最後の星が消えるまで | ナノ


▼ アニの誕生日 前編

どすん....と、女性らしからぬ乱暴な着席である。


その隣に腰掛けていたアルマは特に意に介した様子無く、本のページを捲った。


それに対して今しがた乱暴に....憲兵団の公舎の一角に据えられた椅子に座った女性はアルマの事をじろじろと見つめる。


そして、一通り観察し終えた後....「あんた誰?」と訝しげに聞いた。


「姓はフーバー、名はアルマよ」


アルマは本から視線を上げずに答える。


「名前なんか誰も聞いてないっての。分かんないかなあ、馬鹿?」

「.....そう。ごめんなさいね」

「うわあその受け答え...私の同僚にさあ、これもまたあんたみたいに怖い顔した鉄面皮がいんのよ。それに似ててムカつくわあ...」

「...........。」


アルマは何も応えずまた一枚、ページを捲った。ぱらりという微かな音がする。


「でさあ、私はあんたの立場を聞きたいのよ。
こそ泥とか憲兵団ファンの変態が押し掛けて来たー、とかだったら追い出さなきゃいけないし。」


アルマはしばらくの間口を閉ざしていた。

そして文字をなぞる様に指先で触れてから、声を発する。


「私は104期の訓令兵で...調査兵団に弟のベルトルト・フーバーと共に所属しているわ。
今日はここに勤めているアニ・レオンハートに会いに来たのよ。」

すらすらとそれだけ述べるとアルマは再び押し黙った。ヒッチはふーん...と言った様にその横顔を眺める。


「どーりで....。成る程、あれのお仲間って訳か...」

くつりと可笑しそうにした後、椅子をがたりと動かしてアルマとの距離をつめた。


「ねー、アニのお友達なら知ってるでしょ?あいつって恋人とかいんの?」

「....本人に直接聞きなさい」

「だってえ、あの子顔怖いんだもん。まあ、あんたも大概怖いけど...。
良いじゃないお姉さん、教えてよ。」

「何でそんな事を聞くの。務めには関係ないでしょう。」

「さあ....面白そうだから?」

「なら答える義務は無いわ。」

「やだ、つまんない」

全然つまらなさそうでは無い。とても楽しそうだ。

「.....んん?そういえば、あんたの弟って...あのデカいの?」

ヒッチが思い出した様に言葉を投げ掛ける。しかしアルマは一向に本から視線を上げようとしなかった。

「そうね....。192cmがデカいの範疇と言えるのなら」

「やっぱりそうだあ。制服じゃないからさ、分かんなかったよ。
...あんたら姉弟ってなーんか妖しい雰囲気出してたから...やたらと記憶に残ってんのよねえ...」

「.......。」


アルマは何も返さない。

それがますますヒッチの笑みを濃くさせた。


「ね、お姉さん」

優しく甘い声を出してアルマの首筋につ、と指を這わす。


「.....、ついてる」


耳元でそっと囁くと、今まで一貫して石の様に動じなかったアルマの体がぴくりと震える。


「何の事かしら....」


しかし、すぐにいつもの冷静な声で対応した。


だが...それはあまり意味を成さなかった。ヒッチはその反応にこの上なく嬉しそうにする。


「う・そ」


にやりと唇に弧を描いて姿勢を元に戻した。彼女の興味の対象は完全にアニからアルマに移った様である。


「お姉さんも隅におけないなあ。つけられる覚えがあるって事は恋人いるんだあ。」

アルマの首筋をなぞった指で宙に何かを描きながら言う。

「.....でも、あんたに恋人できたら弟が黙ってなさそー...。あいつ、悪魔的に重度のシスコンでしょう?」

それからもう一度アルマへと視線を戻した。極上に機嫌が良いらしく、ふふんと小さく笑っている。


「それとも...弟が恋人とか...?」


ヒッチが投げ掛けた質問に、アルマはゆっくりと溜め息を吐き、ページをまたひとつ捲った。


少しの沈黙。


後、アルマが口を開く。


「いけないかしら....?」


....静かなその言葉に、ヒッチはぽかんと口を半開きにしてしまった。


「....うっそ」


まさかここまで素直な答えが返ってくるとは予想外だったらしい。目を見開いて、アルマを穴があく程眺める。



「やだ....!!ウケる、ちょーウケるんですけど!!!いけないに決まってんじゃん!!馬鹿!?
しかも、それ言っちゃう!!??ふつー隠すでしょ!!」


先程までの静寂が嘘の様にヒッチは笑い出した。ばんばんと叩かれた肘掛けがぎしぎしと鳴る。

アルマはけたたましい笑い声の中でも本を捲る手を止めない。隣り合っていながらまるで別の世界で生きている様だ。


一通り笑い終わったヒッチは少し苦しそうにしながらも興味津々と言った感じにアルマの方へと身を乗り出す。

あんまりに距離が近かったのでアルマは少し体をずらした。


「ねー...。何で弟なの?だって同じ親でしょ?気持ち悪くないの?」

「別に...愛して、愛された人が弟だっただけよ...。何もおかしい事は無いわ。」

「ふーん。あんたって結構情熱的...」


ヒッチはアルマの黒い髪を指に巻き付けながら呟く。


「....何で私に言ったのさ。言いふらさないとでも思ったの?」

そう囁きながら、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「もう...噂になってしまっているもの。
それに、貴方の言葉は恐らく信頼されて無いでしょう。言いふらされても何ら支障無いと思ったのよ。」

「うわあ...言うね...。」


くつりと彼女の喉が鳴る。その笑みに黒いものが混ざり込んだ。


「あんたが異常性癖って事は充分分かったよ。...って事はお仲間のアニもそうなんだ。」

アルマの髪から指を離して腕を組む。何か良からぬ事を考えている様だ。


「....人と関わろうとしないし、碌に話さないし...。涼しい顔して色々と嫌らしいものを溜めてるんだろ、」


そこでヒッチの声は途切れた。アルマが物凄い音を立てて本を閉じたのだ。がらんとした憲兵団の公舎にそれはよく響いた。


「....少し静かにしなさい」


しかし、声だけは平坦だった。先程までとまるで変わらない。


「良い子だから」


初めて、アルマはヒッチの事を見た。

....全く感情が読み取れない。怒っている訳でも悲しんでいる訳でも無く....ただ、伽藍洞の様に黒くて暗かった。



「......はあい」

ヒッチは一瞬驚いた表情はするが、すぐにいつもの様に微笑いながら肩をすくめる。

彼女の反応を見届けると、アルマは再び本に視線を落とした。


言われた通りにヒッチは大人しくしていた。

しかし、時たまアルマの髪を指に巻き付けては何かを小さく話しかける。


その言葉は、書籍の世界へと沈み込んでしまったアルマに届く事は無かった。






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