銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジとモブリットと本屋にて 前編

(ふーむ.....)


シルヴィアは橋の欄干に寄りかかりながら、河へと落としていた視線を銀色の懐中時計に移す。そして首を傾げた。


(おかしい....。リヴァイの奴がここまで大幅に遅刻するものだろうか....)


折角の非番が重なった日だというのに....誘ってもらえて結構嬉しかったというのに...浮かれてまたまたスカートを履いて来たというのに.....



(なーんで約束の時間から一時間経っても来ないんだどあほーっっっっ!!!!)



シルヴィアはギリギリと懐中時計を握りつぶしながら唸った。


.......待ち合わせの時間に遅れるのは、まあ良い。一時間の遅刻もまあ許そう。

ただ....一緒に過ごす時間が減るのは....結構嫌だった。



(もしかして.....)



私とは違って、リヴァイはそこまで今日を大事に思っていないのかもしれない。


そうだよなあ...仕事でしょっちゅう顔は突き合わすし....


だが....リヴァイ。二人っきりで会える時間は、私たちにとってとても貴重なんだぞ...。



(増して...想いが通じ合った今なら、尚更.....)



「おわ...!」



その時、シルヴィアの口から実に間抜けな声が漏れる。体全体に予測していなかった衝撃がぶつかったのだ。


(.....なんだ、白昼堂々暴漢か....!?しまった、考え事に集中していて全く気付かなかった...!!)


しかし...背後の人物は特に何かをしてくるという訳ではない。


....その両腕がしっかりと自分の体に回って、腹の辺りで組まれているという事以外は...


(えええぇえぇええ!?)


つまり....抱きつかれている。暴漢じゃなくて痴漢野郎かっ....!?いや、違う、もしかして...まさか....


「ちょちょちょ、ちょっと待て!!私たちはまだ結婚もしていないんだぞ!?こんな事はよろしくな「なにー?シルヴィア、私と結婚してくれんの?」


「........は?」


のんびりとした声が背中から聞こえて、シルヴィアの言葉を遮る。


その声は...飽きる程聞き覚えがあるもので...


「ハンジ....何してる」


.......ゆっくりと振り向けばとても楽しそうに笑っている友人の姿が。


「で、誰と誰が結婚するの?」

「だ、誰も結婚しないわ馬鹿!!」


シルヴィアはハンジの腕を乱暴に振り払った。その頬が仄かに赤くなっているのは見間違いでは無いだろう。

ハンジがニヤニヤとこの上なく楽しそうに笑うのがまたシルヴィアの苛立ちに拍車をかけた。


「ま、冗談はさておき...シルヴィアはここで何してるのさ」

肩を抱き寄せながらハンジが問う。シルヴィアはそれを非常に嫌そうにした。


「人と待ち合わせだよ。」

そして端的に答える。


「ふーん....デートか。」

ハンジの言葉にシルヴィアは思わず吹き出した。


「.....デートじゃない。ちょっと一緒に出掛けるだけだ。」

「だからそれがデートじゃん」

「馬鹿、デートというのはお付き合いしている男女がするものだろうが。」

「.........?付き合ってるんじゃないの?シルヴィアの癖にこんなの履いて張り切っちゃってさ」

ハンジはシルヴィアの白橡色のスカートをつまみながら笑う。

「違う!!ちょっと履いてみよっかな、って思っただけだ!箪笥の肥にしてしまうのは良く無いと「その割には綺麗じゃんさては新品「あああああ!!もう、貴様とは一生口をきかん!ここに宣誓する!!!」

「.....で、付き合ってるの?」「付き合ってない!!」「あれ、一生口をきかないんじゃなかったの?」「ぐぬぬぬ」


シルヴィアは息切れしながら橋の欄干へ再び寄りかかる。ハンジは珍しく余裕の無いシルヴィアを見れて大満足だった。


(やっぱりシルヴィアをおちょくるのはこの手の事に限るなあ)


「......認めなよー。付き合ってるって。」

「だから付き合っていない...」

「シルヴィアはリヴァイの事好きじゃないの?」

「そりゃあ....す、、....嫌いじゃない。いや違う、リヴァイがこの話になんの関係があるんだっ」

(あー...これは苦労しそうだなあ.....)


ハンジは兵士長の健闘を心の中で祈った。


「実を言うとね、私も待ち合わせなんだ。」

話を切り替える様にハンジが言う。

「......へえ、誰とだ」

「モブリットとデートだよ。」

「ほ、ほう.....すまなかった。君等がそんな関係だとは露知らず.....」

「ただの買い出しだよ。このムッツリさん」

「ぐぬう」


......今日のシルヴィアはどう頑張ってもハンジの掌の上で転がされる運命にあるらしい。


「とは言っても早く着き過ぎちゃってね。良かった、シルヴィアで暇つぶしができそうだ」

「で、ってなんだ。でって。」

「リヴァイがまだ来てない所を見ると...シルヴィアも早く着き過ぎちゃったクチ?」

「だ、だから...待ち合わせ相手はリヴァイとは一言も...!」「はいそのやり取りもう面倒くさいからヤメー」


シルヴィアは息を吐いてまた欄干の上から河の流れを眺める。そこに映る自分の顔には少々情けなかった。



「いや....待ち合わせ時間は正午だ。」

そう応えると、ハンジは近くの柱に据えられた時計を見て、「えっもう一時半だよ!?」と素頓狂な声を上げた。


「はー.....リヴァイが一時間半の遅刻ねえ.....」

ハンジはむしろ感心した様に零す。

(そして.....)

