銀色の水平線 | ナノ
◇ イザベルの頑張り物語 おまけ編

………後頭部に鈍い衝撃が走り、シルヴィアはうめき声を上げながら眠りの淵から現実に引き戻された。



「………んんー………」


しかし、あまりの眠さに耐えきれず、シルヴィアは再び眠りの淵へと沈み込もうとする。そうはさせまいと襟首が掴まれ、遂に彼女は突っ伏していた机から身体を引っ剥がされた。



…………眉根を寄せながら、シルヴィアは自分を叩き起こした不機嫌そうな男の事を見つめる。



「………何故君が私の部屋にいるんだ。プラシーボの侵害だぞ。」


「プライバシーだ。覚えたての言葉を無理に使おうとするんじゃねえ。」



大体鍵を碌に閉めないお前が悪い、と言いながらリヴァイはシルヴィアの襟首からようやく掌を離した。



「むしろ起こしたのを感謝して欲しい位だ。お前、今晩は伯爵の誕生会に呼ばれてるんだろ。そろそろ起きないと間に合わねえぞ」


「ああ〜、そう言えばそうだった……。」



未だに寝ぼけ眼なシルヴィアは目をこすりつつ欠伸をする。………いかんな。またアリアの発表の時に寝ない様にしなくては。



「…………しかし。」


リヴァイは如何にも不機嫌そうに室内をぐるりと見渡す。


「相も変わらずごちゃごちゃと訳の分からない物を収集しやがって………」


一切合切余計なものを全て捨ててやったらシルヴィアはどんな顔をするだろうか。………少々興味があるが、本格的に縁を切られかねないのでそれは止めておいた方が良いだろう。


………ふと、夥しい数のメモが留められている壁の中に、色褪せた青いインクで『232/314』とだけ書かれた紙切れに目が留まる。



「………………。」



文字でみっしり埋められたメモが大多数の中で、簡素に数字のみを大きく書き出されたそれは異色を放っていた。また、周りの紙に比べて随分と古く、擦り切れてしまっているのも気になる点である。


