▼ ベルトルトの誕生日 前編
(ああ。)
ぼんやりとベッドの上で頬杖をついて……なんとはなしに自身がひとつ年を取った節目を迎える。
別にどうということはない。
劇的な変化も無ければ成長も。
時間は全く持って止まってはくれないのに反比例して、人間はどうしてこうも変わる事が難しいのだろう。
(僕はきっと…ずっと、……………。)
頬を支える掌を左右入れ替える。そうやって無為な時間をどの位過ごしたのか。
………隣で眠っていた人物が眼を覚ました。
彼女はあまり寝起きが良い方では無い。
一度意識を手放すとそれこそ死んだ様に滔々と眠り続ける。その原因の内大きなひとつを担っているのは他でもない自分なのだが。
まあ、それは非常に悪いと思ってはいる……しかし仕様が無いのだ。許してもらいたい。
まだぼんやりとしているようで、しばらく姿勢を変えないままで瞼を半開きにしていた。
その奥からは自身と全く同じ色をした暗い色の瞳が覗く。
「…………………。」
徐々に回復してくるらしい意識の中、彼女が僕の方をちらと見た。
……………どうやら起きていた事が予想外だったらしい。僅かに驚いているような…気がした。
それから壁にかかる古びた八角時計の方へ視線を向け、眼を細めながら時刻を読もうとする。
どうやら読み取ったらしい。何事かを口の中でぶつぶつ呟いてから、アルマは今一度こちらを見た。
「嫌ね…ちょうどにおめでとうって言いたかったのに」
つくづく睡魔というのは打ち勝つのが難しい存在ね、と言いながらその半身がゆっくりと起き上がってくる。
毛羽立った黒い毛布がそれに合わせて彼女からずり落ちていき、薄闇の中に青白い皮膚が現れた。
寒い…と呟くのでそりゃそうだ、と相槌を打ちながらかけ直してやる。
僕も隣で身を起こした。しばらく二人並んだままで沈黙する。
やっぱり寒いわね…と言いながらアルマの方から寄り添って来た。
肩に心地良い重みが加わる。頭を預けられたらしい。石鹸の幽かな気配がする髪がそろりと触れた。
「………少し、伸びた?」
そう言いながら一房手に取って指に巻き付ける。
「そうね…そろそろ切ろうかしら。」
アルマは静かに応えた。僕はそのまま彼女の髪を弄びながら、「……そう。」と呟く。
「それとも、切らない方が良い?」
ふと尋ねられるので、思わず指の動きを止めてその方を見た。彼女は僕を見ていない。何処か遠くの方を。
「…………………。えっと、どっちでも…良いと思うよ。姉さんの好きな方で…」
「私は貴方に聞いているのだけれど…」
「僕は………。」
そこで会話は途切れる。弱い溜め息が聞こえて来た。
「…………安心しなさい。今少し伸ばしているところなのよ。」
アルマの言葉に、僕は短く「え…」と声を漏らす。
「もうある程度の長さになっても起動装置に巻き込まれる心配は無くなってきたし…毎度散髪の度に寂しそうにする貴方を見るのも心苦しいわ。」
言葉が迷子になってしまい応対が出来ずにいた僕のことを、彼女がゆったりした動作で見上げる。
冷たい色をした瞳だなあ、と思う。僕と色は同じだけれどやはり少し違う。この眼はアルマのものだ。
「貴方って自分の意思が無いとか言いながら割と拘りはあるのよね。」
「そんなことは……」
「分かるし、知っているわよ。私は貴方が生まれた時から傍にいるのだから。」
それを聞いて…やっぱり駄目だなあ、と思う。
我が儘に求める気持ちを汲んでもらってばかりで、気を遣っているつもりがいつも逆になってしまう。
「なんだか…駄目なままだね。」
思ったままの気持ちを口にしてみた。
今度はアルマが僕の髪に触れてくる。優しい仕草から母さんを少し思い出す。
「誕生日がきてひとつ姉さんに年が近付けたのに、相変わらず僕は…」
そこまで言いかけると、僕を撫でていた彼女の掌が頬に移動してきて…抓られた。
突然のことに少しびっくりする。その指はすぐに離れていったけれど、彼女がこちらに送る視線はやや不満そうである。
「姉さんと呼ばないでよ…」
それを聞いて、あ、ごめん。と咄嗟に謝った。
謝ることじゃないわよ、とアルマは少し眼を伏せる。それに対してもう一度謝ってしまった。
…………彼女を取り巻く雰囲気にじっとりとしたものが交ざる。……マズい。どうも機嫌が悪くなっているらしい。
アルマがして欲しいことは分かる。
一言アルマ。アルマと言えば良いんだ。
でも何故か…頭の中ではその名を何度だって呼べるのに、いざ言葉にしてみようとすると喉に栓をされたみたいになる。
束の間、唇を開いたり閉じたりをしていた。
そうしてようやく弱々しく口にする。
…………彼女は自分の名を繰り返して言った。眼を閉じて噛み締める様に。
再び開いてこちらを向いたアルマは少々ばつが悪そうに「…少し大人げなかったかしらね、」ごめんなさい、と謝った。そして駄目なままは私の方だわ、と付け加える。むしろ退行しているんじゃないかしら、と更に一言。
それきり、部屋は静寂した。
僕はアルマの下ろされた掌を手繰り寄せて強く握る。
冷えきった室温の中で滲むような温かさを感覚すると……瞳の奥が徐々にじんとした熱を持っていった。
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