銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジの誕生日 前編

「ハッピィバースディ!!トゥ・ミー!!!」


パァン……と軽やかな音がしては、執務室の机で眠りかけていたシルヴィアの顔面に色とりどりの紙テープがまとわりつく。


突然の事に彼女は椅子の上から転がり落ちそうになりながら身体を支えた。



「な、ななななにごと!!??」


とんでもない慌てぶりで辺りを見回すシルヴィアの視界に入ったのは、口元を抑えて笑いを噛み殺す…クラッカーを片手にした部下の姿だった。


…………馬鹿にされていると理解した瞬間、シルヴィアの胸の内には怒りが着火する。


椅子を蹴り倒して立ち上がり、掴み掛かろうとするがそれはひらりと躱されて適わない。

こういう状況において、いつもシルヴィアはハンジに翻弄されっぱなしなのだ。







「…………………で。」



お互いつかみ合っては殴り合い、ぼろぼろになった状態で…シルヴィアは自らの椅子へと戻り、傷だらけになりながらも満足そうにしているハンジへと呼びかける。


「何の用だ、このクソバカ。」


クソバカ、の部分にとくに感情を込めてシルヴィアが尋ねた。

しかしハンジは彼女の苛立ちもなんのその、「いやあ、おはようシルヴィア。よく寝れた?」と爽やかな笑顔で逆に聞き返してくる。


寝起きのシルヴィアは憤りのあまり机をどすんと殴る様に叩く。溜まりに溜まっていた書類が数センチ程机上から飛び上がった。



「やだ、怖いなあ。私はただ純粋に私の誕生日を祝ってもらおうと思っただけなのに」


「一人でやってろこのクソバカ。」



にべもなく言い放ったシルヴィアは、野良猫を追い払う様な仕草でしっしとハンジを退室させようとする。


しかし当の本人はそれを無視して椅子に腰掛けたシルヴィアとの距離をつめた。


勿論それに合わせてシルヴィアはハンジと逆方向に椅子を引く。…間髪入れずにハンジはもう一歩足を進めた。更に椅子を引くシルヴィア。



………………………。



「だからあ!!何の用だこのクソ野郎め!!!缶詰にあってる私を笑いに来たのか!!??」


「まあ…それもあるけど………」


「なんだとぅ!!??」


「とりあえず私は誕生日プレゼントが欲しい。」


「はあ!!??」


「ケーキ無いのケーキ。お腹減った。」


「超弩級の厚かましさだな!?最早病気の疑いがあるぞ医者を呼べ!!」


「ケーキが無いならお菓子でも良いのよ。」


「泥でも食ってろ」


「……無いの?シルヴィアったら使えないおばさん。」


「もう絶対やらん!!あっても貴様には絶対やらん!!」


「という事は用意してくれてるんだねえ!!さっすがシルヴィア!!愛してるう!!!」


「離れなさい、暑苦しいからに!!」



傍に合った資料の本の角で思いっきり自らに抱きつくハンジの頭を殴ろうとしたシルヴィアだったが……流石に可哀想と思い、背で軽く叩くに留める。

こういう微妙な甘さがハンジを更に助長させる結果に繋がっているのだが、それはシルヴィアの気が付く所では無かった。



「明日………。いや、もう今日か。昼まで待てないのか」

シルヴィアが立ち上がりつつ聞けば、ハンジは「待てなかった。」と語尾に星をつけそうな勢いで楽しげに答える。


「いやねえ。なんか頭使うとお腹減っちゃってさあ。」


未だにシルヴィアにぴったりと抱きついては愛おしそうに身体をよせるハンジ。よっぽど糖分が不足していたのだろうか。


それを力一杯引き剥がし、シルヴィアは出入口へと向かった。



「言っておくが机の上の書類に指1本触るなよ。締め切りが明日…いや今日の正午で私も中々に切羽詰まっているんだ。」


念を押す様に言えば、ハンジはちらりと書類に目を落とした後…「何、それなんかの前フリ?」と満面の笑みで尋ねてくる。



「違う!!!お前はほんっとーに昔から人が嫌がる事を進んでやる奴だなあっ!!」


「そうだよ、偉いでしょう。」


「褒めてないよ!!??」


「分かってる分かってる。これはシルヴィア限定だからさあ。」


「ふざけんなこの「おっとっと、あんまりに汚い言葉はいけないよ?」



額に青筋を浮かべるシルヴィアに対して非常に面白そうにしているハンジ。


シルヴィアが今まで腰掛けていた椅子へと座ると、頬杖をついては「それじゃあここで良い子でケーキ待ってるからねえ。」と片手をひらひらと振る。


しばらくその様を非常に渋い顔をして眺めていたシルヴィアだったが…やがて、「……分かったよ。食べたらさっさと寝なさいね。」と言っては扉の向こうへと姿を消して行く。


ハンジが強請るものを取りに、自室へと戻ったのだろう。



(……………………。)