「………おい。」


ようやく椅子から立ち上がり、伸びをしていたシルヴィアに対してリヴァイは呼びかけた。それに応じて彼女がこちらにやってくる。


「これは何だ。」


指で示しながら端的に尋ねれば、シルヴィアは「ああ、」と少し笑ってそれに触れた。


「………随分と懐かしいものを発見したね。これは、ある日のイザベルの定期考査の結果だよ。」


「…………………。あいつにしてはやるな。」


「やるだろう?私の教育の賜物だ。」


そう言いながらシルヴィアはふふんと得意そうに笑う。



「本当に………よく頑張る、良い子だったよ。」


少し目を細めながら呟くと、シルヴィアはゆっくりと元いたテーブルへと足を向ける。そして、脇に据えられた棚から何かを取り出して再びリヴァイの隣へ戻って来た。



「……………君に、あげよう。」



そう言って彼の掌の中にシルヴィアが収めたものは、飴色に光る小石大の物体だった。


リヴァイはそれをしばらく眺めた後、「………いらねえ。」と零してシルヴィアへとそれを突き返す。どうやら彼に取っては至極無価値なものだったらしい。



「まあそう言うな。」


しかしシルヴィアはそれを受け取ろうとせずに苦笑する。


「………これはなあ。イザベルにやるつもりだったんだ。………100位以内に彼女が入ったら、あげる約束だったんだよ。」


今一度『232/314』と記された色褪せている紙切れを眺めながらシルヴィアは呟いた。


「結局………その琥珀が、彼女の手に渡る事は無かったが………。」


シルヴィアの言葉に、リヴァイは手の内の琥珀に視線を落とした。………今気付いたが、そっくりな色をしている。……………あいつの瞳に。



「…………イザベルは君を慕っていた。」


一拍置いてからシルヴィアは言葉を続ける。………リヴァイの脳裏にはあの馬鹿みたいに明るい笑顔が浮かんで、ひどく懐かしい気持ちになった。


「だから、君が持っていた方が………イザベルは喜ぶだろう。それはもう、彼女の物だったのだから。」


分かったかい、と穏やかに告げてからシルヴィアはまた伸びをする。未だ眠気は抜け切っていない様だ。



「シルヴィア。」

黙ってただ琥珀を見つめていたリヴァイだったが、そこでようやく口を開く。シルヴィアは視線のみでそれに応えた。



「…………礼を言う。」

短く発せられた彼の言葉に、シルヴィアは「なに、」と笑って返す。


「そんなに高いものじゃない。確か街の蚤の市で安く仕入れた「そう言う事じゃねえよ」


彼女の言葉を遮ったリヴァイはゆっくりと視線を上げた。そして不思議そうな顔をしたシルヴィアとぴたりと瞳が合う。


「…………あいつに良くしてくれた事にだ。」


シルヴィアが納得した様に優しく笑った。


「感謝している。」と続けて言えば、彼女はゆるゆると首を左右に振る。


「感謝なんて…………。」


シルヴィアはジャケットを脱ぎ、椅子にかけた。恐らく、着替えを始める準備をしているのだろう。


「私の方こそ、あの子には沢山のものをもらったよ。」


緑青色のタイを解いてテーブルの上に乗せたシルヴィアはいつかを懐かしむ様な口調で続けた。


「……………感謝するのは私の方だ。」


そう言ってシルヴィアはリヴァイの瞳を再び覗き込む。



…………しばらく、二人は互いの瞳の中の自分の姿を確認し合っていた。……やがて、シルヴィアがそっと目を伏せてから「さて」と呟く。



「私はそろそろ準備を始めるよ。起こしてくれてありがとう。」


リヴァイに笑いかけた後、シルヴィアは部屋の奥へと足を運んだ。


「…………シルヴィア。」


その背中に、リヴァイがまたしても声をかける。シルヴィアは「何だ」と返しながらゆったりと振り向いた。



「今日…………俺も、ついていってやろうか。」


リヴァイの一言に、シルヴィアは少々驚いた表情をする。そして、「急にどうした」と笑みを漏らした。


「………さあな。どういう訳だか、俺にもよく分からん。」


リヴァイは手元の琥珀を眺めながら溜め息を吐く。………よくよく見ると中に虫が閉じ込められていた。


「ただ…………お前、最近働き過ぎだ。」

らしくもねえ、と零しつつリヴァイは琥珀を胸ポケットに仕舞う。


「………俺は知っている。兵団内で一番社交界に通じているお前が、実は一番社交界を苦手としている事を。」

リヴァイはゆっくりとシルヴィアの傍まで歩を進めた。彼女は思わず後退するが、それは腕を掴まれて適わなかった。



「……………よく知ってるな。」

正解だ、と困った様にしながらシルヴィアは言う。



「当たり前だ。俺を誰だと思ってる。」


「………兵長さんかな。」


「それだけじゃねえだろ………。」



リヴァイは少し苛立った様に言った後、強くシルヴィアの腕を引いて彼女を屈ませると、ゆっくりと彼女の耳に唇を寄せた。



……………………。



「はあっ!?」


シルヴィアは咄嗟に仰け反ってリヴァイから逃れた為に後ろに控えていた寝室への扉に強かに頭をぶつけた。



「あっぐううう、、、」

実に痛そうな鈍い音が辺りに響いた。思わずシルヴィアは頭を抱え込んでその場に踞る。



「…………何やってんだ、お前。」

リヴァイは非常に呆れた様にその光景を見下ろしていた。



が、やがて壁にかかった三つの時計の内ひとつをじっと見つめては「………そろそろ時間がねえな」と呟く。



「おい。あと20分しかねえぞ。俺がついて行ってやるんだ、遅れたら項を削いで刺身にしてやるいやお前すげえマズそうだな養豚場の豚の餌にしかならん」


「なにいい!!豚の餌になるだけでもエコロジーで立派なもんだ君みたいな空気が読めない不遜怖い顔はゴキブリだって食すもんか環境汚染に繋がるから今すぐ壁内から出ていけ」


「言いやがったな俺はこの世で黒いものはゴキブリが白いものは白髪で偉そうで良い年こいて若作りなクソババアが大嫌いなんだ二度とその名を口から出すんじゃねえ」


「さっきと言ってる事が真逆じゃないか!!」


「人の心理なんてもんは環境によって変化していくもんだ重々理解しておくんだなこの米寿」


「流石に米寿はまだだわせめて還暦と言え」


「問題はそこなのか」


そう言いながらリヴァイは入口へと向かい、ドアノブに手をかける。


振り返ると、未だに頭を擦っているシルヴィアがようやく体勢を立て直した所だった。



「シルヴィア。」


もう一度その名を呼べば、彼女が痛みから涙ぐんでいる瞳でこちらを見つめる。



……………その時、ふと彼女の名前を、羞恥心から呼べない時代があった事を思い出した。



今だって恥ずかしく無いと言えば嘘になるのだが。



ただ、………シルヴィア。この短い言葉の並びを口にする度に不思議と穏やかな気持ちになる。



ようやくここまで辿り着いたと………実感と喜びを強く感じながら。



「また、後でな。」



そう告げて少し目を細めると、リヴァイはシルヴィアの部屋を後にした。



室内では、シルヴィアが呆然としてその様子を見送っていた。



足音が完全に聞こえなくなった事を把握すると、深い溜め息をひとつする。



そして、先程耳元で囁かれた言葉を思い出しては、酷く顔に熱が集中していくのを感じていた。



(…………全く。)



のろのろと身体を反転させて、寝室の扉のドアノブへとようやく触れる。それは音も無く開いて、眼前には馴染みの部屋が広がった。



「本当に…………。良い、言葉だよ。」



シルヴィアは吐息の様に微かな声で呟くと、寝室へと足を踏み入れる。



扉は相も変わらず、閉まる時も無音だった。



静まった部屋の中では、苦手な客人がいなくなった事に安堵したらしい黒猫が足音もなくその姿を現した。



そして、テーブル脇の棚の一角にあるべきものがひとつ無いのを発見すると、じっと見つめては細く長い声で、甘える様に鳴いた。



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