▼ アニの誕生日 中編
「...アルマ?」
ふと、そこにアニが通りかかる。
そしてアルマの姿を見つけると、驚きと共にほんの少し表情を明るくした。
だが...隣にヒッチの姿を確認すると、途端にそれは陰ってしまう。
「何しに来たの」
あまりに距離が近い二人を見ているととても不愉快な気持ちになった。それは低い声となってアルマへ吐き出される。
.....駄目だ、また...何で素直になれないの....
「折角あんたに会いに来たのにその態度はひどくなあい?お姉さん可哀想ー」
そう言いながらヒッチはアルマの腕に手を回す。アニの眉間に皺が寄った。
「アルマ....。そいつに近寄らない方が良い。」
「何?焼きもち?」
「....違う。」
「やせ我慢しちゃ駄目だよ、アニ?」
「違う....。」
「ねえお姉さん...あの子やっぱり異常性癖だよ。あんたの事見る目がさあ...」
....そこで、またしてもヒッチの言葉は途切れた。
アルマがそっと、彼女の唇に指を触れて口を閉ざしたのだ。
「静かにしなさい、と言ったでしょう....?」
緩やかに言葉を紡いだ後、ゆっくりと指を離す。
それからアルマはアニの方へ向き直り、ひたりと瞳を合わせた。
少しの間見つめ合った後、我に返ったのか...動きを止めていたアニが背中を向けて走り出す。
アルマもそれを追いかけようと腰を上げた。
「やっぱりあの子とあんた、できてんだ」
しかし、ヒッチに腕を掴まれて足を止めざるを得なかった。
「.....何故そう思うの」
視線を向けて問い掛けると、彼女はこちらを見上げながら唇に弧を描いた。
「今のまんま痴話喧嘩じゃん?...しかもそれを追いかけるとかさ。
それにしても....弟と女に二股ねえ。救いようが無いわあ」
殊更楽しそうにそれは言われる。
アルマは少しの間口を閉ざして、アニが消えた方向を見つめていた。
「....それは違うわ」
そして、ほうと息を吐いてヒッチへと視線を戻す。
「ふうん...?でも、あんた達の関係って明らかに友人の範疇を越えてるでしょ。...アニがあんなに嫉妬深いとは思わなかったし...」
彼女は新しい玩具を見つけた様な表情をしていた。
アルマは微かに目を伏せる。黒々とした睫毛が目元に影を作った。
「.....ベルトルトが私の弟である様に、あの子もまた大切な妹なのよ....」
そう言いながら、ゆっくりとヒッチの掌を腕から解く。
「私たちは、物心がつく前から....一番幸せな時間を一番傍で過ごして来たわ。」
彼女の優しい手付きに何故か購えず、指は外されるままになっていた。
「お互いが大切で無いわけ、無いでしょう?」
言い聞かせる様に零してから、アルマは静かに歩き出す。
「ねえお姉さん」
ヒッチがその背中に声をかけた。
アルマは足を止め、首だけ動かして彼女の方を向く。
「.....女っていうのはあんまり経験ないけど、今度相手してあげようか?」
肘掛けに頬杖をつきながらヒッチは邪に、そして綺麗に笑う。
アルマは何かを思索する様に彼女の瞳を見つめた。....やはり、深い洞窟の様に...暗い瞳である。
「もっと自分を大事にしなさい」
淡白に、それだけ零すとアルマは振り返らずに歩き出した。
「それは、残念」
ヒッチは遠ざかる彼女を見送った後、背もたれへと乱暴に身を預ける。
「....ほんと、残念」
その声はあまりに小さ過ぎて、呟いた本人の耳にすら届かなかった。
*
.....アニは、中庭のベンチに腰掛けていた。
アルマが何も言わずに隣に着席しても逃げる気配は無い。...が、反応も無い。
しばらく二人は無言のまま過ごした。
中庭の中心部では噴水が水を巻き上げている。....さすが憲兵団、調査兵団の公舎とは違って中々に豪奢だ。
「....アニ」
.....このままでは日が暮れてしまうと思ったアルマはアニの肩へと手を触れようとするが、それは弱々しく振り払われる。
「あの女にあんな事をした手で、触らないで」
その言葉に従い、アルマは手を膝の上に戻した。
「アルマは私たちの姉さんでしょう...?」
アニがようやく顔を上げてこちらを見据える。
それから、白いハンカチを取り出してアルマの指を痛い程拭った。
「あんな女に、気安くお姉さんなんて呼ばせないで...!」
そのハンカチを傍の植え込みに投げ捨てながら言う。
アルマは赤くなってひりひりとする指先をじっと見つめた後、「そうね...」と零した。
「......もう、触れても良いかしら?」
手を伸ばし、再び肩に触れようとする。....今度は拒否されなかった。
それに安心して、ゆっくりと体を抱いてやる。
......温かい。....石の様に体温を亡くしていた時は分からなかった。
人というのは、こんなにも温かいものなのだと....
「.....お誕生日、おめでとう、アニ」
耳元で囁けば、「言うのが遅い...」と呟かれて強く抱き返される。
「毎年一番に言いに来てって、そう約束したじゃない....」
「....そうね。誰かに先に言われてしまったかしら?」
「ううん....。姉さんが一番....。」
アニが首筋に顔を埋めるので、繊細な金糸の髪がそこを霞めて行く。
彼女が与えてくれるこそばゆさが愛しくて、しっかりと抱いてやった。
.....いくつになっても...やはり、この子は私の妹だ。
「......姉さん.....本当に、良かった。」
アニが腕を解き、そっと胸元に触れてくる。柔らかさを、鼓動を、呼吸を確認する様に。
「もう、何処にも行かないで...。」
アルマは静かに息をして、「何処にも行かないわ」と小さく、けれど確かな声で言う。
「約束して。」
胸の辺りの服を掴まれた。沢山の皺がそこに描かれる。
「約束するわ。」
アルマはアニの体から腕を離し、自分の胸の上にあるアニの掌をそっと包んだ。
「.....アニも、約束して頂戴。」
「何を....?」
アニの手を握る力が強まる。
「無理をするなとは言わないわ。けれど、どうか自分を祖末にしないで頂戴。....悲しむ人がいるのだから。」
.....アニの呼吸の音が聞こえる。そのまま胸に顔を埋めてくる彼女を、再び...何も言わずに抱いてやった。
例え貴方が戦士じゃなくても、私は貴方を愛しているわ。
これは、まだ言えない。....言うのは、全ての務めを終えた後。
アニ、好きよ。
何年、何十年先の誕生日も、貴方へ一番のおめでとうを送るわ。
生まれて来てくれてありがとう。
優しい優しい、私の....たった一人の妹へ....
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