◇ ハンジと『変な人』 後編
「ほーう、それは中々に新しい試みだね。考えつくなんて大したものだ。」
「ですよね!!??」
そいつはトルテを5切れ程食べてようやくまともに口がきける...きけ過ぎる状態になった。どうやら猛烈に腹もすいていたらしい。
「........実現すればだが」
「そこなんですよ!!!!」
勢い良く奴が立ち上がったので、カップの中の紅茶が波紋を作り、ちゃぷりと音を立てた。
.......その子は巨人に対する研究を独学で...日夜こつこつ行っている...非常に努力家且つ才能豊かな兵士だった。
考えが突飛過ぎる所もあるが、中々に斬新な視点を持っていると私も感心した。
だが.....どうもそれは今の兵団の体制下では相手にしてもらえないらしい。
「研究を重ねようにも予算が雀の涙程しか下りないのでは続けようが無い....。これでは、一体私は何の為に...」
「まあそうネガティブに考えるない。」
「もおやめちゃおっかなあ」
「おお?やめるのか?」
「.....口で言っただけですー。」
「そりゃ良かった」
私は何だか機嫌が良くなり、足を組み直して紅茶を一口飲んだ。
「大体どう考えても今の調査兵団はおかしいですよ...。上の言いなりで決められた事しかできないっ、その自由の翼は飾りか!!って感じですよ!!!」
「まあそれは私も思うよ。息苦しい事この上無い。」
「ですよね!!良かった、貴方白髪の婆様かと思っていたけれど思考は実に若い!!かくしゃくとしていらっしゃる!!」
「うっさいわぼけえ」
礼儀知らずな若者だ。....だが、不愉快では無かった。
「......分かった。」
「はい?」
「私にとっては専門外だが、友人に一人何でも出来るのがいる。彼にかけあってみればどうにかなるかも分からない。」
「本当ですか!!??」
「まだ決まった訳じゃーないから落ち着きなさい。」
奴が再び勢い良く立ち上がってこちらの手を握って来たので、遂にテーブルの上のカップが倒れて中身が零れた。
私はそれを近くにあった布巾で拭き取る。全く、せわしない奴だ。
「.....でも、羨ましいな...。」
「はい?」
思わず...思考が口を吐いて出てしまった。
「そんなに真剣になれる事があるなんてさ」
少しの笑みをその子に向けながら言う。
「.....そうですか?」
「うん....。私は未だに自分が何故ここにいるのかよく分からないんだ。」
だから、この子の様な人間をとても尊敬していた。
....何も持たず、ただ逃げる為に生きて来た私は....
「......私は君みたいな人になりたいよ」
心から思った事を言葉にすれば、そいつは鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をする。それが面白くて笑ってしまった。
「私も....具体的な力にはなれないだろが、精一杯応援させて頂くよ」
未だ不思議そうな顔をしている奴に向かって、頬杖をつきながら言う。
「応援...?」と呟くので、「そ。とは言っても、こうやって紅茶とお菓子を出す事位しかできないが。」と答えてやった。
「.....良いんですか?」
そう言いながらも6切れ目のトルテを頬張るその子を見ていると、不思議と幸せな気持ちが体を満たしていくのが分かる。
「勿論だよ。言ってくれれば予定を合わせよう。」
「.......貴方、変な人ですね。」
「ん....。よく言われるよ。」
紅茶をもう一口飲む。我ながら上手に淹れられたと思う。
(......やはり、素敵だ。)
強い意志、目的がある人間は。
(そして、羨ましい。)
どれだけ探しても、自分にはそれが見つからなかったから。
「あの....ありがとうございます。」
私の思考は奴の発言によって打ち止められる。
.......どういうわけだか、唐突な感謝の言葉。
「今日、話を聞いてくれて....。」
さっきまでの勢いは何処へやら、そいつは急に恥じらい始めた。
そして....何故、話を聞いただけで礼を言われるのだろうか。よく分からない。
「嬉しかったんです。ありがとうございます。」
