最後の星が消えるまで | ナノ


▼ ライナーを尋ねる

調査兵団の宿舎に移動となって、念願の一人部屋を獲得する事ができたのは良いが、如何せん静か過ぎる。

今もこうして廊下の床板が誰かに踏まれてぎしぎしと鳴る音が耳障りな程聞こえてくる。

(.....早く通り過ぎてくれ....気になって寝られやしない.....)


......しかし。その音は俺の部屋の前でぴたりと止まった。


(........?)


....扉が微かに震え、外の冷たい空気が室内に流れ込んで来る。

間違えない。誰かが、こんな深夜に....俺の部屋へ尋ねて来たのだ。

心臓が早鐘の様に鳴る。何者だ?何の為にこんな時間に?

正規の用事があっての事ではないだろう。それなら昼間に済ませば良い話だ。

部屋にそいつが足を踏み入れたのが、床の軋む音で分かる。

目を開けて、何者か確認しなくては。だがそれができない。

......俺は、恐怖しているのか.....。


「ライナー」


その思考は、聞き覚えのある声により中断された。


「ライナー、起きて。」


うっすらと瞳を開けると、真っ暗な部屋に、真っ黒な服を着て真っ黒な髪をした女性が、これもまた真っ黒な瞳をこちらに向けていた。

白い顔と襟だけがその黒の中でくっきりと浮かび上がり.....友人ながら、不気味だと思った。


「......アルマか。」


入って来た人物が良く知った者だと分かり、ほっとしながら体を起こす。

アルマは俺が寝ているベッドの傍まで歩み寄ると、「悪いわね。....起こしてしまって。」と謝辞を述べた。


「.......何の用だ。夜這いか。」と尋ねると、彼女は少しの沈黙の後、「そうよ」と答える。

「え......」想定外の返答に目を見張れば、「冗談よ」といつもの抑揚の無い声で返して来た。

「.....お前が冗談とは....明日は槍でも降るな。どういう風の吹き回しなんだ?」

「たまには冗談も言いたくなるわ」

「....あまり心臓に悪い事を言うな。」

「ごめんなさい」

アルマは謝りながらベッドに座る俺の隣に腰掛ける。


......おかしい。いつもと変わらずに見えるが、明らかに何かがおかしい。

訝しげにその白い横顔に視線を送れば、彼女もまた瞳だけ動かしてこちらを見て来る。

しばし俺達は無言で見つめ合った。


「ライナー」

瞳を窓の向こうへやりながらアルマが再び俺の名を呼ぶ。


「.....私は今夜、ここを出るわ」


....今日は生憎の雨ね、とでも言う様な、何でもない口調で...彼女は、言った。


「......何故だ」


そう問えばアルマはぷつりぷつりと首元から胸にかけての釦を外して行く。

先程のやり取りを思い出して顔がさっと青ざめた。


「駄目だアルマ。俺達はまだそんな「見て」

俺の言葉を彼女が遮る。それに従ってそちらを見ると、白い胸元を晒したアルマの姿が目に入った。

色っぽいとか....そう言うやましい事を考える余裕は無かった....。

まるで無機物.....陶器や鉛白の様に白いその皮膚には、痛々しいひび割れが縦に、横に入っていて.....

肌の白さと対照的な深い洞窟の様に暗い彼女の瞳を見て....その体に何が起こっているのかを理解した。


「最初は前腕部の先端だったのよ」

アルマが腕の先を触りながら独り言の様に呟く。

「だんだんと体の方へと近付いて行って....この数日で、心臓の上まで達したわ」

指で胸元のひびをなぞれば、そこから砂の様に細かい粒がさらさらと落ちた。

「そして....今朝、指が欠けたの....」

その手には....薬指の先が無かった。血は出ていない。石かなにかが砕けた様な跡が...あるだけで....

「このままでは....やがて全身がこうなって....私は死ぬわ。
死体は明らかに異質なものになる。見つかると厄介よ。
だから私はここを出る事にしたの。誰にも見つからない場所で.....静かに死ぬ為に。」

胸元の釦を閉めながら彼女は息を吐く様にそう告げた。


今....何を....?死ぬ....アルマが.....?誰にも見つからない場所で....?


