最後の星が消えるまで | ナノ


▼ ライナーの誕生日 前編

(過去話)


「アルマ。起きろ。」


俺が声をかけても、アルマは動く事は無かった。死んだ様に大樹の根元、地面に伏して眠っている。


「アルマ…!起きろ、と言ってるんだ……!!」

彼女の真っ黒い髪から覗く、対照的に真っ白い耳元で少し大きめに声を張れば、ようやくその瞼がうっすらと開いた。



…………しばらく、俺達はそのままの姿勢で見つめ合う。アルマの瞳は未だにとろりとしていて、焦点が合っていなかった。



「お誕生日おめでとうライナー…………。」


そして出し抜けにこの一言である。

………彼女はこの村の中でも、無口で何処か謎を纏った雰囲気から大人たちからは敬遠されがちであるが、実体は何の事はない、ただの天然だ。


「寝起き一番に眼に入るのが良い男だと中々気分も良いものね………。」


「…………………………………。そうか。」


「冗談よ。」


「冗談かい。」


「嘘よ。本当。」


「ええいまどろっこしい」



俺はアルマの首根っこの辺りの襟を掴むと、無理矢理持ち上げる様にしてその体を起こす。


…………どこでも本を読みたがる癖は良いのだが、それに付随して何処でも寝たがる習性はどうにかして欲しい。



「苦しいわ。首が取れちゃう。」

「これ位で取れたら怖いわ」


ようやくアルマの体をまともな姿勢に持ってくると、俺はうんざりとして首を振った。

一方彼女は俺に掴まれて皺が寄ってしまった襟を呑気に整えながら欠伸をしている。

白い襟で、胸元が大きめに開いた服だ。それを見て………いくら夏とはいえ、少し露出が高過ぎるのでは、と渋い心持ちになった。



「…………それで、どうしたの。何の用事。」

アルマは言いながら手元の本を捲ろうとする。………どうしたの、と言いつつ話を聞く気は零の様だ。本当にマイペースな女である。


「ベルトルトが………」

間髪入れずに俺は奴の本に栞を挟んでパタンと閉じた。………俺の言葉に、アルマは少しだけ眉を動かす。


「あの子が。どうしたの。」

ようやくまともに話をする姿勢になったアルマに俺は安堵の溜め息を吐いた。……つくづくアルマと会話が成立するのは彼女の弟の話題になった時だけである。


「………何処にも見当たらないんだ。」

「そう………。その前後の状況は分かる?」

「アニに木偶の坊と罵られて………」

「ああ。それは………きっとどこかでいじけてるだけだわ。」


あの子の繊細さにも困ったものだわ、とアルマは少し可笑しそうに笑う。とても優しい表情で、見ているこちらも自然と穏やかな気持ちになった。


「どうする。一応めぼしい所は探してみたが…もう一度、手分けして探してみるか。」

「その必要は無いわ。あの子が隠れる場所なんて私にはお見通しなのよ。お昼ご飯までには見つけてみせるわ…。」


まだ眠たいのか、ややふらりとしながらアルマは立ち上がる。

………だが、彼女の言葉の端々には何処か信頼できる節があり…やはり、ベルトルトの事はアルマに任せるに限るな、という気持ちにさせられた。



「そうだわ、ライナー。改めてお誕生日おめでとう………。」

これで同じ年ね。と言ってアルマは立ち上がった俺の頭をそっと撫でる。………俺の頭を容易く撫でられる同年代の女は、村中探しても彼女しかいないだろう。


……………アルマは俺よりも半年程早く生まれている。だから、俺達が同じ年でいられるのは今からもう半年だけだ。


だが……いくら半年の期間とはいえ、同じ年に変わりはない。もうこの年齢になってまで、子供の様に頭を撫でてくるのはやめて欲しかった。………正直、照れる。



「………お前。同じ年ならもう良い加減子供みたいに扱うのをやめろよ。」

それをそのまま口に出せば、アルマは表情は変えずに掌を俺の頭から離す。………後、何か考え込む様に顎に手を当てた。




……………………………。数分経過。




「おい…………。どうした。急に電源を落とすな。」

辛抱強く待った末、アルマの額を軽く指で弾くと、ようやく彼女はゆっくりと額を抑えて固まった姿勢を解く。


「………子供扱いをした覚えは無いわよ。」

アルマの言葉に、俺は「じゃあベルトルトと同じ扱いをするのをやめろ。俺はあそこまで虚弱じゃない」と応えた。

……………彼女は再び少しだけ考え込んだ後、「では大人扱いしろと言う事………」と呟く。

「いや。だから何でそう極端なんだ。普通に年相応な対応をしてくれれば…………」


俺はそこで言葉を一旦切る。アルマがゆったりとした所作で俺の頬を撫でたからだ。

驚いて思わず眼を見張れば、彼女はほんの少し背伸びをしてその場所に唇を落とす。………あまりに自然な所作に、何も反応する事はできなかった。


「………貴方にとって幸せな1年でありますように。」


