十三・柱時計がある講義室 下

「こんな時間に整備ですか。マメな貴方らしいですね。」

視線は整然と並べられた装置の部品に落とされたまま、グレイスは僕に語りかける。


「そういう君もマメみたいだね。」

僕もまた自分の作業を進めながら返すと、グレイスは「ええ、それほどでも」とほんの少しの笑みを漏らしながら応えてくれた。


「そこは謙遜しておきなよ………」


「良いじゃありませんか。私は正直が好きです。」


(あれ……………)


会話を続けながら少し不思議な気持ちになる。………苦手だと思っていたのに………おかしいな。普通に話ができるじゃないか………。


グレイスの髪は濡れているらしい。石鹸の香りが少し漂ってくる事から考えると、自分と同じく風呂上がりなのだろう。



「……………グレイス。」


名前を呼ぶと、当たり前だが彼女は「はい。」と返事をする。僕は少しの間を置いてからゆっくりと口を開いた。



「訓練時間外に立体起動装置を使用する事は、原則では禁止されてるって………知ってた?」

僕の言葉に、グレイスの作業する手付きが静かに停止する。


「………ええ。勿論。」

彼女はこちらに時間をかけて視線を寄越した。薄い暗がりの室内でも、彼女の瞳の色だけはくっきりと浮かび上がる様に見える。


「さっき………倉庫に僕の装置を取りに行った時、偶然君のものに触ってしまったんだ。」

歪んだ歯車の表面を撫でながら僕は言葉を紡いだ。グレイスは黙って耳を傾けている。



「………凄く、熱かった。」


彼女の目力は強かった。気圧されそうになる。


外、草の中では虫の音がしている。静まり返った室内に、その音は透きとおって響いていた。


やがて、グレイスは唇に弧を描いて小さく笑う。そして僕に向かって一言、「………見逃して下さい。」と言ってのけた。


僕はというと………その、悪戯っぽい仕草に何というか……毒気を抜かれてしまったというか、ぽかんとしてしまった。


しばし微笑む彼女を見つめた後、後頭部をわしわしと掻く。


「まさか、君の口からそんな言葉を聞く事になるとはな………」

さっきのおばけ発言もそうだが……グレイスは、僕が思っている程厳しい人間では無いのかもしれない…。



「でも、夜に飛ぶのは危険だよ。」

止めた方が良い、と僕が言えば、グレイスはそうですね、と目を少し伏せて返事をした。

きっと、僕の忠告は全く持って聞き届けられていないのだろう。



少しの沈黙が二人の間に降りてきた。


相も変わらず虫の音だけは静まり返る室内に木霊し続けている。

ジエナの野で聞く虫の声とは似もつかなかった。この似つかぬ事と外に広がる野原とがなんとなく胸を痛めた。

一時途絶えた追懐の情が流れるように漲ってきた。母の顔、父の顔、友人の顔が走馬燈のごとく旋回する。



…………隣にいる至極冷静なグレイスにも、そんな風に故郷を懐かしむ気持ちを持つ事があるのだろうか。


ああ、そういえば………彼女は、ジャンと同じ出自だったっけ…………



「…………ねえ。」


虫の音の間を縫って、僕の声は不自然の大きく聞こえた。グレイスは作業を止める事はせず、耳だけをこちらに傾けているのを気配で伝える。


「君はさ………僕の覚えでは、立体起動はジャンと並んでひどく優秀な筈だ。」


「そんな事ありませんよ。」

おや、正直が好きな筈のグレイスが謙遜した。………照れているのか?


「そんな事あるよ。………何で………それでも尚、四角四面に真面目な筈の君が、規則を破ってまで練習に打ち込むんだ。
……………もう、充分じゃないか。」


グレイスは黙っている。まるで、僕の言葉が聞こえていなかったみたいだ。



「馬鹿言っちゃ駄目ですよ。」


ふいに、グレイスは静かな調子を一段張り上げて言葉を紡ぐ。


「私がジャンに並んで優秀?
ありえませんよ。………笑い話にすらなりません。」



その声の節には痛々しさが感じられる。………どうやら、照れでも謙遜でも無い、本気でそう思っているらしい。



「…………そうかな。僕にとっては、二人が二人共とても優秀で……いつも、肩を並べている様に思うけれど。」



僕の、手の届かない所で。



グレイスは僕の声の中に籠っていた強張りには気付かなかったみたいだ。「そうですか、ありがとうございます。」と事務的に応えてみせる。



「…………昔から。」



………少しして、ごちゃごちゃとした部品が取り除かれ、むき出しになったブラックボックスを何の感慨も無く見下ろしながら彼女は声を発した。


「昔から、ジャンが欠伸をしつつ片手間の労力で手に入るものは、私にとって過呼吸になりながら懸命にもがいても届かないものばかりでした。」


いつの間にかグレイスの手の動きは止まっており、その掌は軽く組んで机の上に乗せられていた。


「…………ジャンは確かに優秀です。ああいうのを、天賦の才能の持ち主…天才と言ってもいいのかもしれません。
天狗になるでしょうから、本人には絶対言ってやりませんけどね。」



