▼ ベルトルトと星の見える夜
夢を見た。
優しく、温かな......
そうだ。これはさっきまで見ていた夢の続きだ。
隣には姉さんが居て、穏やかに笑っていてくれる.....
その時、確かに僕は声を聞いたんだ。
眠りの繭の外から、そっと語りかけてくれる.....
「ベルトルト....」
何?姉さん.....
「ごめんなさい」
ううん。僕の方こそ......
「.....そして、ありがとう。」
僕にそんな事を言う必要は無いよ。だって姉弟じゃないか。
「私の弟に生まれて来てくれて.....本当にありがとう」
ほら、やっぱり姉さんは姉さんだ。
「......でも、さようなら。」
......何で?
姉さん....?これで終わりなの....?
何で黙っているの?
駄目だ。さようならなんて絶対に駄目だ。
こんな悲しいさようならで終わりだなんて―――
「――駄目だ。」
......少しの間、マットに突っ伏して寝てしまっていた様だ。
ぼうっとする頭を振って体を起こし、両頬を軽く叩く。
(.....僕は、姉さんを助けたい)
.......また、拒否されたら?
(それでも助けたい。)
あの、伽藍洞の様な瞳を覗き込む勇気はあるのか?
(.....分からない。)
でも....たった一回拒否されただけで過去の優しかった姉さんを全てを否定してしまうのは、絶対間違っている。
姉さんを信じよう。そして、自分を....信じよう。
再びぎしぎしと鳴る廊下を辿る。今度は全速力で駆けた。
「.........!!!」
彼女の部屋はもぬけの殻だった。
白いマグだけが存在感を放って.....。中に少しだけ入っていた水が、扉を開けた振動で波紋を広げる.....
何処へ行った。そうか。今夜ここを出ると。
「.......ふざけるなよ」
踵を返して再び走る。今度は勝手口へ。外。星が凶器の様にぎらぎら光って。
そうだ。あの人は泣きたくなるといつも星を見ていた。廃墟が右に。赤い煉瓦の壁が崩れて緑の草の上へ。
視界が一気に開ける。真っ黒な細長い人影がたったひとつ。濃紺のストールをだらりと体に巻いて。
今度は迷わない。その体を掻き抱く。今。姉さんは、僕の腕の中に――
「なぜ....」
彼女はようやく一言絞り出した。
「姉さん、泣いていただろう」
耳元で囁けば、彼女は弱く首を振る。
「泣いてなんかないわ.....」
「僕には分かるんだ。何年同じ時間を過ごして来たと思っている。姉さんの事なら全部分かるよ。」
「.....もうやめなさい....お願いだから....」
「.....本当は誰よりも泣き虫で寒がりの癖に....
それを隠す為に色んなものから逃げて、ライナーやアニ、僕にまで本心を隠して生きて....
それで、何か得るものはあったの?姉さんの小さな自尊心は満たされた?」
抱き締める腕の力を強くする。冷たくて固い体だ。
「......にげてなんかない.....」
声が震えて、掠れている。
泣けば良い。感情の赴くままに泣き叫べば良い。
「じゃあ何で僕たちに助けてと言わなかったの。何で一人で抱え込もうとしたんだ。」
「.......貴方たちに....め、いわくを....かけ「嘘だ」
腕の力を緩め、目と目をしっかりと合わせた。
「嘘だ。姉さんは怖がっているだけだ。」
....ほら、貴方の目はこんなにも迷いで満ち溢れているじゃないか。
「怖いんだろ。....姉さんは、助けを求めて拒否されるのが怖いんだ。」
姉さんの顔がみるみる青ざめて行く。心がひしゃげる音がする。
僕は今、姉さんを支えていた最後のか細い柱をへし折った。彼女が膝から崩れ落ちる。体は戦慄く様に震えていた。
「そうだよね。勤めや戦士、そんなのは建前だ。そういうもので周りに壁を作ってしまえば、自分が傷付かずにすむからね」
両肩を掴んで立たせる。
「......僕から、逃げるな。」
ひた、と目が合った。深い深い、どこまでも続く伽藍の洞....
「.......だ....」
色を失った彼女の唇が微かに動く。
「.....そうだよ......。怖かった......。」
自分の胸の辺りの服を指先が白くなる程握りしめて.....
「もし.....もし心から助けてと言った時に、誰も振り向いてくれなかったら?
そんな思いをする位なら、一人の方がどんなに.....っ!」
乾いた洞窟の様な瞳にみるみる涙が溢れて来る。
「だってライナーやアニ、貴方さえも私とは違う、力のある人間で、私なんかを助けて、得るものは何も無いじゃない!」
その涙の中に、空の星がいくつも映りこんで....
「本当に置いて行かれて、独りぼっちになってしまうのが....ずっとずっと.....怖かった!!」
そこまで言うと彼女は僕の胸に顔を埋め、糸が切れた様に泣き続けた。
何て、苦しそうに....胸をひねり潰される様に涙を流すのだろう.....。
僕は....姉さんが泣くのを初めて見た。
でも、何故か昔からよく知っている光景の様な....
そうだ。彼女は、星を見ながらいつも....涙を流さず、泣いていたんだ.....
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