◇ リヴァイと茜桜 中編
「ああ....言ってしまったよ。」
二人で再び欄干により掛かり、藤色へと変化していく空を眺める。真っ白い三日月が、相も変わらず鋭く浮かんでいた。
その時に、シルヴィアが溜め息と共に言葉を吐き出す。
「私は最低だな...。何故...自分との約束すら満足に守れないのだろう...。」
零しながら、首をゆるりと振って、時計の文字盤をそっとなぞった。
「....リヴァイ。」
こちらを見ずに名前を呼ぶ。視線は相変わらず藤色を切り取る三日月へと注がれていた。
「..........私が兵士になったのはね、村から逃げて....兵団に入れば...例え人間として欠陥があっても、兵士としてなら受け入れてもらえると思ったからだ。」
宵の微かな光を受けて、黒い水面が光っている。それの流れる音が、言葉の背景に聞こえた。
「....本当に、それだけだ。君やエルヴィンの様な志も戦う理由も何も無い。増して心臓を捧げる気なんてさらさら無かったんだ....。
私はね、そういう人間なんだよ。......恥ずかしい........!」
そう言って、眉根を寄せる。ひどく....辛そうだ。
....少しして、こちらを向いた。
時計を銀の鎖でぶら下げて持ち、差し出してくる。
見つめてくる瞳はどこまでも透き通っていて、向こうにある宵空が見えそうだった。
「壊すのは、君だ。」
淡く笑って、告げる。
優しい表情だ。....全ての覚悟ができたのだろう。
俺はそれを受け取って、しばらく見つめた。
時計の針はとっくの昔に日付を越えていた。....気付かぬ内に。
そうして、おもむろに近くの薮へと投げる。
薄い茜色の中、時計は弱い光を纏って....白い花弁がはらはらと落ちる末枯れた草の中へと落ちた。
「取って来い」
その光景を見届けた後、シルヴィアに向かって言い放つ。
「なっ、.....私は犬じゃないんだぞ!?」
突然の事に頭がついていけないのか、素頓狂な声が彼女の口から漏れた。
「お前...本当にそれでいいのか....?」
奴の方を真っ直ぐに見ながらゆっくりと、言い聞かす様に言葉を紡ぐ。
「俺が、何処の誰とも知れない女と結婚してガキ作って幸せになって、本当にそれで良いのかよ....。」
「.....私は、....君が幸せならそれで「嘘を吐くな!!!」
今度こそ自分の口からは有らん限りの声が放たれた。
それに驚いたのか寝ぼけた鳥が数羽、木の内から羽音を響かせて飛んで行く。
「言い訳ねえだろ!!何年お前を見て来たと思っている!?考えている事が分からないとでも思ったか大馬鹿野郎!!!」
それだけ叫ぶと、荒くなった呼吸を沈める様に口を閉ざす。
シルヴィアは驚いた様な、泣きそうな、辛そうな...様々なものをない交ぜにした表情でそれを見ていた。
そして.......俺達は、無言で見つめ合った。
「いやだ.....」
弱々しい声がシルヴィアの口から漏れる。治まった筈の涙が瞳の内で薄い膜を作っていた。
「そんなの嫌だよ....!当たり前じゃないか!!
ずっとずっと...本当は、君と一緒に幸せになりたかったんだ!!!私じゃなきゃ嫌だ!!!」
迷わずに、シルヴィアは薮の方へと駆けて行く。
辿り着いて、背の高い草の中、懸命に俺の時計を探しだす。
俺は、こんなに泥臭く、余裕を無くし....感情を表に出す奴を、十年以上の付き合いの中で初めて見た。
......ようやく、理解した。
気付かなかっただけで、自分が如何に愛されていたかを.....。
シルヴィアが戻って来た。しっかりと銀の時計を握りしめながら。
「もう、お前のものだ。」
彼女に向かって静かに告げる。
シルヴィアは髪を乱し肩で息をしながら、時計をじっと見つめた。
「.....俺とお前の間に何も残らなくて....いずれお前を亡くしても、俺は一緒になれた事を後悔はしねえよ。」
輪郭がぼやけてきた月が辺りに落とした最後の光が、逆光となって彼女の輪郭を包んでいる。
「いずれ無くなるから....短い生の中で一番大切な奴と一緒に居たいと思うんだろ。
.....俺は、何かおかしい事を言っているか?」
その言葉に、シルヴィアは盛大な溜め息を吐いた。そして、穏やかな声で言う。
「.....君らしい考えだ。」
俺は、土に塗れた掌の中で時を刻み続ける時計の上に手を重ねた。
「持っていてくれ。」
そうすると、歯車の振動が直に伝わって来た。
「.......残せるのは、形のあるものだけじゃねえよ.....」
真っ直ぐに視線を合わせて言えば、シルヴィアは至極驚いた表情をする。
それから片眉をあげて、困った様に....けれど、子供の如く、無邪気に笑った。
「全く、君は本当に....馬鹿で素敵な人だ」
彼女の言葉を聞いて、もう...大丈夫だと思った。
届かない想いに目眩を覚えては立ち止まり、別れを告げられて自分を、相手を粗末にしたり、出会った事に後悔して.....
それでも、待っていて、良かった。
ようやく.....動き出した。
奴の時を進めたのは、俺だ。
再び、二人で長く伸ばされた桜の枝の向こう、空を見上げる。
藤色の遠くが淡く白み渡って、茜の一抹と共に月光が遂にまばらになっていった。
遠くで馬車を引いて緩やかに進む蹄の音がする。時計を二人で覗き見れば四時半だった。
シルヴィアは時計をポケットに納め、空になった掌をこちらに差し伸べる。
......黙って握ってやれば、温かだった。
一迅の風が花弁と共に、二人の間を吹き抜ける。
そうか....。......もう、春なのか。
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