◇ ハンジと『変な人』 前編
『私は君みたいな人になりたいよ』
初対面の人間にこんな事を言われたら、君はどう思うだろうか。
嬉しい?不思議?気持ち悪い?
.....まあ、何にせよとりあえず驚くだろう。
私も、流石に面食らってしまったのをよく覚えている。
そして、彼女を“変な人“と認識した。
あれから随分と月日は流れたけれど、この印象は未だに変わらない。
強いて違う所を挙げるとすれば....“変な人“が“愛すべき変な人“に変わった事だろうか....。
*
「あ、あの.....!」
公舎の廊下を歩いていると、可愛らしい女性の声に呼び止められる。
......振り向くと全く知らない兵士が立っていた。
もしや自分以外の人間を呼び止めたのかと思い、辺りを見回したが...現在ここには女性兵士以外自分しか見当たらなかった。
「.....何かな?」
少々訝しげに思いながらも、....新入りらしいので緊張している....に出来るだけ優しく返答する。
「あの、副長さんがどちらにいらっしゃるかご存知ですか...?」
そう問われて、ああ...と納得した。
成る程、シルヴィアのファンだ。あれは性悪の癖に人をたぶらかすのが上手いからなあ....
「あの人は神出鬼没だから私にも分っかんないなあ〜。」
そう答えながら肩をすくめると、彼女は少々の落胆を表す。
「でも」
だが、その顔を覗きながら言葉を続ける。
「君よりは私の方が会う機会は多いと思うから、何か伝える事があったら言付かるよ?」
ね、と笑えば、彼女はようやく周囲の空気を柔らかくした。
「あの...これ、渡しておいて頂けますか?」
そう言って差し出されたのは、白い封筒の手紙に小さな袋だった。
(ラブレターか....?)
そうなると...ヤヴァイな。どこかの誰かさんは相手が女といえどもやきもち焼くからなあ....
「あの、ほんの気持ちだとお伝えしておいて下さい」
どうもありがとうございます!とお辞儀をして礼を言うと..彼女は足取り軽く廊下の向こうへと消えて行った。
(....ふーん。)
しっかし皆....あの性格破綻者のどこが良いかねえ....。そりゃ私だって嫌いじゃないけど.....
とりあえず、彼女に出会ういつの日かまでこれは大事に保管しておこう....
*
しかしいつの日かは意外とすぐに訪れた。
書類仕事が嫌で嫌で嫌過ぎて逃亡を計り、公舎の裏庭をぶらぶらしていた時...ベンチに横になって寝息を立てている副長さんに出会ったのだ。(恐らく彼女も私と同じ理由でここにいるのだろう)
.......近付いても起きる気配は無い。
おーい、と言いながら頬をぺちぺち叩くと、「こらあ...寝かせなさい...」と言って寝返りを打つ。呆れたぐうたら野郎である。
「起きないとキスするよー」
と言えば、物凄い勢いで半身を起き上がらせた。....うん、シルヴィアを起こすのはこの手の事に限る。
「冗談だよ」
からからと笑ってそう言えば、シルヴィアは頬と髪から覗く耳を微かに染めながら「馬鹿!冗談でもそういう事を言うな!!」と叱って来た。全然怖く無い。
「で....何の用事だ....。」
伸びをしながら非常に不機嫌そうな声色で尋ねる。私は逆に上機嫌で胸ポケットから先程預かったものを取り出した。
「はい。ファンからの愛の言葉だよ。」
シルヴィアは不思議そうにしながらそれを受け取る。
そして差出人名を確認すると、「ああ...」と納得した様な表情をした。
「この子は別にファンじゃないよ...」
そう言いながら手紙の封を切って中身を流し読みする。
「ファンじゃないならなんなのさ。逆に恨まれてるとか...もしやっ、不幸の手紙?」
「随分懐かしい単語だなあ....。この前、何だかしょげ返りながら廊下を歩いてたからお茶に誘ったんだ。」
「お茶に?」
「そう。お菓子と紅茶出してちょっとお喋りしたんだよ、それだけ。....まあ、女子会かな。」
(女子....!?)
「くたばれ」
「心読まないでよ」
手紙を読み進めるうちにシルヴィアの表情にはじんわりとした柔らかさが漂う。
「....で、その手紙なんなの?」
気になって尋ねれば、「それのお礼の手紙だよ。...律儀な子だねえ。」と返って来た。
「こんなの、別に良いのになあ....」
そう言いながらもシルヴィアは少し照れ臭そうに笑う。こういう時の彼女は純な子供に似ていると思う。
シルヴィアは小さく鼻歌を歌いながら袋の方も開けた。そして「おお」と小さな歓声をあげる。
「そこそこ有名店のクッキーだ。ほれ」
こちらに袋を差し出してくるので、薦められるまま中身をひとつ頂く。....確かに、とても美味しい。
「......その子、よっぽどシルヴィアとの時間が楽しかったのかな....」
二個目を頂きながらシルヴィアの隣に腰掛ける。
「さあねえ....。だったら嬉しいけど」
シルヴィアは大事そうに手紙を胸ポケットに仕舞った。その横顔は何だか幸せそうだった。
「シルヴィアってさ....」
「うん?」
彼女の名前を零しながら青色の空を見上げると、それは円やかに頭の上に懸かって、遠く地平線の彼方へ垂れ下がっていた。
「物凄く意外に面倒見良いよね」
「意外とは失礼な」
「......普通その地位になってまで、自分の直属でも無い新入りや部下にここまで気を掛けるかなあ」
「掛けるさ。その中に未来の団長がいるかもしれんからなあ。まあ人によってはウザったいお節介になってしまうが」
「何で自分の時間を削ってまでそういう事をするのさ。私はシルヴィアの考えがよく分からないよ」
「それは私が多大なる危険を冒して進めている君の研究内容をよく理解できないのと同じだよ」
「それとこれとは意味が違うでしょ。シルヴィアは専門の人間じゃないし」
「いやあ、一緒だよ。君の研究よろしく、これが私の果たすべき大事な仕事だからね。
....とは言っても私が勝手にそう思ってるだけだが。」
「ふーん?」
.......やはり、よく理解できなかった。それを見越していたのか、シルヴィアは「まあ、分からなくても良いんだ。」と穏やかに言う。
「じゃあ、いつからそういう事をする様になったの。新入りの頃から同期にそうしてたとか?」
「いーや。新入りの時は自分の事でいっぱいいっぱい。遂最近だよ。」
「最近。」
「......君がこの研究を初めてすぐの頃かなあ....。」
「それ、結構昔だよ...。」
「私の生きた年月の中で見れば割と最近さ」
「ああ、遂に自分が年寄りだと言う事を認めたね。」
「自分で言うのは良いんだよー」
......会話を交える二人の間を一迅の風が通り抜け、至る所の青山をそよがせていく。
シルヴィアはひとつ呼吸をしてからもう一度手紙へと視線を落とした。
「まあ...その頃のある日だ。この子みたいに、廊下をやたらとしょげ返って歩いてる奴が目に入ってね....。」
彼女の穏やかな声の背景では鶯がささやかな声に鳴いていた。私もつられてゆったりとした気分になる。
「あんまりな落ち込みようが気に掛かって.....丁度苺のトルテを作り過ぎて困っていたものだから、その子を部屋に誘ってみたんだ。」
そのまま足下に視線を落とすと、カタバミが透き間なく茂って、黄色い花が美しく黒い茂り葉の間につづられているのが目に入った。
ああ....そういえば、こうしてシルヴィアとゆっくり話をしたのは久しぶりかもしれない....
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