…………ハンジは、少しの間閉ざされた扉を見ていたが、やがてほう、と溜め息を吐いては椅子の上で足を組み直す。



(…………本当に…昔から甘いよねえ。)



そして、くっ、と押しつぶした笑みを喉元から漏らした。



…………何だかんだ言って、あのひねくれ者の副団長はいつだって自分に甘いのだ。


その事が分かっているからこそ、遂々からかってしまうし、構いたくなってしまう。



(これで祝ってもらうのも何年目かなー。)



まめなあの人が今日を忘れた事は交流を持つ様になってから一度としていない。


だから誕生日というものは、自分がまた年をとるのとは別に…シルヴィアと過ごす日々の節目が再び訪れた、という軽い記念日でもあると……ハンジは勝手に解釈していた。



(ケーキまだかなー。)



お腹の中では空腹の虫がぐーと鳴る。


相も変わらず期待を裏切らないであろう彼女が作るケーキの味を想像しては…ハンジは一人、幸せそうに笑った。







「ほら、あおがんなさいな……」


割と距離のある執務室と自室の往復に疲れたらしいシルヴィアは、ややげんなりとした声で言いながら切り分けたケーキを皿に乗せてハンジへと差し出す。

季節だからだろうか。イチジクが使用されていた。


それを嬉々として受け取った後、自分の椅子に腰掛けたシルヴィアの隣に別の椅子を持って来ては着席するハンジ。


大きく一口頬張ろうとしてから…ふとお礼を言うのを忘れていた事に思い当たったのか、「今年もありがと、シルヴィア」と至極嬉しそうに言う。


………素直なその言葉に、未だに眉間に皺を寄せっ放しだったシルヴィアも、少々照れた様に頬を染めては「うんまあ…お誕生日、おめでとう。」と漏らした。


柄にも合わないどうにも可愛らしい反応に、ハンジはまたしても笑いを噛み殺しながら、ようやくケーキを口に含む。洋酒の香りがじわりとした。



「ねえ、シルヴィアは食べないの?」


断りも入れずに二切れ目をおかわりしながらハンジが尋ねた。


シルヴィアは相変わらず…彼女にしては珍しく真面目に仕事に取り組んでいる。


「んんー。あとでね。ちょっと今はこれを片付けてから……」


しかし、言い終わらないうちにシルヴィアの口元には一口大になったイチジクのケーキがフォークに刺されて差し出される。


「………………。」


それを無言で見下ろすシルヴィア。………数回瞬きした後…ハンジの事を横目で眺めた。


………ハンジは、それはもう良い笑顔をしている。



「ほ、ら。口開いて。私が食べさせてあげる。」


今度は語尾にハートマークがつきそうな勢いである。


………ハンジの真意が分かった途端急に恥ずかしくなったシルヴィアは、じわりと頬に熱が集まって行くのを感じていた。



「……なに照れてるの。口開くだけだよ?」


「あ、あとで食べるから今は良いと言ってるだうぐ」


その申し出を断ろうと開きかけたシルヴィアの口へ、見計らった様に押し込まれるケーキ。



「……………………。」


「……………………。」



…………二人は、そのまましばし見つめ合うが、やがてハンジは満足そうにシルヴィアの唇の間からフォークを引き抜く。


シルヴィアは、何とも言えない表情をしながら口の中に押し込まれたものを咀嚼し、嚥下した。

そして我ながら中々上手な出来だと不覚にも思ってしまう。



「……………美味しかった?」


ハンジの質問に、またしても何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてきたシルヴィアは…それを気取られない様にしながら「あ、当たり前だ。」と応えた。


「そっか。じゃあもう一口いる?」


「い、いや……もう良い。君の誕生日なんだから君が食べればうぐ」


そして何度でも同じ手を食らうシルヴィア。………仕方無いので再び口の中に広がる上品な甘さのケーキを味わっては飲み込む。



「私一人で食べてもつまらないから一緒に食べてよ。ほら、もう一口」


「わ、分かった。分かったから……ちゃんと食べるからもう良いって……」


「シルヴィア、ほっぺ凄い赤いよ。」


「赤くなんかない…、元からこんな色だ。」


「いーや、そんな事ないよ、ほら鏡見る?」


「さっきから何なんだ!これ以上ぐだぐだ言うと追い出すぞ!!」



ますます頬の朱を濃くするシルヴィアは怒鳴りながら…勘弁した様に自分用にケーキを切り分ける。


頬の色は最早耳まで届くところとなっていた。



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