銀色の水平線 | ナノ
◇ ナイルとの出会い 中下編

シルヴィアは……手の内に収まった、紙袋の口をそっと開けて…中身を確認した。


…………桃色の小さな花があしらわれた髪留め。……袋の中から、取り出す事はしなかった。


ただ。眺めるだけ。その瞳は先程から何も変わらず、温もりを感じ取る事はできなかった。




(………………。)




それからそっと目を伏せて、紙袋の口を元の様に折り畳む。かさり、と乾いた音がした。




「シルヴィア」




ふいに……名を呼ばれる。今ここにいるのは一人だと思っていたシルヴィアは少しだけ驚くが…

それは表には出さないのか、出せないのか…とにかく、いつもの様に無表情無感情のままその方を向く。




「シルヴィア、相変わらず一人か。……まあ。友達いねえもんな、かわいそ。」


そこには、最近やたらとよく話しかけてくる男性兵士が何処か楽しそうな笑顔を浮かべていた。



…………シルヴィアは、一瞥しただけで何も応えなかった。



「なんでいっつも黙ってんの?……聞こえてねえ訳じゃないよな。」


それをあまり気にした様子なく、彼はシルヴィアとの距離をつめる。


辺りの空気は秋も未だ訪れたばかりだというのにどういう訳か冷たい。



「………話があるんだけどさ、良い?」


シルヴィアは……首を縦にも、横にも振らなかった。



だが、彼はそれを勝手に了承の意と受け取ったらしい。


「そうだな、ここじゃなんだし…ちょっと移動させて」とシルヴィアの手を引いて歩き出そうとする…が。


その掌がシルヴィアの手に触れるか触れないかの時、固く閉ざされていたシルヴィアの唇がゆっくりと動いた。



「………触らないでくれ。」



小さな声だった。しかし、凍てつく様に冷たい。思わず男性兵士は動きをぴたりと止める。



「………おい。何か言ったか。」



そして、先程まで浮かべていた微笑を表情から拭い去ると、低い声で尋ねた。

シルヴィアは彼の事を見ようともせず、斜め下を見ては再び口を開く。



「君が何を思っているか……私にはよく分かるんだよ。……汚らしい男だな、最低だ。」



彼女の言葉に、男性兵士は目を丸くする。

……そもそも、きちんと文章の体を成した言葉を喋るシルヴィアを見るのは初めてだったのだ。

彼女の言葉に憤る事も忘れて…石灰の様に無機的な白さの顔を見つめる事しかできない。


「そして何より」


ようやくシルヴィアは視線を上げて男の瞳を真っ直ぐに捕えた。

その銀灰の光彩には、蔑むというよりむしろ哀れむ様な感慨がこめられている。



「私は、下品な人間は嫌いなんだ」



それだけ言い切ると、シルヴィアは最早何も言わず、聞かず、その場から確固たる足取りで歩き出す。


後ろからは…少し遅れて、汚い言葉が針の雨の様に背中を打つが……最早、それも気にならない。



………良くある事だ。そしてこれからもきっと。



廊下を歩く途中……開け放たれた窓からは、一迅の風が舞い込む。



もう、夏の様な湿った気配は感じられない。


………シルヴィアは、そよそよと自らの髪を揺らして行く風を甘受しては……そっと、目を細めた。











ある日の訓練終了後の夕方……とくにやる事も無かった俺は訓練場の周りをぶらぶらと散歩していた。



その時に、ふと…目に入った人物。



………はたはたと吹く風に銀糸の髪を揺らして、何処か遠くをぼんやりと見つめている。



(………………火?)



