▼ ベルトルトの誕生日 後編
「お誕生日おめでとう。……プレゼントは何が良いのかしら。」
アルマがそっと握り返しながら聞く。
………少し考えたあとに「もう沢山もらっているから、良いよ。」と苦笑すれば…「確かに精魂全て奪われた気がするわ…」と彼女が空いている方の手で目元を覆った。
えっ…そんなに……?
無自覚なのがつくづく恐ろしいところね
ご、ごめん。
良いのよ謝らなくて。謝り過ぎるのは悪い癖ね。
アルマが幽かに笑う。夜に埋もれる星影みたいに儚くて頼りない微笑だ。
でも僕はそれが好きだった。本当に安心しているときしか現れない表情だと知っているから。
「……冗談で言ったの、気にしないで。それに貴方といなかったら…きっと一人で泣いてしまう夜だって多かった筈よ」
一緒にいると温かくて良いわね。と彼女が更に身を寄せてくるのでその体温に感じ入る。柔らかな皮膚と優しい香りが心地良い。
そして同時に胸を鷲掴まれる感覚に陥った。
身体はこれでもかと言う位近くにいるのに、もっと傍に感じたくなる。好きとか愛しいとか全部を通り越しているこの感情に、どう説明をつけたら良いのかすらよく分からなくなった。
苦しい。幸せだけれどとても苦しかった。
だから、「でも…離れると寒さがより応えて、苦しいよ…」と漏らす。
「じゃあ一緒にいない方が良いのかしら」
「…………え?」
「嘘よ。そんなに強く掴まれたら痛いわ。」
貴方に冗談が通じなさ過ぎるのか私が冗談が下手なのか…きっとどっちもね。と言いながらアルマがまた微笑する。
それから「昔から行動は割と正直よね、ベルトルトは。」と未だに強い力で握られている自身の掌を見下ろしながらほんのちょっとおかしそうに言った。
「でも……それは私も同じよ。貴方を知れば知るほどにどんどん弱くなるのを実感する毎日だわ。」
無駄な情を一切捨て去ろうと努力はしていたのだけれどね…と彼女は少し前を思い出すようにする。
『じゃあもう一緒じゃなくなる?』
仕返しにそんなことを言ってやろうかと思ったが、とても口に出来なかった。
……何だ。ずるい。アルマは冗談とはいえなんてことを僕に言ったんだ。
腹が立ってくる。繋いでいた手を解いて、今度は両の腕を彼女の身体に強く回す。
そのままで再びベッドのマットレスへと逆戻りした。無機質に真っ白い、けれど確かに温く熱を持った胸元に顔を埋める。アルマは無抵抗だった。
………少しして、自身にも腕が回った後に頭を撫でられる。
そうしてまた自己嫌悪した。こういうことばかりしているからいつまでも成長できないんだと。どう足掻いても僕はアルマの弟なんだと……。
暫時して、不安そうに「ごめんなさい、言って良い事と悪い事があったわね」と彼女が謝る。
何だろう、今日はお互い謝ってばかりの夜だ。
少しばかり愉快になって、「気にしてないよ」と嘘を吐く。
本当は……物凄く気にしてしまっている事をアルマは分かっているだろう。僕らは人の顔色を伺う事に関しては誰よりも優れた能力を発揮する弱虫だから……
「でも……弱くたって別に良いじゃないか。」
彼女に、自分に言い聞かせる様に呟いた。髪を撫でてくる掌の動きが止まる。二人の時だけは、と言葉を継ぎ足す。
「それがアルマの本当なんだよ……。」
そうかしら、とややあっての返答。そうだよ、と応じる。
「僕だってずっとアルマと一緒なんだ。弱い君のことだってちゃんと知っている。」
顔を上げればよく馴染んだ、自分に似た顔があった。頬に触ると瞼が降りる。今度は逆にその黒い髪を撫でてやった。少し幸せそうにしてくれたのが嬉しい。
「僕たちは元から強い人間じゃないから…だからきっと二人一緒で、一生二人ぼっちなんだよ…」
自分でも驚くほどその声は静かだった。
しばらく僕は彼女の少し伸びた髪を弄って遊んだ。……やっぱり、アルマの髪は長い方が良いな。昔みたいに。
優しくてちょっとだけ抜けていたあの温かい時代の君に戻るのは無理かもしれないけれど。それには多くの物を奪い奪われ過ぎたけれども……少しでも近付いてくれたら……
はっとした。
………少し焦った後、指先で急いで彼女の涙を拭う。けれど間に合わない。涙は後から後から閉じられた瞼の隙間から零れてくる。
やがて僕もそれを留めようとするのを諦め、流すがままにしてその光景を眺めた。
濡れたように真っ黒な髪を梳いてやりながら。
「………寂しいわね。」
そう弱く呟かれたので、抱き寄せて胸に収めた。
………女性にしては随分と長身の部類に属する彼女の身体も、僕にかかれば普通の女の子みたいになる。
すっぽりと両腕の中にいるアルマの耳元で、「でも、温かいよ」と言葉を零した。
彼女はゆっくりと頷く。
それからもう一度だけか細い声で「お誕生日おめでとう」と祝辞を述べてくれた。
「……今日までずっと傍で生きてくれて…、本当に。」
アルマの言葉が途切れる。続けられなくなったのか。
そうしてこの時、当たり前だが寂しいのは自分ばかりではないのだと気が付いた。
やっぱり僕らは似ているな、とつくづく思う。良い所も悪い所も全部。
それは年を重ねても変わらないし…変われないのだろう。
でも…変われずにいることも悪いことじゃないと思う。
その証拠に僕は今も昔も姉さんのことが、
「アルマのことが、ずっと好きなんだよ……」
呟きは薄闇の部屋の中に沈んでいく。
声に出すと堪らなくなる。こうなると駄目なんだ。普段は出来るだけ優しく、君にとって一番安心出来る場所でありたいと思うのだけれど。
気持ちを察してもらう為にアルマの両頬を包んでこちらを向かす。
………やはり冷たい瞳だ。でもずっと見ていると温かいと錯覚する。
彼女は何も言わないけれど了承の意を示した。僕には分かる。
甘えてばかりでごめん。と言えばまた、謝らないで良いのよ…と返される。
だって今日はお誕生日だものね、とアルマは微笑した。
僕は申し訳ない気持ちでいっぱいで……でも、その言葉に甘えてしまう事にする。
「………やっぱり寒いわね。」
そう、僕はもうそれほどでも。
「私は寒さに弱いのよ」
………アルマの寒がりは昔からだね。
「貴方はこんなにも冷たい季節に生まれたのね。」
彼女は囁いてじっと僕のことを眺める。その瞳からは涙の気配は既に失せていた。
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