銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンの誕生日 前編

「…………………ぐっ」


シルヴィアは短いうめき声を上げた。


先程まで団長室のソファで気持ちよく寝息を立てていたのだが………そこに唐突に襲う、鈍い圧迫感。


盛大に眉をしかめながらうっすらと目を開けると、そこには自分の顔を覗き込んでくる見慣れた友人の姿が。



「……………君は一体なーにをしてるんだ。」


ここ最近の疲れも手伝ってか、弱々しい声で自身に何の躊躇もなく馬乗りになっているハンジに尋ねるシルヴィア。


それに対してハンジは全く悪びれずに「おはよ。」と微笑んだ。



「…………おはよくないよ……。私はまだ寝るんだ………。だから上からどきなさい……ね。」


とりあえず非常に距離の近い顔面をどけようと、シルヴィアはハンジの顔を両手で挟んで力任せに遠ざけようとする。


しかしハンジは頑としてその間隔を譲ろうとしない。


寝起きということもありうまく力が入らないシルヴィアは…やがて諦めて手を離すと、先程以上にくったりとしてそのまま目を閉じた。



「シルヴィアー、起きてよ。つまんないじゃん。」


ハンジはそのままシルヴィアの耳の傍で呼びかけるようにする。

耳元なのに関わらず普通の音量で話されるので彼女はたまったものではない。



非常に嫌そうな表情をして瞼を開いたあとに、問答無用で至近距離のハンジのでこに頭突きを食らわせた。



「ぐうっ…………」



今度はハンジがうめく番である。今しがた殴打した箇所を抑えながら何ともいえない声をあげた。



「……………さっきから何なんだ!
私は疲れてるしそれ以上にソファは向かいにもひとつあるでしょうが!!さっさとどきなさい!!!」


業を煮やしたシルヴィアがぴしゃりと言うと、ハンジは未だに額を擦りながら「良いじゃん…ソファは譲り合って一緒に使うものじゃんか……」と零す。



「それならせめて一声かけてくれ……。いきなり馬乗りになる人がいますか……」


シルヴィアは溜め息を吐きながらハンジにどくように仕草で伝えた。

それに従ってハンジがようやく身体を退くと、シルヴィアは起き上がって横にずれる。


そして相変わらずぐったりとしながら背もたれに身体を預けた。


「…………いつも以上にグロッキーだねえ。」


その様を眺めながら、ハンジは隣に腰を下ろす。


「うむ………。君ほどじゃないけどね。逆に、連日の徹夜続きなのに常に元気が有り余ってるところは見習いたいよ。」

シルヴィアのぼんやりとした言葉に、ハンジは胸を張って「そうでしょう、もっと褒めていいよ!」と得意そうにする。


「はいはい、偉いよお。」


最早シルヴィアは突っ込む体力は無いようで、そのまま適当な言葉を返した。


「何でそんなにお疲れなのさ。また仕事溜め込んだの?つくづく懲りないねえ。」


「…………君に言われたくない……。
仕事は…なあなあに溜めてはいるけれど、まあ理由はそれだけじゃない……。」


「へえ?」


「………今。みっつの兵団による今年最後の合同会議が総統局で行われているのは知ってるだろ。」


「うん。来年の予算の割り振りが最終決定されるやつだよね。ヘマやらかしたら大変……。」


「………そういう風に圧をかけてくるのやめてくれ。
それでさあ……。取り合えず、ナイルのクソ野郎は意外と素直だから…なんとかなると置いといて…
問題は中央憲兵の方だよなあ……事あるごとにいやらしいことばかり言ってきやがって……
畜生、あいつ等は良いよな、声さえ大きければ生き残れるんだから……こちとら社会的にも物理的にも死ぬ思いを何度もしてるっていうのに渡される涙は雀の涙でああんもう、こんなのでどうしろっていうんだ」


シルヴィアはソファに寄りかかりながら顔面を両掌で覆う。

普段見ない彼女の消耗っぷりにハンジはなんともいえない苦い笑いを零した。


……………公で見る彼女はいつも余裕そうであり、どんな局面でも決して冷静さを失わないように見えるが…

実のところ、その内部では非常に精神を摩耗させているしパニックにもよく陥っている。


日頃の近しい付き合いから重々にそれをよく分かっているハンジは、今現在苦しみの渦中にいるシルヴィアには申し訳ないが…その人間臭いところに触れられるのが少しだけ嬉しくもあった。



「エルヴィンと協力してやれば……大丈夫だよ。二人はズルいことやらしたら最強なんだから。」


「なんだその慰め……。まあ、でも……エルヴィンは他にやるべきことがあるし、ボスはどっしり後ろで構えてるもんだ。
前に出て口喧嘩をするのは昔から私の役割だし、それはまだ誰にも譲るつもりは無いのよ。」



