銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイと茜桜 後編

....シルヴィアの首からタイを外した。



今度は両の手でゆっくりと....出来る限り、優しく。


シルヴィアは何も言わずにされるがままにしていた。


俺は、真っ黒で艶のあるタイを河へと、放した。


それはあっという間に水面を滑り、茜色に染まった花弁と共に見えなくなった。



「お前には、何の罪も無えよ....。」

水上の光景を眺めながら、呟く様に言う。


「こんなものに頼るな。.....胸を張って生きれば良い。」

.....俺の隣で、という一言を飲み込んで...代わりに掌を重ねた。


やはり.....俺は、こいつの手が好きだ。


シルヴィアもまた淙々として遠くへ流れて行く河を見つめていた。彼方の森に鳴くのは雲雀らしい。


「ありがとう....」


零された彼女の言葉は、誰に届くでも無く穏やかに沈んで行った。


タイが無くなり、緩んだ襟元からは白い首筋が覗いている。そこを春風が優しく撫でていた。



少しの間....二人で掌を繋げたまま、朝の透明な光を浴びた。

光は森の上に拡がって、露の草原には虫が鳴いている。

明け方の爽やかな風が、皮膚をなぞっていった。



「なあ.....お前、俺より先だって言ったよな。」

空いている方の手で欄干に頬杖をつきながら尋ねる。


「.......そうだね。」

奴は少しだけ笑いながら答えた。


「いつか言ってみろよ。」

「恥ずかしいから...嫌だよ。」

「絶対俺の方が先だ。」

「.......いや、私だ。」

「くどいぞ。俺だ。」

「じゃあ君はいつからなんだ。」

「お前が言ったら言う。」

「ずるいぞ!」

「つべこべ言わずに吐け。」


.......シルヴィアは、何かを口の中で呟いた後、欄干の手すりに視線を落とす。

髪から覗く耳が仄かに色付いているのは気の所為では無いだろう。



「............最初からだよ。」

長い逡巡の末....ようやく口を開いた。

「......?エルヴィンに紹介された時か」

「いや違う。もっと前だ....。」


........訳が分からない。


「以前言っただろう。昔...私が、男数人に囲まれて...乱暴を受けそうになった時に....君が、助けてくれて....
まあ、君は覚えていないらしいが....」

声はどんどん小さくなっていった。耳殻は今やくっきりとした朱色となっている。


「......もう良いだろう!!そういう事だよこの馬鹿!!!」


謂れの無い罵倒。.....そして頬も同じ様に色付いていた。


「安い女だな.......」

半ば呆れながら零すと、繋いでいた手が解かれて両肩を力強く掴まれた。


「だって!!!あんなに怖い目に合ったのは初めてだったんだぞ!?
それを颯爽と助けてくれたんだ!!惚れてしまうのは当たり前だろう!!!」


「惚れっ....て、お前....」

あまりに素直な告白に、顔に凄い勢いで熱が集中していくのを感じる。


「しかも、だ....。そいつとまさかの数十年後に奇跡の再会だぞ....?実に単純かもしれないが好きになるには充分だろう...。
そりゃあ最初は勘違いかと思ったよ。.....けれど.....君を知るうちに気持ちは確信に変わって....、後から、あの時からだったのか...と気付いたんだ.....。」


シルヴィアはそのまま首に手を回してきて、へなりと脱力した。


.......体が熱かった。そういえばこいつはこの手の話は苦手だったな......


彼女の温度と共に、ようやく受け入れられたのか.....と喜びが、ゆっくり体を巡る。



.....俺が、こいつにとっての始まりだ。そして終わりになるのだろう。俺にとってのお前と、....同じ様に。



少しして、シルヴィアが体を離してこちらを見つめてくる。彼女の顔にはいつもの不遜な笑顔が戻っていた。

.....随分と久しぶりに、見た気がする。


「どうだ、私の方が先だっただろう」


得意げに言う奴がムカついて向こう脛を蹴飛ばしてやった。言葉にならない悲鳴がその口から漏れる。


「....重要なのは長さより大きさだ。」

至極痛そうにしているシルヴィアに言い放った。


「それなら尚の事私の方が上だ!どれだけ君が好きだと思っている!!」

シルヴィアが恨めしそうに患部を擦りながら言う。

「なら断んなよ!!何がさよならだこのクソババア!!」

「仕方無いだろう!!悪いと思っているよこのおっさん!!」

「ああ!?もういっぺん言ってみろ!!!」

「何度でも言ってやる!!!好きだよ!!」

「そう言う事じゃねえよ!!俺の方が好きに決まってるって言ってんだろうこのハゲ!!」

「いや私だ!!!あとハゲはエルヴィンだろうが!!」

「いや俺だ!!!ついでに白髪もハゲも変わらねえよこのハゲ!!」


ほぼ掴み合いの喧嘩へと発展していた二人の小競り合いは、遠くの時計塔から厳かに響いた鐘の音によって中断された。


シルヴィアがポケットから時計....もう、昔から持っていたかの様に彼女に馴染んでいた....を取り出して確認し、「六時だ。」と呟く。


.........急激に冷静となった二人は自分たちがどれだけ恥ずかしい会話を繰り広げていたかを自覚し、目を逸らし合った。


しばらくの間、未だ冷気を含んだ早朝の風で体の熱を覚ます。


シルヴィアは再び欄干に寄りかかり、朝焼けを眺めては溜め息を吐いた。


「まったく君って人は昔っから頑固で口が悪くて....困ったものだよ。」


.......そう言う割には嬉しそうである。


「なあリヴァイ。」

首だけ動かしてこちらを向き、名前を呼んだ。


「......何だ。」

それに応えてやる。


「君と私が会えたのは運命かもしれないぞ?」


いつもの様に綺麗に微笑いながら言う姿に....一瞬見蕩れてしまったのを隠す為に、「うるせえよクソババア」と呟いた。


何が面白いのかシルヴィアは笑みを優しくして、再び対岸の向こう、薄青の空を眺める。



「........君と年をとれるなら、ババアも悪くないかもな.....」



風に銀の髪を揺らされながら穏やかに零したシルヴィアに、今度こそ誤摩化しが効かない程に見蕩れてしまった事は.....墓まで持って行く俺だけの秘事となった。



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