めが悪いと思う。………だが、最早気持ちを失くす事は不可能と言って良い。


きっと………ずっと好きなのだろう。今までも、これからも。想いが遂げられないと分かり切っていても………。



「ほら、ジャン。早く戻らないと訓練が終ってしまいますよ。喜びなさい、今度は逃げない様に私が貴方のペアになってあげます。」


「いらねえよ、誰がお前なんかと…………痛っ……!?」


「おやごめんなさい。掴みやすそうな耳があったものですから、遂。」


「痛い痛いいてえよこのクソ野郎!!!」


「生憎ですが私はクソでも野郎でも「その返しムカつくからやめろ」


「…………今日も二人は仲良いね。」


「本当にそう思えるなら今すぐ眼医者に行かれた方が良いですよ、マルコ。」



並んで歩くと、微かな風が三人の頭髪を揺らして行った。それが心地良くてジャンは少し遠くに視線を送る。


空にはみずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光るこの季節の雲が湧き上がり、この夏も暑くなる事を大いに予感させていた。



……………ジャンと、グレイスの関係は一見、元に戻った様に見えた。


相変わらずグレイスはジャンに厳しく、ジャンはグレイスを邪見にする。それでも、何故か二人は一緒にいる。そんな関係に。


……………二人は、暗黙の了解の元にあの夜の出来事に触れる事は決して無かった。


それで、どうにか上手くやっている。


だから、ジャンは………今までも、これからも何年かぶりに見たグレイスの涙には気付かないふりをしていくつもりだった。


…………グレイスもまた、それを望んでいる筈だ。きっと。

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