あのシルヴィアが、一時間半の待ち時間に耐えてまだこの場にいる事にも少々驚かされた。



「ハンジさん、随分早いですね。」

ふと、隣り合って橋の欄干に肘をついていた二人の背後から男性の声がした。


「申し訳有りません。早く来たつもりだったんですが.....」

振り返ると、幸か不幸かハンジ直属の部下である、人当たりの良さそうな兵士...モブリットが立っていた。


「いーのいーの。こっちはこっちで楽しくやってたから。ねーシルヴィア?」「知るか」

「あ....シルヴィア副団長....。」

......私服だったので本人だと分からなかった。モブリットは急いで敬礼の形を取る。

モブリットはこの年齢不詳の副団長と直接話した事はあまり無かったのだ。彼の胸中に緊張の念が湧き起こる。


それを見越したのかシルヴィアは少々苦笑いし、「なーに、畏まらないで良い。」と返した。


「いや...でも」

「今日の私は非番なんだ。気軽にシルヴィアとでも呼んでくれ。」

「流石にそれはちょっと....」

「ん、まあ好きに呼びなさい。ただ取って食いはしないからもう少しリラックスして欲しい。」

「はあ....」


(そこまで怖い人でも無いのか....?)


公務の場でしかシルヴィアを見た事の無かったモブリットは少し意外そうに美貌の副団長を眺める。


.......確か、以前品行が悪さから問題を起こした兵士を叱責した時はめちゃ怖かったよなあ....

壁外調査の時も...項を削ぎながら優しく目を細めるの、正直止めて欲しい。

あとあれだ。中央の方の憲兵団との交渉もそうだった。あの時の冷徹な微笑を忘れる事は出来ない。出来る訳が無い。



「..........なあハンジ。」

モブリットが考え事をしていると、シルヴィアがぽつりとハンジの名を呼ぶ。


「私は....そろそろ公舎に戻ろうと思うんだ。」

「そっか....。」

「リヴァイに、何かあったのかもしれない....。とても心配になってきた。それに忘れてしまっている事もあるだろう。彼は忙しいから.....」

(やっぱ待ち合わせ相手リヴァイなんじゃん)


彼女の横顔には不安が漂っていた。それを見て、ハンジはひとつ溜め息を吐いた。


........シルヴィアにこんな表情をさせられるのは、彼だけなんだろうなあ....と。

どういう訳だか、ほんの少し....妬けた。



「と、いう訳で私は帰るよ。」
モブリット君もまたね、とシルヴィアは淡い微笑みをこちらに向けてから立ち去ろうとする。


.......が、それはハンジが彼女の腕を掴んだ事によって阻止された。


「......え」


「シルヴィア。もう少し待ってみようよ。」


突然の事に掴まれた腕を呆然と見下ろすシルヴィアに、ハンジは笑顔で言葉をかける。


「リヴァイは何かあっても、絶対に...這ってでもシルヴィアとの約束を守ると思う。.....忘れているなんて、もってのほかだよ。」

「.......そうかな。」


目を少し伏せるシルヴィアの腕から掌へと手を移動させて、ぎゅっと握る。


「だから...リヴァイを待つ間、モブリットと三人でデートをしようよ!」

「......デート?いやだからデートはお付き合いしている男女が「さあさあ、そうと決まれば善は急げ!行くよ!!」

「え...!?こら、ちょっと待ちなさい、」

「モブリット!もう面倒くさいからこのオバさん担いじゃって!!」

「こらあ!!誰がオバさんだ眼鏡かち割るぞ!!」


........シルヴィアはハンジに向かって怒鳴りつけた後、瞳を閉じてひとつ深呼吸した。それからゆっくりと目を開く。


「よし.....。確かに善は急げだな。リヴァイが羨ましがる位素敵なデートにしてやろう!!」


ようやく笑いながら言ったシルヴィアはこの上なく楽しそうだった。


ハンジとモブリットの手を握ると、足取り軽く歩み始める。先程の元気の無さが嘘の様だ。


「私はここら辺にはちょっとばかり詳しいんだ!何処でも好きな所へ連れて行くぞ!」


後ろを振り返りながら得意げにするシルヴィアを見て、ハンジも何故か嬉しくなる。


そしてモブリットはひたすらに(面倒な事に巻き込まれた....)とげんなりしていた。



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