そして、その足下では、小さく火が燃えていた。


………焚き火か。


だが、何故?……焼き芋の季節には早過ぎるし、そもそもこいつが呑気に芋を焼いている姿等俺には想像もできなかった。


興味を覚えた俺は奴の方へと足を向ける。



…………近付くにつれ。徐々に、彼女の足下でひらめく赤い炎の中のものの全貌が明らかになってきた。


もう、火炎に呑まれて原型を留めていないものがほとんどだったが………



俺は、それが、何だか分かった瞬間、爆発的に体の内から怒りと焦燥が湧き出るのを感じた。



………………気付くと、俺は駆け出していた。



そのままジャケットを脱ぎ、振りかぶって、小さな焚き火へと数回叩き付ける。

……弱々しい光を宿していたそれはすぐに消えた。



「お前………何やってるんだ!!!!!」



それから……俺の行動をまるで転がる石を見る様に無関心に眺めていた奴の襟元を掴んで、怒鳴りつける。


相当の強い力で掴んだにも関わらず、シルヴィアは眉ひとつ動かさなかった。



「………………。必要の無いものを、処分していた。」


彼女は、あくまで淡々と答える。その事務的な物言いが、更に俺の怒りに拍車をかける。

思わず俺は奴の事を平手で殴りつけた。乾いた音の後、シルヴィアの頬がじわりと赤くなる。



「あの髪留めは……あいつが、お前の為に買ったものだ……!いくらなんでも…こんなの、あんまりじゃねえか!!!」


叫ぶ様にしながら、視線を、足下の黒く燻る残骸たちに目を落とす。


…………そこには、他にも。手紙の類やら小さな装飾品やら。彼女を想って渡されたであろう、多くのものが転がっていた。



「…………彼は。受け取るだけで良い、処分しても構わない、と言った。……他の人たちも、同じ事を許してくれている。」


「お前………っ、そういう問題じゃねえだろ!!」


彼女の冷たい声色に、遂に俺の怒りは頂点に達しようとしていた。

だが…そんな俺に臆さず、シルヴィアは真っ直ぐにこちらを見つめてくる。そして、一呼吸置いて、再び口を開く。



「そうだね。……その通りだ。………知っているよ。」


シルヴィアは……少しだけ、表情を歪めながら、零した。


「だから…責任を取って、彼等の目につかぬ様に。全部、燃やすんだ。」


そう言ったシルヴィアの声色には…何に対してかはよく理解できなかったが…陳謝の念が、確かに滲んでいた。



「いや……訳分かんねえよ…。」


俺は奴の襟を締め上げる力を緩める事はせずにぽつりと呟く。



「そうやって人の心を無下にして…お前。楽しいのかよ……。」



そう尋ねれば、シルヴィアはそっと足下の焚き火の跡へと視線を落とす。

……冷たく乾いた風が吹いて、黒い炭へと変わってしまった紙片を数枚、舞い上げた。



「………君は、恋をしているな?」



少しの沈黙の後、唐突にシルヴィアは発言する。あんまりに脈絡の無い言葉に、俺は面食らってしまった。



「な、え………は……?」



淡い初恋を胸に抱き始めたばかりだった俺は、突然の事に混乱する。

そして、どういう訳だか頬には熱が集中していった。……やめろ。これじゃ、俺の思ってる事が筒抜けじゃねえか…!



「隠さなくても良い。恋とは素敵なものなのだから。」


そして……当たり前の様にシルヴィアは俺の反応を質問の答えとして受け取る。

淡い吐息と共に、……ゆっくりと。更に、質問は重ねられた。


「………人を愛するというのは、どんな気持ちなんだ?」


またしても、唐突な疑問だ。

俺は先程からすっかり自分のペースを崩されていたので…しどろもどろになりながら、「いや…どんな、って聞かれても………」と零す。



「…………私は。無償の愛というものは、存在しないと思うんだ。」


俺の答えを待たないで、シルヴィアはまた静かに語り出した。

頼むから、前後の会話を繋げる努力をして欲しいものである。


「………愛する事で愛されようとする。……与える事で何かを得ようとする。見返りを求める。
まあ。………それは、当たり前の事だし…否定するつもりはないけれど。」


俺に襟元を掴まれたまま、シルヴィアは滔々と言葉を紡ぎ続ける。

……こんなに長く喋るこいつの姿は相当珍しい。俺は、今の状況を半ば忘れかけてそれを繁々を眺めてしまった。


「皆、私から何かを得ようとして、色々なものをくれた。
…でも。私は返す事ができない。だから…持っていても無駄だし、ただ苦しいだけなんだ……。」


そう言って、シルヴィアは足下に転がる想いの残骸たちをじっと見下ろした。

………俺の友人が彼女へと贈った桃色の髪留めは、もう…辛うじてその原型を留めるまでになっている。



「返せないって事は無いだろ……。誰か一人位でも…恋人とまでいかなくても、ちょっと位仲良くしたって……それだけで、あいつ等には充分な筈だが。」


俺が呟けば、シルヴィアはゆっくりとかぶりを振っては瞼を下ろす。



「………果たしてそれはどうだろうか。」



…………彼女の声は、穏やかだった。



それきり、辺りには沈黙が訪れる。




……………寒かった。




こいつの傍はいつもこれなんだ。




俺は…しばらく、髪留めの残骸を眺めた後…再びシルヴィアに向き直って…もう一度その白い頬を、打った。





「…………いちいち俺の癇に障る野郎だな……」


シルヴィアは、二度の殴打ですっかり赤くなった頬にそっと指を触れる。

そうして緩やかに目を細める姿には妙な艶っぽさがあった。


俺は、ゆっくりとシルヴィアの襟元から手を離し、彼女との間に一歩置く。


「そうやってずっと一人で生きてろよ。」


突き放す様に一言言うと、シルヴィアは……微かに、口角を持ち上げて、笑った。


「そうだね。……そのつもりだよ。」


その答えに、俺の胸の中には再び憤りの炎が点火する。

……理由は分からない。だが、こいつの発言、一挙一動が腹立たしくて堪らなかった。



「…………お前、生きてて、楽しいのか?」

そう尋ねれば、シルヴィアは緩やかに首を振る。


「楽しく無いよ……。でも、死ぬのは嫌だから。」

「………そうか。」


端的な答えだ。だから、俺も端的に応えた。


「……だけれど。そうだな………。負い目やしがらみを無視してでも誰かを愛してしまうとか。………生きる為の標を見つける事ができたなら。
……その時が訪れたなら、私は死んでも構わない……、喜んで、命くらい差し出すだろうと思うよ……。」


シルヴィアは淡く笑った面持ちのまま、そっと歩き出す。……俺もそれに続いて、隣を歩いた。



「言っている事が矛盾しているぞ………。」


「……。そうかな。」


………冷たい風がシルヴィアの髪をまた、揺らす。彼女はずっと、笑っている。


何がそんなに面白いのか。……いや。面白い、とは少し違うか。


嬉しい時にも涙が出る様に、悲しい時に笑ってしまう事もある、のかもしれない……。



「……………。いや。よくよく考えたら、大した矛盾ではないのかもしれねえな…。」



俺の呟きに、シルヴィアは何の反応を示さなかった。



ただ。俺達は茶色く乾いた雑草を踏みしめ、無言で歩いて行く。



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