銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの誕生日、傷、歌劇 中編

……………何故、奴は自分に構ってくるのだろう。

最近のリヴァイは、一人になると常々そんなことを考えた。

副団長から一介の兵士への接し方にしては、距離感が近過ぎると思う。


気に入られているのだろうか。

…………だがそれなら正直、迷惑な話ではある…………



「ねえー見て見て!」


ふと、陽気な女性兵士の声によってリヴァイの思考は中断された。


それに応えるように、「なんだなんだ」「どうした?」という幾人かの声。

…………どうやら、自身が差し掛かる廊下の曲がり角の向こうでは四、五人ほどの兵士が屯して会話に興じているらしい。


(………………。)


リヴァイは……顎の辺りに手を当てて少しの思考をしたあと、踵を返して別の道から目的地に至ろうとする。

なんとなく、喧騒を煩わしく感じたのだ。


「これシルヴィア副長にもらっちゃってー。かわいいでしょ?」


だが、会話の中に現れたシルヴィアとう単語にリヴァイの歩みを止まる。

自然と、その方へと耳を澄ましてしまう。


「あー、そう言えばお前……」

「うん、一昨日誕生日だったんだ。」

「シルヴィア副長もマメだな」

「俺なんか自分の誕生日なんて、シルヴィア副長に祝われるまで忘れてたよ」

「よく覚えていてくれるもんだよな」


和やかな男女の笑い声がひとしきり辺りに響く。


(…………なんだ。)


とリヴァイは思った。どうやら、奴が同じ兵団の兵士の誕生日を祝ってやるのは珍しいことではないらしい……



「シルヴィアさんかあ……。俺ここんとこお茶会に呼ばれてないなー。」

「私も副長と話すの久しぶりでさ、でも、またいつでも部屋においでって。良かったら一緒に行こうよ」

「そう言えば………新入りの頃は私もよくお世話になってたんだけどね。最近は忙しくてとんと………
でも懐かしいね。シルヴィア副長の部屋、私も久しぶりに行きたいな。」


聞けば聞く程に、リヴァイが『近過ぎる』と思っていたシルヴィアと自身の距離感は…普通のようで。

(いや……断じて特別に思われているなどと考えていた訳では無いが。)


リヴァイはその場で壁にもたれ、しばし彼らの会話に耳を傾ける。


…………シルヴィアの真意を探りたかったのだ。

一介の兵士の部屋に尋ねてきては、実の無い話をああだこうだとされるのも、まるで任務とは関係の無い場所に連れ出されるのも。

副団長の奴にとって当たり前の行為であるのなら、今まで胸中で渦巻いていた欺瞞も晴れるというものだから……


「シルヴィア副長に相手してもらってたときと違って、俺たちももう中堅所で忙しいからなあ。
接点が少なくなったのも…まあ、当たり前と言えば当たり前だ。」

「それに最近はほら…例のゴロツキがお気に入りらしいし」

「ああ……リヴァイだっけ。」


そこで唐突に自分の名前が出てきたことに、リヴァイは驚いて居住まいを正す。

…………自身の名前がよく噂話に紛れていることは知っていたが、ここでもか、と正直舌打ちしたい気持ちだった。


「シルヴィア副長は新入りがかわいくて仕様が無いタイプなのよ。どうせいつもの好きな子いじりでしょう。」

「すっ……好きな子!?」

「ええ、多分シルヴィア副長は相当リヴァイのことが好きよ。」

「はあ!!??」


これにはリヴァイも一緒に『はあ!!??』と声を上げたい気分だった。

…………しかし、堪える。


「いや………そいつが言ってるのは恋愛対象としての好きって訳じゃねえだろ。早とちりすんな。」

「第一シルヴィア副長をいくつだと思ってるのよ。リヴァイとなんてそれこそ犯罪よお」

「いやいやいやいや全力で失礼な、お前。
第一シルヴィア副長はそこまで年食っては…………、あれ………。あの人いくつだっけ?」

「…………そういえば聞いたことねえな。ポストからしたらそこそこ年行きな感じはするが。」

「俺が入団したときはもう副団長だったぞ。」

「あんたが入団したときってことは………」

「キース団長就任以前か」

「えっまじかよ……」


ほんの少しの間、辺りは微妙な静寂に支配される。

…………しかし、これにはリヴァイも少々驚いた。

奴の年を相当多く見積もっても、キースが団長に就任する時には既に副団長だとすると……かなり、若くにその地位についたことになる。


(なにかがおかしい。)


