銀色の水平線 | ナノ
◇ ナイルの願い 後編

「君は相変わらずくそ真面目な字を書くなあ。息苦しいしからかい甲斐が無くてつまらん。」

シルヴィアが今まさに執務室にてリヴァイが懸命に取り組んでいた書類を摘まみ上げながらぶつぶつと零す。


「お前にからかわれる為に仕事してる訳じゃねえよ……。」

返せ、と言いながらリヴァイはシルヴィアの手の内から書類を奪い返した。


「………そうだったのか。初耳だうぉっと」

尚もリヴァイの机の傍らに立って無駄口を叩くシルヴィアの頬を勢い付いた万年筆がかする。


シルヴィアは、容赦ない男だ…だとかなんだとかぶつぶつ言いながら黒いインクが付いてしまった箇所をハンカチで拭った。



「シルヴィア。」

リヴァイはその光景を眺めながら彼女の名前を呼ぶ。


「何だ。」

シルヴィアがそれに応えると、リヴァイは軽く手招きをして傍に寄る様に促して来た。


その通りに彼の傍に寄ると今度は屈む様に肩に手を置かれる。

ゆっくりと膝を落として座っている彼に目線を合わせていくシルヴィア。


…………だが、顔の位置が思った以上に近くなってしまう事に気付き、一歩後ろへ退こうとした。


しかし勿論そんな事は許されないらしく、がっちりと肩に置かれていた手が首へと回って更に近くに引き寄せられる。


「………!?ちょっと待てリヴァイ、」

シルヴィアは顔に凄い勢いで熱が集中していくのを感じた。

当たり前である。曲がりなりにも愛した人物の顔がこうも至近距離にあって、緊張しない人間等存在するだろうか、いやしない。


「悪い気はしねえな。」

しかしリヴァイはあまり気にした様子なく、動揺しているシルヴィアの顔を繁々と眺めた。


「…………お前が仕事の邪魔をしてくるのは好意の裏返しだと最近ようやく気が付いた。」


「そ、そんな事なんかないぞ!?」


「無自覚か、それともすっとぼけてるのか………」



リヴァイはシルヴィアの体を更に引き寄せて、抱き締める様な形に持っていく。


……いつもの甘い匂いが鼻を翳めるので、一度深く呼吸をしてそれを体の中に満たした。


そうすると、堪らなく幸せ気持ちになる。今、腕の中にいる人物を望んで、望まれる事が堪え難く嬉しかった。



「………お前は、俺に。何をして欲しいんだ……?」


耳元で低く囁いて尋ねると、シルヴィアがゆっくりと体を起こす気配がする。


もう、逃げる事はしないと確信していたので、抱き締めていた腕の力を緩めてやった。


体を起こして今一度向き合ったシルヴィアの顔は情けなく赤面しており、目尻には涙が溜まっている。


………その姿にもう一度抱き締めたい衝動に駆られるが、彼女が唇を微かに動かすので、ひとまずそれを聞き届ける事にした。



「………何もしなくて良い。」

シルヴィアはそう言ってから目を伏せ、リヴァイの両肩にそっと手を置く。


「ただ……少しだけ傍に、いさせて欲しい。」


彼女の顔にはまた熱が集中してきたらしく、髪から除く耳まで見事に赤く染まっていた。


リヴァイは少しの間だけ……ぼんやりとその光景を眺めていたが、やがて我慢の限界を静かに迎えたのか、掻き抱く様にシルヴィアの体を引き寄せる。



………………しばらく、何も言わずに彼女を強く抱き締めていた。


背中に腕を回し、全身で感じるシルヴィアの体温はやはり低い。

これからの季節、丁度良い温度だ。事あるごとに利用させてもらおう。



「…………好きなだけ傍にいろよ。」

先程と同じ様に耳元で囁くと、シルヴィアはゆっくりとリヴァイを抱き締め返した。


……………そうだ。むしろ、傍にいてもらわなくては困る。


それは話の規模を今だけではなく、一生に挿げ替えても言える事で………。



シルヴィアが微かな声で「ありがとう。」と言うのが聞こえる。


何に対してかはよく分からなかったが、リヴァイもまた無性に感謝したい気持ちになり、同じ言葉を口にした。



静まった執務室の外では、通り雨で一通り曇り始める。

土は濡れて冷たくて、翡翠色の影が建物の裏に差した。


しかし、通り雨だからすぐに止む。

透き通る冷たい雫を短い草にポタリポタリと落とし日が輝いては、新らしい澄んだ空気を吐き出すその時まで、二人は動かずに互いの体温をじっと感じ合っていた。



銀色の水平線を拝読させていただいております。の方のリクエストより
誰かの仕事の邪魔をする、で書かせて頂きました。



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