◇ リヴァイと灰桜 後編
「...全く、エルヴィンの奴め...。」
もう大丈夫だと思ったのか、ようやくスピードを緩めて歩き出したシルヴィアがぶつぶつと文句を垂れた。歩く度に、落ち着いた浅緋色のロングスカートが揺れる。
なんとなく...着けていた黒いリボンタイがスカートに似合わなくて、「取れよ」と言えば、少し驚いた顔をした後に「そうだな」と微笑んで、外した。
「お前等、仲良いよな....」
歩きながら、ぽつりと零す。言った後に、何故こんな事を言ってしまったのかと後悔した。
「ん?エルヴィンと私の事か?....そりゃあそうさ。訓練兵時代からの付き合いだもの。
奴が私よりチビだった時から知っている。...昔から説教好きのお固い奴だったよ。」
楽しそうに過去を振り返るシルヴィアが見ていられなくて、目を伏せる。
進む足下、全ての土や石にも太陽の光が降り注ぎ、いかにも麗らかな春の日であった。
「...説教はお前限定じゃねえの」
視線はそのままで呟く。
「そ、そんな事はない。」
シルヴィアもまた目を逸らす様に伏せた。
「現に俺はされた事が無い。」
何だか気分が良くなって視線を戻す。彼女は非常に罰が悪そうな顔をしている。
「そんな事は無いったら無いんだ!!それ以上無駄口叩くと今度こそ100億階級降格するぞ!」
(こいつのなんの権限があるんだ)
しばらくぶつぶつとエルヴィンへの愚痴を零していたシルヴィアだったが、春の温かい日差しの中で徐々に機嫌を回復したらしく、また表情を生き生きとさせ始めた。
.....壁外調査で、こいつの仲間や部下も多数死んだ。
しかし...気にした様子は全く無い。むしろ彼等の事等忘れてしまっている様だ。
まあ...こういう脳天気な生き方の方が賢いのかもしれない。
俺自身はなれないし、なりたくはないが.....。
「.....元気ないなあ。」
シルヴィアが少し心配そうに言う。
....悪気は無いのだろう。
だが、俺は奴の...何を考えているのか分からない所が苦手だった。人一倍情に厚そうに見えて、こうも簡単に仲間の死から立ち直れる。
今日、俺を連れ出したのだってそうだ。こいつの目的は一体何なのだろうか。
何も応えない俺に倣ってシルヴィアも何も言わず、進行方向を見つめる。
春風が優しく吹き、奴の鉛白の様に無機質な肌も少し色付いていた。
「.....桜が、好きなのか」
不自然に上機嫌な奴に尋ねる。
そうすると、シルヴィアはこちらを向き、優しく微笑った。
「それは好きだよ。12才の時初めて満開の桜を見て...この世にこんなに綺麗なものがあるなんて、と感動したものだ...。」
遠方に巨大な桜の老樹が見える。....恐らくあれが今日の目的地だろう。
「.....12才?」
「そう。私が住んでいた所は一年中雪が降る所だったからね。」
真っ青な空を見上げながらシルヴィアが応える。それは円やかに頭の上へ懸かって、地平線の彼方へと垂れ下がっていた。
「桜だけじゃなくて...なーんも無い、白くて寒い所だったよ...。」
呟く様に零した声は、遠くから吹いて来た春風に攫われて、遠くへと去っていった。
シルヴィアは再びこちらを向き、今度はとても楽しそうに笑う。
そして俺の掌に自分の掌を絡ませ、歩く早さに合わせて小さく揺らした。
当然振り払おうとしたが、とてつもない力で握られていたので無理だった。...どこにこんな力が眠っていたのだろうか....
「だから、村から出て世の中は何て美しいんだってびっくりしたよ...!」
シルヴィアは笑ったままもう一度空を見た。鳥....先程のものと同じらしい...が、甲高く鳴きながら泳ぐ様に飛んで行く。
「植物や花は色とりどりだし、動物や虫も沢山の種類が延び延びと過ごしている。
....流行の本も古い本も面白いし、絵画や工芸品だって興味深い。一番嬉しかったのはご飯がとても美味しかった事だ。それから、優しい人たちも沢山...いた。」
空から足下へと視線を落とす。
憂う様に目を伏せた彼女を見て...少し、ほっとした。
奴も...平気な訳では無いのだ。
俺達と、俺と...同じに。
そして....遂、悲しみを分かち合いたいという気持ちが起こってしまった。
.....だが、それは不可能だろう。お互い、自分の弱さを他人に許す事はできない。
代わりに、手を強く握り返した。
シルヴィアはそれに少しだけ驚いた後、泣きそうな表情で淡く笑った。
*
「お疲れ様。」
シルヴィアがどうだ、という様に得意気な笑顔をこちらに向ける。
....確かに、中々迫力のある巨大な桜だ。
だが....それ以上に目を引いたのは....