リヴァイは、腕を組んだ状態から再び顎もとへとその指先を持って行く。そうして暫時考え込んだ。


「でもまあ……年齢のことを抜きにしても、シルヴィア副長がリヴァイとどうこうはないだろ……」

やがて、曲がり角の向こうの膠着状態も溶けたらしく、一人の男性兵士が溜め息交じりに発言する。


「あら、どうしてそう言えるのかしら。」

「シルヴィア副長が何才か知らねえが……
あの容姿だろ、俺らみたいな兵士…増して、その出世も含めて抜きん出て癖の強いリヴァイと……ってのはどう考えてもアンバランスだろ。」


なにかを確信しているらしい彼の言葉のひとつひとつは、どういう訳かリヴァイの胸をつかえさせた。

…………本当に、どういう訳かは分からなかったが。


「あの人は社交界にも顔が広いし、誰か金持ちの貴族の眼鏡に適って寿退団…ってところが打倒だろう。」

「あー、確かにそういう感じするかも。」


(……………………。)


リヴァイも、それには納得した。


そうだ。アンバランス過ぎるのだ。

兵士に相応しく無い優雅な仕草も、幅広い教養も、目を引く容姿も、この泥臭い兵団内ではあまりにも相応しく無い。


(アンバランス…………。)


バランスが取れないのだ。

自分と彼女が隣にいることなど、どうして想像することが出来よう………例えそれが、妄想の域を越えないと分かり切っていても。


…………本来ならば。シルヴィアは…彼女が得意とするらしい、社交界などの華やかな場所こそが相応しいに違いない。

ここにいて、自分や曲がり角の向こうの兵士たちと何気なく言葉を交わすこと自体がおかしなことなのだろう。



(………………………。)


誰にも聞かれないように、彼は小さく溜め息をした。

伏せていた顔を上げ、眼前の大きな窓を眺める。空は曇っていた。


(昨晩の雪から、ようやく晴れたというのに。)


また、今晩も雪なのだろうか。


(いや、違うな。これはもっと冷たくて、湿って……重い………。)


夕刻に向かい、空気は湿り気を帯び始める。

今夜の寒さは殊更だろう。それを思って、リヴァイは憂鬱そうに本日何度目かになる溜め息をした。







寒かった。

荒い呼吸をする度に吐く息は真っ白に染まり、肺を満たす全ての血液までも凍り付いてしまったかのような気持ちになる。


(ああ…………)


シルヴィアは、思わず胸の内で呻いた。

彼女の黒いフードを冷たい霙が容赦無く濡らして行く。もう、コートはその役割を果たしていなかった。


(辛い………。)


腹部からは、絶え間なく鋭い痛みが齎されて来る。

辛さはそれだけでは無かった。彼女はこの夜、本当に久しぶりに子どもに手をかけた。


シルヴィアは子どもが好きだった。生涯自らの手に抱くことの出来ない小さな命を、限りなく愛おしいと思っていた。


(仕様が無かったなんて………そんな、身勝手な言い訳。)


…………現在使用されていない、公舎の裏口に回る。

正確には、シルヴィア以外には使用されてない、だが。


やっとの思いで、風雪から逃れられる屋内に足を踏み入れる。

だが大して温かくは無かった。冷たさは身体の内にわだかまり、いつまでもそこに留まり続けている。


シルヴィアの呼吸は一際荒くなった。腹部の痛みが我慢出来ずに、思わず喘いだ。


(私はきっと………ろくでもない死に方をするんだ。)


今までの自分の所行を思えば、それは当然である。受け入れる覚悟は出来ている。だから、


(私は自分の部屋の扉の錠を、下ろさない。)


