銀色の水平線 | ナノ
◇ ナイルとの出会い 前編

(訓練兵団初期)





「……えー。お前達二人が、ひとまず今期の訓練兵として最初の査定の中では主席だ。
これからも、気を抜かずに…くれぐれも周りに追い抜かれない様に、頑張るんだぞ。」


初老の穏やかそうな教官が、俺達二人に柔らかく笑いながら呼びかける。


俺は…その、静かながら激励してくれる言葉に思わず高揚して…「はい…!頑張ります!」と元気よく応えた。


対して…俺の隣に佇む女は…黙って、小さく会釈するに留まる。


…………随分と愛想の無い奴だ。横目でチラ、と奴を見る。




確か…名前は、シルヴィア。



当時はまだ女で兵士を志願する者は少なかったから…、名前だけは覚えていた。


いや……。違うな。女性兵士の数が少ない事以外にも、奴はこの訓練兵の中で異常にその存在を際立たせていた。




―――――――出身は、雪の郷らしい。




恫喝の際には尋ねられていなかったので噂で与り知った事だが……


その所為だろうか。彼女の周りは、いつも凍てつく様な空気で覆われていた。


…………まるで、未だに遠い雪の故郷にいる様な…そんな、朧げな存在感。




そして、何よりも……シルヴィアは、美しかった。




真っ白な大理石の彫刻を思わせる風貌には、冷たい崇高と艶美が静かに漂っている。



(………寒い。)



