最後の星が消えるまで | ナノ


▼ ベルトルトに読書を邪魔される

部屋は本が捲られる音と時計が時を刻む音だけが支配していた。

姉さんは本に集中すると全く周囲に反応を示さなくなる。

少し寂しい気もするけれど、その時はじっくりと彼女の艶やかな黒髪や涼しげな目元、僕と似ているけれどどこか女性らしい柔らかな顔立ちを観察できるから嫌いではない。
更に触ってもあまり嫌がらないから時々そっとその肌に触れる事もある。

今日も図書室で本を読みふける彼女をじっと隣から見つめていた。

本当に....自分と似ているのに何でこんなに愛おしく感じるのだろう...。
いや、似ているからこそ愛おしいのだろうか.....。


「ベルトルト、穴が空くわ。」

姉さんが抑揚の無い声でそう言った。恐らく照れているのだろう。僕には分かる。

「そう?」

とだけ言って見つめる事をやめる気配の無い僕に、彼女はひとつ溜め息をついた。

室内はひっそりとしていて、時計の音ばかりが大きく聞こえる。

とても心安らかだった。



「ねぇ姉さん.....」
耳元で囁く様に呼びかける。

「どうしたの」
姉さんは視線を本に固定したまま、けれど優しい(に違いない)声色で答えてくれた。

「首、見えてるよ」
とんとんと自分のものを指先で叩いて教えてやる。

彼女はさっと顔色を変えて首元まできっちり止まった襟を更に引き上げた。

「嘘」

そう言って柔らかく笑うと姉さんは呆れた様にこちらを見る。


.....姉さんが本ばかりに集中しているから飽きてしまったんだ....。
ちょっとは構ってくれたっていいじゃないか....。


「なんでそういう吐く必要の無い嘘を吐くのかしら」
理解に苦しむわ、と彼女は再び本に視線を落とす。

「.....僕と二人の時は別に見えたっていいじゃないか」

「.....それが元で誰かに勘付かれると面倒よ。細心の注意をはらえなければ戦士とは言えないわ」


......姉さんの首元、そして体には縦横無尽に巨人化後にできる跡が傷になって残っている。
だからいつも首元まで襟があり、かっちりとした長袖の服を着てそれを隠している。

僕やライナー、アニにとっては数分もすれば完全に消えるものだけれど、姉さんはシガンシナ区の壁を破った時からずっとそれが治らない。


姉さんは僕らと同じ巨人になれる人間だ。
.....しかし何処かそれは不完全で、傷の治りも遅く、巨人化できる頻度も限られている。


彼女は不完全な....出来損ないの巨人なのだ。
......でもそれも良いと思った。
姉さんが出来損ないなら、僕がそれを助ければ良い。

何事も完璧にこなす彼女の事を助けられるのが、すごく嬉しかった。

.....僕だって、姉さんの力になりたいんだ....。



本を読む彼女の腕に優しく掌を這わし、袖を留めているシンプルな黒の釦をプチンとはずす。


「ベルトルト、やめなさい」

.....相変わらず眉ひとつ動かさない上に視線は未だに活字から離れない。

姉さんが取り乱した事等、僕は一回として見た事は無い。

......いつだって...彼女は冷静で、頼れるみんなの姉さんなのだ...。


すっとブラウスの袖をめくると痛々しい傷跡が白い肌の上を走っていた。
僕はその線をそっとなぞる。


「......やめなさいと言っているでしょう....。」


流石に彼女にも少し焦りの色が見えて来た。

掴まれていた手を自分の方へ寄せて袖を元通りにしようとする。

それをさせない様にもう一度その腕をしっかりと掴み直した。当然力では彼女に勝ち目は無い。


「......姉さんのこの傷跡を....見た事があるのは僕だけなんだよね....」

赤黒く傷跡が走る腕をじっと眺めながら彼女に問う。

姉さんは自分の傷跡を見たくないらしく、それから目を逸らしていた。

「.....人に見せるものではないわ」
見たがるのも貴方だけよ、と彼女は肯定の意を表した。

それがたまらなく嬉しかった。
誰も知らない、ライナーやアニでさえ存在は認知していても見た事が無い姉さんの傷を僕は知っている。


「僕と二人の時は楽な格好でも良いんだよ?前もこの服は息苦しくて嫌だって言ってたじゃないか」

「見ていてあまり気持ち良いものじゃないでしょう....」

「そんな事ないよ....大丈夫。どんな姉さんだって僕は大好きだから.....」

姉さんを不安にさせない様にその手をそっと握る。


「そう.....貴方は相変わらず優しい子ね.....」

彼女は静かに目を閉じた。僅かに漂う寂しげな気配はいつも僕の胸の内にさざ波の様な波紋を広げる。

「....何があってもずっと一緒に....僕が傍にいるから...」
しっかりと姉さんの掌を握りしめながら囁いた。

「ベルトルト....私に気を使わなくて良いわ。.....姉さんは一人でも大丈夫。
....貴方は、貴方が思う方へ行けば良い。」
しかし彼女はやんわりと僕の手を解き、袖を直して釦をしっかり留めてしまう。

何だか想いを拒否された様で途端に哀しくなってしまった。

「何でそういう事言うの?そんな日は一生来ない......!
僕は姉さんの傍から絶対に離れたりしないよ......!」

泣きそうな声でそう言うと、彼女はしばらく僕を見つめた後に「ごめんなさい。思慮が足りない発言だったわ。....許して頂戴。」と静かに言った。

姉さんは表情が豊かとは言えない女性だけれど、僕に何かあった時だけは必死になってくれる。

それが嬉しくて大袈裟に悲しんだりする事がよくある、というのは秘密だ。


「じゃあ僕達はずっと一緒だと言ってくれる?」

「そうね......。ずっと、一緒よ.....」

「姉さん.....ありがとう......」


この言葉は魔法の言葉だった。
姉さんの口からそれが紡がれるだけで僕は何でもできる気がした。


何があっても僕達は...ずっとずっと一緒だから.....


 


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