シルヴィアは顔を覆った掌の指と指の間から、ちら、とハンジの方を見る。


その瞳には、やや弱くはあるがいつもの無邪気な光が宿っていたので……疲れ切ってはいてもやる気はりんりんなんだろうなあ、とハンジは少し感心した。



「それで……なあ。次集まるのは明後日だ。先日の会議から持ち越された議題も沢山ある……。」


「………またまたシルヴィアは喧嘩の火種をバラまいてはその渦中にいる訳か。」


「好きでバラまいたんじゃないやい……。
それで、まあここ数日色々と資料を整理したり…向こうの過去の失策とかも調べて……よし、これで勝てるっていう手をようやく思い付いたんだよ……」


「ふむ。そりゃ良かったね。」


「でもさ……夜中に久々に入ったベッドの中で思い出しちゃったんだよ。全く同じ失策を先々代の団長時代に調査兵団もしたことがあったっていう記録を……。
それ墓穴じゃん、墓穴じゃんか……!!何自分の墓掘って満足してるんだ私は!!!と、なってね。」


「お、おう。」


「そこからはまた元の振り出しに戻って資料整理とひたすら相手のあら探しに徹していたらいつの間にか明るく……
とりあえずお腹減ったからなんか食べよう……とか思っているうちにこんな時間に……あれ、そもそも私、なんでここにいるんだ……、自分の部屋にいた筈なのに……うん?」


「シルヴィア……。ごめん。……想像以上に疲れてるみたいだから休んだが良いよ。」


ハンジは目の下に隈を作ってはぼんやりと虚空を見つめる彼女に対して、若干ひき気味になりながら言葉をかける。



「うん……そうだね。取り合えず何か食べたらもう一回資料室に行くから……ちょっと資料運ぶの手伝ってもらっても良いかな。」


「おう、人の話全然聞いてないね。………まあ別に良いけどさ。よくやるよね。」


「君だって人のこと言えないでしょう。
それに……相手の思い通りになるのは悔しいじゃないか。どうせやるならとことんやって勝ちたいもんだよ。」



シルヴィアはどことなく挑戦的な笑みをハンジに向ける。


…………それを眺めていて、ハンジも自然と笑ってしまった。

負けず嫌いで意地っ張りと……。自分よりもそこそこ年はいっている筈なのに、子供を見ているような気がして微笑ましかったのだ。



「…………明後日が終れば週末じゃんか。
今週末はエルヴィンの誕生日っていう大義名分の元皆で騒ぐ用事もあるんだから……あと少し、頑張ってね。」


少しもつれたシルヴィアの髪に触れながらで励ましの言葉をかけると、彼女は親指をぐっと立ててそれに応える。


らしくない爽やかな反応が何だかおかしくて、ハンジを遂に声を上げて笑ってしまった。



――――



「………シルヴィア。ここにいたか。」



その時……和やかな空気に包まれていた団長室に、低い声が響く。



「………おお、ミケだ。どうした。」



呼ばれた方を見て、シルヴィアは笑いかけながら応える。



「ん……。お前に用事がある方がお見えだ。」


ミケの言葉に、先程まで楽しげだったシルヴィアの表情をあっという間に雲散霧消になった。



「何だ……来客の予定は入っていない筈だぞ。」


「お前の仕事柄そういう訳にも行かないことがあるだろう……。来賓室に待たせてあるからさっさと仕度をしろ。」


「はいはい………。」



どっこしょ、とシルヴィアはハンジの隣から腰を上げて……窓からふい、と外を覗く。


……………調査兵団の公舎は中庭を囲むようにコの字型になっている為……団長室の窓からは来賓室の中をちょうど臨むことが出来た。



そしてその中で待っている人物を認めた瞬間、シルヴィアの顔色は更に曇っていく。



「………げ。リヒター夫人じゃないか。あの人と話すと緊張するんだよなあ……。」


「あそこの家は代々うちにとって良い出資者だろう。そういう顔をするものじゃない。」


「うむ。重々に承知はしているが……。だがなあ、この前だってよく分からないパーティーに出席させられて……」


「良いから行け。」


「はいはい……。」


「はいは一度で良い。」



ミケは未だに苦い顔をして来賓室の方を眺めるシルヴィアの傍まで寄ると、どうにもぼさぼさとしている彼女の髪を一度撫で付けては急かすように言う。



「…………来賓室に行く前に一度鏡を見ておけ。」



そして、ミケに軽く礼を述べてから立ち去ろうとするシルヴィアに向かって付け足すように呟いた。



「そんなにひどい有様かな?」


それに振り返って応える彼女に対して、ミケは一度頷く。



「ああ。幽霊に二本足がついてるみたいだ。」


「……………よく分からない例えだなあ。」



分かったよ、と言いながら再度シルヴィアは扉の方に向かい、外の廊下へと姿を消していった。



「…………ミケは相変わらずジョークのセンスが無いよねえ。」


シルヴィアを見送ったあとにハンジがぽつりと言う。



「余計なお世話だ。」


彼は相変わらず表情をあまり変えることはなく、言い返した。



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