ここでグレイスはようやく自分の手の動きが止まっていた事に思い当たったらしい。そろりと掌を解いて作業を再開する。


もう折り返し地点に来ていたらしい。また、ひとつずつ部品が元に戻され、ブラックボックスは徐々に見えなくなっていく。



僕は少し苦笑いしてから、何だかんだで全く進んでいない自分の作業状況を眺めた。


「じゃあ、ジャンのあの傲慢な性格は才能が賦与されている事に対する自覚の無さ、ありがたみの無さから来てるのかな」


…………呟きながらどうにか作業を進めようとするが、中々身が入らなくて苦労する。


あ………そうか。僕………歯車の替えがもう、無くて…………



「全くです。非常に腹が立ちますね。蹴っ飛ばしたくなります。」

グレイスが苛立ちを込めてぎりぎりとネジを締める。これだけ力をこめると次に開く時に苦労しそうだ。



「…………そして、やはり。どんなに頑張っても私とジャンの差は縮まりませんでした。」

てきぱきと淀み無く作業を続けながらグレイスは零す。………今日の彼女はいつもの数倍口数が多いな。日頃の鬱憤が溜まっているのだろうか。


「私は何をしても鈍臭くて無能な自分に憤りました。
そして……ある年齢に達すると悟るんです。同じ環境で共に育っても、持っている人間と、持たざる人間が存在してしまう事を。」


グレイスは僕が作業する傍らに転がっていた例の古びて歪んでしまった歯車をひょいと摘まみ上げて眺めていた。

「随分歪んでいますね。」と眉間に皺を寄せながら呟くと、自分の道具入れから新しい歯車をひとつ取り出す。


「…………でも、マルコ。」


そして僕の左掌をそっと握ると、上に新品の歯車をゆっくりと置いた。


「足りないものは、補う事ができると………私は信じているんです。」


彼女の顔に視線を寄越すと、やはり強い力を持った双眸がこちらを捕えている。先程と違うのは、それが穏やかに細められていた事だ。



「………いけない。」



…………僕の手を握ったままでグレイスがハッとした様に言葉を漏らす。その声には少しの焦りが含まれていた。



「………喋り過ぎましたね。何だか恥ずかしいです。」

そう言いながら彼女は僕の掌からそろりと手を離していく。………格好悪い所を見せてしまいました……と非常にばつが悪そうに頬を染めながら。


…………僕は、離れていこうとする彼女の掌を握り直して目を伏せる。グレイスが、小さく息を呑む気配がした。



「格好悪くなんかないよ。」

握る掌に力をこめながら零せば、彼女は驚いた様に目を瞬かせる。


「…………格好悪くなんか、ない。」


もう一度、唱える様に言った言葉は誰に向けてのものだろう。答えは自分が一番に知っている筈だ。



入口近くの柱時計が日付を超えて一時間になる事を知らせている。僕は掌に触れる固い歯車と、彼女の掌の柔らかさを交互に感じながらゆっくりと目を閉じた。



後には虫の声と時が刻まれる音が交互に響くばかりで、とても静かな夜だった。







次の日の昼休み………ジャンはマルコと共に、教官から言いつけられた資材運びをこなしつつのんびりと晩夏の気配漂う野原を歩いていた。数歩歩く毎に「たりー」「だりー」を連呼しながら。



そんなジャンの文句垂れに辟易としていたマルコだったが、ふと、ある棟を通りかかった時にその足を止める。


ジャンがどうした、と言って振り返ると、彼は窓の向こうの人影にじっと視線を寄越していた。



「…………グレイスだ。」



マルコはぽつりと零す。窓の中には堆く聳える書架の山。図書室だろう。そんな中で、グレイスは何かを必死で記している。



「ああ?」

いけすかない幼馴染の名前を聞いて元よりよろしく無かったジャンの機嫌は更に悪くなる。


そして彼女の姿を発見すると、「まーたやってんのかあのガリ勉は」と死ぬ程呆れた様に溜め息を吐いた。


「貴重な昼休みを消費してまでお勉強たあ流石優等生だぜ。オレには理解できねー。」


良い子ちゃんは点数稼ぎに必死だなあ、とグレイスの様子を小馬鹿にしながらの発言に、マルコは「………そんな事、言うなよ。」と彼女を眺めたままで応える。


彼の発言に、ジャンは少々驚いた様に「…………は」と声を漏らした。


「折角頑張ってるのに、そんな事言うなよ。可哀想だろ。」


マルコはジャンの方へ向き直ると、至って真面目な声色で告げる。

…………彼の真剣な表情に、ジャンは「お、おう………。」とはっきりしない返事をする事しかできなかった。


「おっと、ここでボサッとしていたら昼休みが終ってしまうな。」

マルコはもう一度グレイスの方を眺めた後、思い出した様に言うと、何処か足取り軽く歩き出す。


ジャンもまた少々遅れてその背中を追う様に早足で歩き始めた。



……………こいつ。前は、オレがグレイスの事をどれだけ冷やかす発言をしてもまた始まった、とばかりにスルーしてたのに………急に、どうした?


胸の内では何とも言えない嫌なものが湧き上がる心地がした。………だが、その原因はよく分からない。



まあ、マルコがグレイスの事を庇おうとオレには何も関係ない。真面目な奴の事だ。オレの行為を諌める言動はおかしな事でも何でもねえ……。



ジャンは気を取り直す様にひとつ咳払いをした。少しだけ気持ちが晴れた様な気、だけはしたが……まだ、胃の辺りには何とも言えない具合の悪さがわだかまっていた。



勿論、気付かないふりをした。

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