「おい...まさか....」
「そのまさかだよ。」
「....不法侵入じゃねえの」
「見つからなければどうという事は無い」
「入ったら汚れるだろうが」
「風呂に入れば問題あるまい」
「俺は不潔が大嫌いなんだ」
「実に面倒くさい奴だな。」
老樹の傍には、これもまた貫禄のある建物が建っていた。....廃墟となって。
天気が変われば途端に不気味に見えるのだろうが、よく晴れた日、春風の中では、何処か美しく見えるから不思議である。
近くの土では青い草が沙椰と揺れ、いかめしい城郭のような門も柔らかで温かい光に包まれていた。
「おいで。」
そして、手を引きながらにこりと笑う奴にされるがままに、その中へと侵入する。
室内は少し黴臭く、床を踏むと日の光を微かに吸った木の板がぱきりと音を立てた。
痛んだ天井の隙間からは太陽が金の糸となって垂れ下がっており、その先で外から侵入してきた緑が延び延びと葉を広げている。
「....古いから、床が抜けない様に気をつけてね」
階段に差し掛かると奴が優しく言う。....慣れている。よく来るのだろうか。....誰と、来るのだろうか。
「最も君は背も低いし軽そうだから問題ないか」
私より軽いんじゃないか、とシルヴィアは可笑しそうに笑った。
「...生憎だが俺は65kgある。」
何故かムカついたので低い声で返すと、「....凄い密度だなあ」と驚いた顔を見せる。
「頼もしい限りだ」
そう言ってシルヴィアは階段を一段飛ばして登った。スカートの裾から覗いた白い脚が、いやに目に焼き付く。
「到着だよ。」
しばらくして聞こえた彼女の言葉で我に返った。....と、同時に恥ずかしくなる。
頭を小さく振って階段を登り切ると、ひらりと桜の花弁が舞っていた。
....何故室内に...?と思って天井を見上げると、そこが大きく抜け落ち、室内に向かって沢山の光と桜が降り注いでいた。
「ここはね、大砲の倉庫だったんだ。」
またしても手を引かれて敷き詰められた花弁の上を歩く。その度に床の薄紅が舞い上がった。
「立体起動装置が討伐の主力になってから、多くの大砲が破棄されて...ここも、倉庫だけが残った。」
据えられてあった古いソファに隣り合わせで座らされる。
....俺に配慮してか、シルヴィアが座面にハンカチを敷いてそこを薦めてくれた。
「いつか、立体起動装置の倉庫も....こうなると、いいな。」
シルヴィアは肩が触れ合う程の距離で微笑んだ。
思わず目を逸らす様にして、室内の暗さに反比例した真っ青な空を見上げる。
その中で風に吹かれた薄い灰紅の花弁は、震える様に黒茶けた床へと自身を積もらせていた。
.....そんな日は来ない。
俺達は、俺は...きっと、何も救えない。
その言葉を飲み込んで、押し黙った。
....すると、繋がれていた手に力がこめられる。
こんなに長い間、人と手を繋いだ経験は初めてかも知れない。
「......辛いね。」
それだけ言って、シルヴィアは静かに目を閉じる。
睫毛まで美事に銀色な事に、当たり前だが驚いた。
「ここはね、私と...同期で調査兵団に入った、全部で五人の仲間で見つけた場所なんだ。」
目を閉じたまま、安らかな顔でシルヴィアは言う。
「皆変わり者でね...。他にも沢山、綺麗なものが見える場所を見つけては楽しんでいたものだ....」
シルヴィアがそうっと目を開いた。穴の空いてしまった天井の向こう、青空の色が瞳に流れ込む。
「.....毎年、ここで...皆で桜を見る事にしていた。」
呟きながら、落ちてくる花弁を掴もうと手を伸ばす。
「それが、一人減り、二人減り....」
しかし...それは適わなかった。
「私だけが、残ってしまった。」
シルヴィアがようやくこちらを見る。
.....笑っていた。
優しい笑顔だった。
「今日、君が隣に居てくれて良かった。」
銀灰の瞳の中に、今度は俺が映り込む。
「ありがとう。」
そして、俺の瞳の中には、きっと奴がいる。
その時、風が吹いてぶわりと花弁が舞った。それは光を透かしながら、淡い灰紅の影を至る所に作っていく。
部屋の四方へひろがる花弁を見て、奴が「綺麗だなあ」と目を細めて言う。
.....綺麗だった。
銀色の髪に、白い肌に、光が差し込んで、自ら発光しているかの様に美しい。
純粋に、そう思えた。
「......ああ。」
だが、口からは....そんな応えしか出なかった。
―――――――
今なら分かる。
あの時俺は、確かにあいつに救われたし、救う事ができた筈だ。
.......シルヴィアと俺は似ている。
二人とも...救いたくて救われたくて堪らない、どうしようもない人間に違いない。
重ねて...互いに歪で不完全。
ならば、欠けた自己の半身を求める様に...永久に求め合ってしまうのかも、しれない。
.....ようやく思い出したよ。
俺の、狂おしいまでに烈々とした恋慕の理由と、始まりを....。
[*prev] [next#]
top