◇ リヴァイの誕生日、門、冬の花火 前編
………………。
リヴァイは元より寄せられていた眉間の皺を一層深くする。
(あの馬鹿……また鍵閉めてねえじゃないか)
いくらこの時刻に自分が尋ねてくると予め決まっていたとはいえ、こうも毎度錠のかけ忘れが続くと…彼女の不用心さに些か気掛かりを覚えるようになる。
……………つくづく間抜けな奴だ。副団長という地位にいる自覚は果たしてあるのだろうか。
いや……。無さそうだな。無いんだろう、あのポンコツめ。
リヴァイは心持ち苛立って真鍮製のドアノブを乱暴にひねって開ける。
相変わらず中は雑多で、色々なものがごちゃごちゃと置かれていた。
そしてうなぎの寝床のように細長い部屋である。
床に転がる様々なものを避け、時には蹴飛ばして突き進むと…ふうと香ばしく甘い匂いが柔らかく漂って来た。
ようやく突き当たる。
そこには割れた鏡がかかっている。歪んで見える自分の青白い顔を一瞥した後にリヴァイはそこを曲がった。
シルヴィアはお馴染みの…ひとり部屋にしては広い卓の前に腰掛け、ぼんやりとそこから窓の向こうの景色を眺めていた。
後ろを向いて、背中しか見えない位置にいる。
…………だが、まあ…気が付いてはいるのだろう。自分のすぐ後ろに彼がいることは。
「おい。」
そのままで、リヴァイは声をかけた。
少ししてから、「……うん?」という応えが返ってくる。
しかし姿勢は相変わらずそのままでこちらを見る事は無い。
「……………鍵くらい閉めろ。」
低い声でそう言えば、ようやくシルヴィアはリヴァイの方を見る。
じわりとした笑顔を浮かべていた。
……不遜で不適である。いつものようにそれはリヴァイを何とも言えない気分にさせる。
「………どうせいつ死ぬか分からない身だからねえ。盗まれてすごく困るものなんてあまり無いし…。
それに長い部屋を横切って応対しにいくのも中々面倒だ。勝手に入って来てもらう方が都合が良い。」
滑らかに言葉を繋げながらシルヴィアは立ち上がった。
ランプの薄明かりの中で彼女のシャツが目に沁みるほどに白く感じる。
「………そういう問題じゃないだろ。夜中くらい施錠しろ」
危ねえだろ、と言いながら薦められた席の方へと向かった。
先程シルヴィアが腰掛けていた場所のちょうど正面である。
そこには彼女のシャツの色と同じく真っ白い空のカップが置かれていた。
表面が僅かばかりに波打った、磁器のすべやかな角が淡く光っている。
「……そうだね。でも時々夜中にしくしくやりながらやってくる子がいるから……」
シルヴィアは深夜の来客を嬉しそうに迎えると、準備していたものが良い塩梅となったのを察したらしい…これもまた白い色をしたポットから彼のカップに紅茶を注いでやった。
「誰だその根性無しは」
ガキかよ、と言いながらリヴァイは紅茶を飲む。
それから渋い顔をして…だからお前は濃く淹れ過ぎるんだよ、と文句を垂れた。
「言う訳ないじゃないか。私は結構口が堅いのさ…」
シルヴィアは自分の前に置いてあったカップにも飴色の液体を注ぎながら、おかしそうにする。
そして君が淹れる色水みたいなものよりはずっと美味しい筈だよ、と付け加えてみせた。
リヴァイはそれ以上追求せず…紅茶をもう一口飲んでは苦い、と呟く。
しかし我慢出来なければ差し湯をするか、というシルヴィアの持ちかけには首を振って断った。
この苦い液体にももう良い加減に慣れてきた。……時々無性に飲みたくなるときすらある。
二人はそのまま無言で白い湯気が立ち上る紅茶を飲んだ。
何とはなしに視線は部屋の壁を大きく切り取る窓に向けられている。
外はインクの壷を覗いた時に似て黒かった。その中で星が針で突いたように細かく鋭く白熱している。いかにも澄み渡る冬の夜空であった。
「『わたしはだれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。あなたのために準備は出来ている。お入りなさい』」
ふいに、本当に小さな声でシルヴィアが呟いた。それはいつもの様に高くも低くも無い、安定した響きを持っていた。
「なんだそれ……。」
ずっと一口紅茶を啜ってから尋ねる。
「なに…。随分昔に読んだ本からの引用だよ。タイトルも忘れてしまったけれど変にそこいらだけ覚えている。」
シルヴィアは少し笑って答えた。
それに合わせて片眉だけ上がる。………こういう笑い方は、飾らなくて良い。
彼女の笑顔にも種類が様々あることを、リヴァイは短く無い付き合いの内で知るようになっていた。
「………これを言った彼は、自分を門に例えているんだ。『わたしが門です。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける』とね。」
シルヴィアはまるでその『わたし』が自分であるかのような身振りで演説じみて喋る。
そして未だに訳が分からないと言った様子のリヴァイを今一度見て目を細めた。
「私もそういう、門みたいな存在になりたいんだよ。
目的地じゃなくて良くて…そこから自分が至るべき場所を見通して進んでもらう事が出来れば」
そして時には閉じて外の世界から隠して休ませてあげるのさ、と零しながら…いつの間に飲み干したのか空になっていたリヴァイのカップに紅茶をまた注いでやる。
「きっと、キース君もそれを私に思ったんだろうねえ。だから非凡でしかも女であるこの人物に今の地位を与えた。」
そしてエルヴィンもね、とシルヴィアは含み笑った。
だから君も日中夜中寂しくなったらいつでもおいでなさいよ、と言えばリヴァイは誰が行くかとにべもなく返す。
…………それから、やっぱり夜は鍵を閉めろ。
と彼女を睨みながら言った。
何故、とシルヴィアは聞く。
何でもだ。……俺が不潔が大嫌いだということをお前も知っているだろう。
どうして急に不潔衛生の話になるんだ。訳が分からない。
訳が分からねえのはお前の頭だ。相変わらず空っぽだな。
失敬な奴だな。
シルヴィアはまた片眉をほんの少し上げて笑った。
「まあ…君の失敬は今に始まった事じゃないね。最初からずっとだし。」
「オレはお前を敬う気持ちはクソの先ほども持ち合わせちゃいねえからな」
「言うねえ」
「だが、まあ。……………。」
「………………。」
シルヴィアは頬杖をついて黙ってしまったリヴァイのことを眺める。
リヴァイは卓の上で組んだ自分の掌を。しばらく二人の視線は交わる事無く時だけが過ぎていった。
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