季節は中々に蒸す残暑だというのに、俺はどこか寒気を覚えて身を震わす。


…………こいつの傍は、いつもこうだ。


このまま……白夜の郷へ、連れて行かれそうな気持ちになる。



勿論そんな訳がないのは、分かっているのだが………








「それで……お前達は、卒団時にはどこの兵団を希望するんだ?やはり憲兵団か?」


………教官の言葉に、俺はふと我に返る。


ぼーっとしていた事が少し恥ずかしくなって、思わず必要以上に背筋を正してしまった。



「………は、はい!自分は、調査兵団を希望しています…!」

兼ねてよりの自分の希望を口にするのは…何だか、恥ずかしい。


俺の言葉に、教官は少しだけ目を見張ったが…後に、優しく微笑んだ。


「そうか…。それは立派な志だ。確かに素質はあるな…立体起動も中々に優秀だ。」

視線を俺の成績表に落としてそう零した後、「頑張れよ」と教官は言う。


俺は彼の言葉に何だか嬉しくなってしまい、顔に熱が集まるのを感じながら「はい…!」と返事をした。



「シルヴィア。お前の方はどうなんだ?」

教官は次に、俺の隣のシルヴィアへと視線を移す。………が、彼女は何も答えようとしない。


俺はその態度に少し苛々としてしまい、脇を小突きながら「おい、何とか言えよ」と小声でせっつく。


…………ようやく、シルヴィアは伏せていた瞳を上げて、ゆっくりと口を開いた。



「………駐屯兵団。」



そして低い声で一言だけ告げると、またしても唖の様に黙ってしまう。


教官は目を数回瞬かせた後…「……珍しいな。特権つきの憲兵でなくて良いのか?」と意外そうに尋ねた。


「あまり…興味が。ありません。」


シルヴィアは端的に答える。………その声にも、まるで温度というものが感じられない。ひどく、冷たい声だった。



「そ、そうか………。まあ。まだ時間はあるからな。……ゆっくり考えると良い。」


教官は、すっかり凍てついてしまった場の空気を取り直す様に明るい声で言う。


「時間を取らせてしまったな。もう、戻って良いぞ。」


そう言われて…俺達は、今一度敬礼の形を取って教官の元から立ち去った。











―――――シルヴィアの歩く速度は、速かった。すぐに、俺達の間の距離は開いていく。




「おい。」


だが俺は…それを引き止める様に低く声をかけた。


シルヴィアは首だけ動かして振り返り、俺の事をじっと見つめる。

……薄い銀灰色の瞳だ。瞳孔だけが黒く、不気味な印象を与えている。


「……いくらなんでもあの態度はどうかと思うぞ。」


冷たい視線に気圧されそうになりながら、俺も対抗する様に固い口調で告げる。


シルヴィアは、ゆっくり瞬きをすると…「…そうかな。」と呟いてはまた前を向いて歩き出してしまう。


歯牙にもかけない態度に俺は先程以上に苛立ちを感じて、彼女との距離を一気に詰めるとその肩を掴んだ。


「おい!何だその反応は。喧嘩を売っているのか…!?」


……とても、女に対しているとは思えない有様で凄んでみせるが、シルヴィアは全く気にした様子は無い。

相変わらず凍てついた面持ちで、俺の瞳を覗き込んでいる。



「……………。ごめん。」


そして、一言零す。……意外な言葉に、俺は拍子抜けしてしまった。



「……………………。」


「……………………。」



俺達は、しばらく見つめ合っていた。……が、やがて俺は奴の肩から手を離し…「いや、俺こそ急に悪かった…」と思わず謝り返してしまう。


シルヴィアは、少しだけ目を伏せてそれに応えると、また前を向いて歩き出してしまう。

今度は…俺もその隣に並んで、同じ速度で歩いた。


………気の所為か、奴の歩く速度が…先程よりゆっくりに感じる。


まあ。気の所為だろうが。



「………なんで、駐屯兵団なんだ。」

歩きながら、俺は尋ねる。


「……………………。」

反応は無い。………予想はしていたが、こうも露骨に無視されると中々腹が立った。





「………………。別に。憲兵でも駐屯兵でも、どっちでも良いんだ。」

数分のタイムラグの後、ようやくシルヴィアは口を開いた。


最早答えを期待していなかった俺は、少々驚いてシルヴィアの横顔を眺めた。白い顔だ。幽霊に似ている。


「でも…なら。なりたい人が多くいる、憲兵は他人に譲った方が良いと思った。」

それだけ言って……シルヴィアは口を閉じる。


俺はシルヴィアの解答に、どうも腑に落ち着かないものを感じて…眉を軽くしかめた。


「お前…何の為に兵士になったんだ。普通、多かれ少なかれ目的や目標を持ってここにいる筈だろう…。」


そう言えば…シルヴィアは、何かを考え込む様にそっと瞳を閉じる。その際に…音が聞こえてきそうな程に彼女の睫毛は豊かで長かった。


「………そう言う君は。調査兵団になる為にここにいるんだな?」

そしてゆっくりと目を開いては俺の方を向きながら尋ねる。………謎の薄気味悪さに、俺は少々気圧されてしまった。


「あ、ああ……。そうだ。調査兵団に入って…人類を脅かす巨人を倒す。俺はずっとそれを目標にしてきた。」

少々吃りつつもそう返せば、シルヴィアは淡い溜め息を吐く。同年代とは思えない色気に目眩がした。


「そ、そうだ。……お前も、駐屯兵になる位なら調査兵団に入れば良い。……成績だって俺と同じに優秀なんだ、きっと…………」


気を取り直しての発言だったが、その声は徐々に小さくなる。……シルヴィアが、またしても俺の事を…有無を言わさない様な冷たい瞳で眺めて来たからだ。


「……皆が皆。君みたいに命知らずな人間だと思わない方が良い。」


冷たく呟いて、シルヴィアはまた歩き出してしまう。……その際に、括られた銀糸の長い髪がさらりと隣を過って行った。


「おい……。どういう意味だ…!?」

奴の発言に憤りを感じた俺は…追いかけて、追い付いて、肩を掴む。

そうやって先程と同じ一連の動作をして、奴を引き止めた。……とくに抵抗する気配は無い。


「私は……悪いけれど調査兵団にだけは入りたく無いんだ。」

……捕まえられたシルヴィアは、俺の事は見ようとはせずに言う。……抑揚の無い声で。


「だから…その誘いには乗れない。……すまなかった。君の目標を、悪く言うつもりは無いんだ。」


そこでようやく…シルヴィアは俺の方を向いた。……その視線からは、何の感慨も感じ取れない。

ただ、中空にぽっかりと黒い瞳孔が浮かんでいるだけ。理由も分からず、ぞっとする光景だった。


「私は……死ぬのだけは嫌なんだ。…目的も目標も。望みさえ無い私だけれど、それだけは確かな事だから……。」


そう言ったシルヴィアは、少しだけ表情を歪めた。

表情筋数ミリ程の僅かな動きだったが…元より無表情なシルヴィアの面持ちの中で、それは大いに目立つ。


俺は……それ以上何も言えなくなり、ゆっくりとシルヴィアの身体から手を離した。

彼女は…何も言わずに、影が滑る様にその場から立ち去って行く。


俺は……その後ろ姿を眺めながら…今回は、追いかける事を、しなかった。



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