耳元で囁いたアルマはそっと俺から体を離して、こちらをじっと見つめる。…………笑っていた。


俺が一番好きな、彼女の笑い方だった。



「どうかしら。大人扱い。」


アルマは元の無表情に戻って尋ねてくる。だが、どこか照れ臭さがその仕草に滲んでいた。………照れるならやるなよ………。


「いや………お前の言う大人扱いの基準がよく分からんが…これは違う気がするぞ……。」

「そう。残念だわ。」

「………………だから、あまり他の男に軽々しくやるなよ。勘違いされる。」

「気をつけるわ。」

「……………………。」


本当に分かってるんだか。平坦な声で返事を続けるアルマを眺めては、俺は溜め息を吐いた。


そして、彼女の唇が落ちた自らの頬を指先でそっと触れる。…………こいつ程でかい女は俺の中では恋愛対象外にも関わらず、不思議と悪い気はしなかった。


いや。むしろ……………



「アルマ。」


もう一度欠伸を噛み殺しているアルマに対して名前を呼ぶと、彼女は涙を溜めた眼でこちらを見上げる。



「ありがとうな。」

そう言って彼女の濃艶の髪をわっしわしと撫でてやると、アルマはやや不満そうに「貴方だって私を子供扱いしてるわ。私の方がお姉さんなのに。」と零す。


「いや。精神的には俺の方が大人だな。」

「そんな事ないわよ。私の方が大人だわ。この前お酒、少しだけ飲んだもの。」

「で、その後気持ち悪くなって吐いたんだよな。」

「な、何で知ってるの」

「ベルトルトが。僕が姉さんを介抱してあげたんだー、とか何とか。嬉しそうに報告してくれた。」

「ぐぬうあのお喋りさんったら」

「第一酒を飲んだから大人だと言うその考えがひどく子供らしい事に気が付かないのか。」

「貴方だって格好つけてお父様のパイプを燻らせた事の一回や二回あるでしょう。しかも煙たいから口をつけずに。」

「…………何故知ってる。」

「ベルトルトが。」

「ぐぬうあのお喋りさんめ」



俺達は二人、大きく溜め息を吐いた後、少しだけ笑い合った。


恐らく………俺達はまだまだ二人共立派な子供だ。そして、互いに背伸びが必要な相手でもない。それが分かっているからこそ、何だか愉快で堪らなくなってしまったのだ。



「ライナー。」


アルマは優しく目を細めると、俺の掌を取っては名前を呼ぶ。



「貴方。きっと素敵な大人になるわ。………私が保証する。」


「お前に保証された所でな………」


と、苦笑して奴の手を握り返せば、アルマは「嬉しく無いの」と心外そうに眉をひそめる。


「いや。嬉しい。………嬉しいよ。」

喉をくつくつと鳴らしながら応えれば、アルマは満足そうに微笑んだ。


「お前もな。………偏屈で少しボケているかもしれないが、良い大人になるだろうよ。」


「それ……褒められてるんだか貶されてるんだかさっぱり分からないわよ。」


「褒めてるに決まってるだろう。」


「あらやっぱり。」

そうだと思ったわ、とアルマは俺と掌を握ったまま歩き出す。

何処へ行くのかと視線で尋ねれば、「お昼までにベルトルトを探すと言ったでしょう」と上機嫌らしい声で返答された。



「…………私たちが、大人になって……お酒の美味しさが本当に分かる様になった時……。その時も、必ず友達でいましょうね。」

歩きながらアルマが話す。どうやら今彼女は最高潮に機嫌が良いらしい。いつもの数倍はよく喋る。



「ああ………。一緒に飲もう。きっと美味い筈だ。」

俺もまた非常に気分が良かった。掌を少し強く握ってやれば、アルマは横目でこちらを見上げつつ、口角を上げる。


「ライナーは……強そうに見えて、凄く弱そうね、お酒。」

何処かからかう様な口調に、俺は「アルマもな」と言い返した。

「………ベルトルトも弱いと思うのよ。」

「ああ。見たまんまな。」

「アニは強いわね………、きっと。でも、弱くても面白そうね。一度ふにゃふにゃになったアニも見てみたいし」

「お前は本当にアニが好きだな……。」

「ええ。だって可愛いじゃない?」

「か、かわいい………?」

「ええ。すごく可愛いと思うわ。」

「ちなみにマルセルは………」

「面倒くさい酔い方をしそうね。彼とだけは一緒にお酒は飲みたく無いわ。」

「…………。お前本当にマルセル嫌いな。」

「嫌いじゃないわ。私の遠回しの愛情表現よ。」

「………お、おう。」



何の事も無い会話を交わしながら、俺達は夏の日差しが葉の隙間から零れ落ちる林道へとさしかかる。


アルマの迷いの無い足取りから、ベルトルトの居場所は近い事が理解できた。


そして………案の定昼飯前には彼の事を発見する。

手を繋いだままでいた俺達を眺めて、いじけていたベルトルトが更にショックを受けて悲しみの淵に転がり込む羽目になるのはまた別の話。





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