「落ち着け」

きっちりと首元まで釦を留めたアルマの両肩に手を置き、言い聞かせる様にゆっくりと言う。

「早まるなアルマ。何か手はある筈だ。」

ほんの少しでも良い。俺の言葉が彼女に届くのなら....祈る様に、言葉を紡いだ。

しかし黒い瞳は未だに洞穴の様に深い闇を湛えている。

「前に約束しただろう。皆で...お前も一緒に故郷へ帰るんだ。誰も欠けちゃいけない。」

両肩から手を離し、その掌を握った。ぞっとするほど冷たい。

「これは俺の夢でもあるんだ。大丈夫だ、任せろ。きっとうまく行く....」

「.....ライナー。貴方、今どちらなの。」

「俺は、俺だ。」

「......そう。それなら自分が何をすべきか分かっている筈よ。」

「分かっているさ。俺はお前を助けて、それで故郷にも帰るんだ。」

「.......私は貴方たちを故郷に帰したい....」

「そうだ。だからお前も「ライナー。貴方、お兄さんでしょう...?」

アルマの空いている方の手が頬に触れる。欠けた薬指はこつりと固かった。

「貴方は他の二人を導いてあげないと.....。私の様な不安要素は切り捨てる、そういう決断も時には必要よ.....」

また、あの目だ。変わらず無表情に見えるが、俺には分かる.....。なんて、悲しそうな.....

「何故そう頑ななんだ....!お前だって姉として俺や皆を助ける義務がある筈だ...!それがお前の勤めじゃなかったのか?」

少し語彙を強くして言うと、アルマは目を伏せてゆるゆると首を横に振った。

「.....もう無理なのよ....。だからせめて、最後の勤めを....私に果たさせて....。」

「駄目だ。それはできない。」

「.....ライナー。」

俺の手が強い力で握り返された。

「お願い....。私は、貴方たちの足手まといにはなりたくない....」


.......何て。何て辛そうで、悲しそうな.....

こんな顔をさせたかったんじゃない。

俺は、一度だけで良いから、お前が昔の様に笑ってくれればと......


彼女の体をそっと抱き寄せる。掌と同じで冷たい。まるで石を抱いている様だ。


「アルマ。駄目だ。そんな事は許さない.....。俺は、お前を恨むぞ......」

「......ごめんなさい」

アルマの表情は見えないが....きっとまた、あの表情をしているのだろう。

「アルマ.....!何でそんな悲しそうな顔をするんだ....!」

体を離し、その瞳を覗き込む。あぁ....やはり.....

「.....笑えよ。.....頼むから、笑ってくれ....!」

声が掠れる。喉に熱いものがこみ上げて来た。

目の前の女はただ、呼吸が荒くなる俺をじっと見つめてる.....。

そして、今度は彼女の方からゆっくりと背中に手を回してくる。俺もまた、その体を強く抱き締め返した。

「ライナー。好きよ。私の一番の友達......。」

アルマの声が耳元でする。少し低いこの声が、俺は大好きだった。

「でも、一緒にはいられない。......さようなら。」

そんな言葉は聞きたくない.....!!

抱き締める力を更に強くすれば、アルマがほんの一瞬だけ、柔らかく笑った気がして.....


頭の中には、あの....幸せだった故郷の風景が....俺の手を引いて、微笑むアルマの姿が.....


「.......アルマ。お前には、やっぱり笑顔が一番似合うよ.....」


その呟きに対する返答は無かった。

ただ、狂った様にびょうびょう吠える犬の声が遠くに聞こえるだけで、俺達の間には一切の物音も無い。

窓の外には降る様な星空が広がっている。

ぼうっとそれを見ていると、何だか堪えられなくなり....俺は一粒だけ涙を零した。







アルマはライナーの部屋を後にすると、またぎしぎしと軋む廊下を歩き、今度は隣の部屋の扉を静かに開けた。

部屋の主は....当たり前だが眠っている。

先程の様に起こす事はせず....アルマはただ、眠っているその顔をじっと見つめた。

寝返りを打ち、肩から毛布がずり落ちたので、それをそっと直してやる。

近くで見ると、やはり自分に似ていた。

頬を優しく撫で、髪を梳く。少しくすぐったそうにするその仕草、全てが私の大切な―――


愛しかった。胸が千々に引き裂かれる様な想いだった。


今すぐにでもこの胸に縋り付いて泣いてしまいたい。


だがそれはできない。決意が揺らいでしまう。黙ってここを去らなくては。


貴方が私を想ってしてくれた事、全てが嬉しくて、ずっと傍にいてくれた、その存在全てが愛おしくて......


アルマはベルトルトの頬にゆっくりと唇を落とした。

そして、.....二言、三言彼の耳元で囁く。

酷く小さい声だった。恐らく眠っているベルトルトには届かないだろう。

最後にもう一度頬に口付けると、影が滑る様に音も無く....アルマは部屋を出て行ってしまった。



 

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