もう一度礼を言われた。....流石にこちらも照れてくる。顔へと熱が集中していくのを感じた。
「ど、どういたしまして.....」
その時はそれしか言えなかったが....「今度私にもこれの作り方、教えて下さいよ」と言って、未だに少し照れ臭そうに笑う奴の顔を見て...何だか、こっちまで嬉しくなってしまった。
.....それからも、奴はしょっちゅう私の元へ菓子をねだりに、愚痴を零しに、長話をしに来た。
そして.....いつもとても満足した表情で去って行く。
―――――そんな事を続けていたある日、ああ...、と思った。
ようやく.....なんとなくだが、自分の役目が分かったんだ....。
*
「不思議だよなあ....。あれだけ探しても全く見つからなかった事が、気付いたら何の事は無く目の前に転がっていたんだ。」
「成る程ねえ....」
最後の一枚のクッキーを食べながら私は相槌を打った。
「ほんと、しょうもない奴だったよ。無事予算が下りても問題ばかり起こして、私は何度エルヴィンと共に上に謝りに行ったか分からない。本人自身も幾度となく実験の内で巨人に食い殺されそうになって....」
シルヴィアはそう言いながらも幸せそうに笑う。
「でも...可愛い奴だった。」
柔らかに零した彼女の髪を遠くから来た春風が揺らして行く。綺麗な色の髪だなあ、と純粋に思った。
「今は...その子、どうしてんの?」
ベンチに寄りかかりながら尋ねる。日光が少々眩しかったので、目を伏せながら。
「今でも仲は...まあ良い。ただ、忙しいんだろうな。昔の様に私の所に来る事はとても少なくなったよ。」
「そっか....。」
「そういうものだよ。どれだけ可愛がっても、やがてそれぞれの道を見つけて私の元から去って行く。」
シルヴィアは空に向かって手を伸ばし、何かを掴むように掌を握る。
「私はそれを見送るだけだ....。」
握った拳を下ろし、それをじっと見つめながらシルヴィアが零した。開いた掌の中には、当たり前だが何も無い。
「......寂しいね。」
伏せていた目を開けて、シルヴィアの開かれた掌に自分の手を重ねた。.....昔から変わらず、その体温はとても低い。
「いーや、幸せだよ。」
しかし、予想外の応えとともに私の手は握り返された。
「私は、幸せものだよ」
シルヴィアの顔を見ると、また....子供みたいなあの笑い方をしていた。
私は目を瞬かせてシルヴィアを見つめるが.....やがてひとつ溜め息を吐いて掌を離すと、そのままごろりと横になってシルヴィアの膝に頭を預けた。
「急になんだ」
シルヴィアは少々驚いたようにするが、嫌がる様子はなかったので、そのまま目を閉じて寛がせてもらう。
「うーん、なんか甘えたくなった。」
「.....何だそれ」
「駄目?」
「いや...構わない」
シルヴィアはそう言ってベンチの背もたれに寄りかかり直す。そして私の髪をゆっくり撫でては「ごわごわだぞ、櫛くらい通さんか」と不平を零した。
「シルヴィアはやっぱり変な人だなあ」
頭に与えられる心地よい感触に目を細めながら言う。
「失敬な」
「でも....私は、そんなシルヴィアが好きだよ。」
「........何だ、突然」
「それに、さっきの話に出て来た子も.....きっとシルヴィアが好きだったと思う。」
「そうかね....。そうだと良いんだが....」
「うん....、大好き。」
「.........ありがとう。」
......確かに私はシルヴィアの部屋へと訪れる機会は少なくなってしまったけれど、一緒に過ごして、笑い、愚痴り、励ましてもらった時間が今の私を確かなものにしてくれたのは事実で....
そう思えば、やはりシルヴィアの“仕事“はこの厳しい兵団に必要なものかもしれない。
........未だ、よく理解できないが....この冷たい温もりの持ち主に感謝したいという気持ちだけあれば、今は充分だと思った。
ありがとう、愛すべき『変な人』。
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