十二・川沿いの道 下
「ジャン」
少し歩いた時、ふと後ろから声をかけられる。…………一番聞きたく無い奴の声だった。
何も応えずにいると、そいつはオレの隣に並んだ。頭ひとつ低い身長。…いつ抜かしちまったんだろう。もう、覚えていなかった。
しばらく無言で川沿いを歩くオレ達。
青い水に臨んだ山梔子が初夏の柔らかな風に吹かれて、ほろほろと白い花を落とすのが見える。
高い空にはみずみずしくふくらみ、はっきりした輪廓を描いて白く光る夏の雲が浮かんでいた。
身体を取り巻く大気も、纏わりつく様な、独特のあの季節の体を保ち始めている様である。
「………何の用だよ」
ようやくオレは口を開いた。意地を張っていては日が暮れてしまいそうだ。
「用……。用は、特にありません。」
「……は」
グレイスはオレの方を見上げてくる。何故か笑っていた。
「貴方と二人でここで過ごすのも、あと少しです。……そう思ったら、傍にいたくなりました。」
「何だそりゃ。気持ち悪りい」
そう言ってオレが歩く速度を上げると、グレイスもついてくる。
……………また、オレ達は無言で道を歩いた。
本気で走れば振り払えたかもしれない。だが…どういう訳だか、その時のオレはそれをしなかった。早足ながらも、並んで歩ける位の速度で、馴染んだ砂利道を歩いた。
「……さっきは、ごめんなさい。」
ふと、グレイスが口を開く。らしくない発言に何だかぞっとして奴の方を見た。
「少し、言い過ぎてしまいましたね。貴方はとても格好良い男性だと思いますよ。ちょっと馬よりではありますが。」
「うるせえ。」
グレイスの頭をどついてやろうとするが、それは器用に躱されてしまった。
「……それに、兵団ではまた素敵な出会いがありますよ。………今度はきっと、大丈夫です。」
そう言いながらグレイスはオレの一歩前に出た。こちらを振り返るその顔はやはり笑っている。
青い、小さな林檎の実が鈴なりに奴の向こうの畑にはなっていた。
それを眺めていると、「だから、自信を持って下さいね…」と呟いてグレイスは前を向いてしまったので、その表情は伺えなくなった。
オレは足を踏み出してその隣に並んだ。‥‥‥何故だか、衝動的に手を繋ぎたくなる。が、勿論行動には移さなかった。
「…………お前さ、」
代わりに歩く速度を緩めてやりながら再び声をかける。グレイスは何も反応しなかった。
「本当に…………、オレの母親に言われたってだけで、オレについて、訓練兵になるのか。」
「………そうですよ。」
グレイスはこちらを不思議そうに見上げながら言う。その返答に、どういう訳だか胸が激しく支えた。
「本当に、それだけか。」
詰め寄る様にもう一度尋ねる。グレイスは首を傾げて、「そうだと言っているでしょう。」と事も無げに答えてみせた。
「しつこい男はモテませんよ。」
奴はいたずらっぽく言いながらオレの頬をつねった。やめろよ、とそれを振り払う。
「どうしてそんな事が気になるんです?」
「何でもねえよ、馬鹿。」
「失礼ですねえ。」
「……………馬鹿。」
「ジャン……?」
それから、オレ達は今度こそ無言のままで家路についた。
最も、オレとグレイスの家は隣同士だから、その路の上もずっと並んで歩く事になる。
奴はいつもと変わらず、この蒸し暑さの中涼しげな顔をしてオレの隣にいた。
なあグレイス。オレはやっぱりお前が嫌いだよ。
その証拠に、傍に居ると全身が焦げ付く様な、叫び出したい様な感覚に襲われるんだ。
嫌いだ。
嫌い。
……………本当に?
当たり前だ。何故ならあいつもオレの事を嫌っている。
だからオレだって嫌ってやるんだ。
そう、それで良い。
これで、おあいこだ。
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