壁に手を付きじっとしていると、ほんの少しだけ痛みが和らいだ気持ちがした。



「………………随分と、参っているな。」


ふと、暗がりから誰かがシルヴィアに声をかける。

彼女はとくに驚きもせずに、「ああ、そうだね………。」とだけ返した。


エルヴィンはしばし無言で彼女を見下ろす。

そうして、手にしていたタオルを差し出してやった。シルヴィアはすまないと苦笑してそれを受け取る。


彼女はゆっくりと黒いフードを下ろした。現れた顔面はいつも以上に蒼白で、白銀の髪は湿って頬に張り付いている。


水分を多く含んだ冷たい氷が屋根や窓を叩く音がする。それきりだった。二人の間には、何も言葉が無かった。


「………………。こんな遅くまで、待っていてくれたのか。」


暫時して、シルヴィアが口を開く。エルヴィンがその質問に答えることはなかったが。しかしほんの少しの視線の動きが、彼女の言葉を肯定していた。


「………………死にそうな顔をしているな。」


そうしてやっと一言、エルヴィンは言った。

はは、とシルヴィアはそれに笑って応える。


「私の顔色が悪いのはいつものことだよ………。そう簡単には死なないさ………」


彼女がひどく不器用に場を明るくしようとしているのが、エルヴィンにはよく分かった。痛々しい程に。

だが従って笑ってやろうとはしなかった。

ただ、シルヴィアのことを見ていた。ぎこちなく彼女が自身の髪をタオルで拭うのを。その指先が震えているのを。


エルヴィンは、シルヴィアへとゆっくりと掌を差し出す。

その意味を理解したのか、彼女はエルヴィンへとタオルを返した。

そのままで彼は濡れそぼった銀色の髪を拭ってやる。


「お前………。死ぬのか。」


そうして、本当に小さな声でまた似たようなことを言った。今度は質問の形で。


「死なないよ………。今はまだ。」

「今はまだ……?」


シルヴィアの答えを、彼は繰り返す。彼女はゆっくりと頷いてから、もう大丈夫、というような仕草で彼の行為を止めさせた。



「…………こんなに安らかな形で、私に死が訪れる筈が無いから………。」



シルヴィアの銀灰色の瞳と、エルヴィンの蒼色の瞳からの視線が非常に近い距離で交わった。

虹彩の色は違えど、瞳孔の色は二人とも同じ黒だった。今夜の空に似て、明かりひとつ通さないような深い黒色だった。


「ありがとう、エルヴィン。」


彼女は先程と同じように、わざと軽快に友人の肩を叩いて見せた。例の如く、彼は何も応えなかったが。


「今日はもう休むよ………。君もいちいち私のことなんて待たなくて良いんだから……。
明日…いや、もう今日か。……に差し支えてしまう。」


じゃあ、と薄く笑ってシルヴィアはその場から離れようとする。

しかし……出来なかった。強くも無い力ではあったが、確かに。彼女の手首は握られ、その場所に繋ぎ止められていた。


「……………………。私を………部屋に返しては、くれないだろうか……」


彼女は困ったように首を傾げた。その言葉の合間に、ひゅうと息苦しそうな呼吸が混ざる。


エルヴィンは何も言わないままで、空いている方の手でシルヴィアの腹部に触れた。

…………途端、彼女が呻く。よろめいたその肩を、エルヴィンは急いで支えた。


(まずい)


思ったよりも重篤なシルヴィアの様子に、彼は少々焦った。

…………そうして、無茶をし過ぎる彼女により一層の憤りを抱く。



「………怪我をしているな。」


低い声で、エルヴィンは尋ねる。シルヴィアは答えなかった。だが、先程と比べて明らかに荒くなった呼吸が充分な返事となる。


「見せなさい。」


シルヴィアは首を横に振る。唇を噛んで、けわしい痛みに堪えている。


「…………見せなさい。」


もう一度、ゆっくりと言い聞かすようにエルヴィンは言った。

……………仕様が無いと思った。抱き上げてしまおうと腰に腕を回す。しかし、それは拒否された。


「自分で………歩ける。」


シルヴィアが呟くので、エルヴィンもまた「そうか。」と短く言った。


そうして、エルヴィンは彼女の手を引いてそこから歩き出した。


「はは………相変わらずの心配性。」


途中、シルヴィアのそんなふざけた言葉が後ろから聞こえる。無視をした。

だが、思わず彼女の腕を握る指に力がこもる。シルヴィアもまたそれを感じ取ったのか、その後は何も喋らなかった。


霙は未だ止む気配が無い。草木を、土を、空気を、冷たく容赦なく濡らして行く。



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