銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの時計 前編

「君の部屋も久しぶりだね。」

シルヴィアがリヴァイに続いて部屋に入りながら、穏やかに言う。

現在は古城の仮部屋を使用している為こちらはしばらく使われていなかったらしく、生活感がまるで無い。...最も、この男の部屋は元からこんなものだが....

.....それにしても、何処か冷たくよそよそしかった。

且つて今のエレンにしていた様に、三日と開けずに訪れていた時には...こんな事は感じなかったのだが...


「おい」


部屋と同じく、固く冷たい声に呼ばれて思考は現実に戻る。


「鍵を閉めろ」

振り返りながら、リヴァイは視線で入口近くの壁にかけられた鍵を示した。


「..........。」

シルヴィアは少しの間彼の瞳をじっと見つめる。


「聞かれたく無い話だと言った筈だ。」

.....あれだけ絆を深め合った仲だと言うのに、彼の思考が全く読み取れない。


「もう一度言う。鍵を閉めろ。」


シルヴィアは目を伏せて小さく呼吸すると、それに従って鍵を閉める。

かちゃりという無機質な音が、静まり返った部屋に小さく響いた。



真っ白なタオルを渡され、「体を拭け」と言われる。

綺麗好きな彼らしい沁みひとつ無いタオルで霙で濡らされた服と体を拭うと、微かに石鹸の香りがした。


シルヴィアは...彼の極度の潔癖から生まれる清潔な空気が嫌いでは無かった。

適当な性格な上に収集癖がある所為で、常に雑然としている自分の空間とは違い、凛とした...彼そのものの様な気品を感じる。


だが...今は、それが少し澱みつつあるのを感じていた。

その澱みの原因は...間違いなく、自分で....


「.....何か、飲むか」

大したものは出せないが、と零しながら椅子を薦められる。

シルヴィアは気を取り直していつもの様に微笑みながら、「....久々に君の水の様に薄くて不味い紅茶が飲みたい」と応えた。

「お前の重油みたいな奴よりはマシだ...」

そう呟きながらリヴァイは奥へと消えて行く。


遠ざかる背中を見つめながら、シルヴィアはほうと息を吐いた。

......リヴァイは、こういう事では割り切るタイプだと思っていたから...もう、口も利いてくれないものかと...。


良かった。私たちは、これからも良い友人でいられそうだ....。


リヴァイが戻ってくる。

「....湯が沸くまで少し待ってろ」

そう呟くと、机を挟んでシルヴィアの向かいに座った。


.....部屋は、沈黙に包まれる。



「リヴァイ」



先にシルヴィアが口を開いた。

そして...銀の鎖に繋がれた、円くて平たい時計を机の上に置く。

蓋なしのそれは、ランプの光線で銀色の縁を輝やかせていた。


「....返すよ。」


静かな声だった。


リヴァイは何も応えず、時計に触れようともしない。


「君は....もう傷付く必要は無い。」


使い込まれた時計の数字や短針長針が、奇妙に揺らぐ光の中で浮かび上がっている。


「.....ありがとう、リヴァイ。」


シルヴィアは穏やかに微笑った。

そして...これで終ったんだ、と安堵の様な痛みの様な...複雑な気持ちを抱いた。


しかしリヴァイは一貫して無反応だった。

時計は愚か、シルヴィアの事も見ようとしない。

頬杖をつき、顔を背け、ただ...部屋の壁をじっと見つめていた。



部屋に再び沈黙が降りてくる。



長い沈黙だった。シルヴィアはリヴァイを、リヴァイは壁を見つめ、決して視線は交わる事は無い。


....黙っていても仕方が無いと思ったシルヴィアは、「....君の話を聞くよ。エレンの事だったよね....」と切り出した。


「.........。」


リヴァイは依然として黙っている。シルヴィアは辛抱強く...その口から発せられる言葉を待った。


流し場の方では水が温度を持ち始めたらしく、蒸気の音が聞こえる。

それ以外は全くの無音だった。静寂が耳の裏にわだかまる。


「......あれは嘘だ。」


ようやくリヴァイが口を開いた。


「.........?」


その言葉に、シルヴィアは訳が分からないと言った表情をする。


「なあ...。お前、何で俺の部屋に来た?」


いよいよシルヴィアは顔をしかめた。彼は一体何の話をしているのか。


「何でって...君が呼んだんじゃないか...。」

足を組み直しながら答える。


「そういう事じゃない。.....俺がお前に好意を持っている事は、もう充分過ぎる程伝えた筈だよな?」


「......そう、だね.....。」


「それで....、俺は男で、お前は女だ。....これの意味は分かるよな?」


「.....リヴァイ。何を言っているんだ....?」



リヴァイはゆっくりとこちらに視線を寄越した。空気が固く強張って行くのを感じる。



「......俺なら、平気だと....危険は無いとでも、思ったのか?」



リヴァイとシルヴィアは互いの瞳をじっと見つめ合った。黒と白。相反する二つの色彩が交錯する。

無音にも関わらず、青く燃える様な鼓動が部屋中に木霊するのを感じた。



その時、湯が沸いた事を知らせる甲高い音が辺りに響いた。



まずシルヴィアが動く。

入口に向かって弾かれた様に走り出した彼女を追いかけようとリヴァイも椅子を蹴って立ち上がる。それは鈍い音を立てて床に倒れた。

彼女は素早さだけはリヴァイと同等である。二人の距離は今はまだ開いている、早く外に出なくては、

シルヴィアの腕をリヴァイの掌が掴もうとするが、それを払いのけると彼が蹌踉ける気配がした、これで時間が稼げる、

扉の傍にかかっていた鍵を取り上げて鍵穴に差し込む、...こういう時に限って何故...!私は震えて...恐怖しているのか、初めて見た彼に...うまく鍵穴に鍵が入らずガチャガチャとそのまわりを、っ


――――足に鋭い痛みが走った。


同時に....全身を殴打される激しい苦しみ、吐き気が胸元からせり上がり、思わず咳き込んだ。



「俺を嘗めているのか...?」

体の上から...声がする。


......未だに全身殴打の苦しみから解放されないシルヴィアは、ひゅうと細い息を繰り返した。

そして、床に倒れている自分に覆い被さる様に跨がって睨み下ろしてくる男を、眉をしかめて眺めた。


簡単に足払いを食らうとは....。余程自分は動揺していたらしい。


「諦めるとでも思ったのか?....たかが一度拒否された位で?」

彼の瞳孔は完全に開き切っていた。そう言いながら胸ぐらを掴まれて顔を寄せられる。


「勝手に終らせるんじゃねえよ...!」

シャツを締め上げる力が強くなり、また咳き込みそうになった。


「お前が今、どういう立場にいるのか...嫌という程思い知らせてやるよ...!!」


押し殺した様に叫ばれた後、持ち上げられていた体がゆっくりと床に戻される。それに合わせて彼の体も沈み込んだ。



....掌を絡めて、強い力で床に縫い留めた。

黒いタイを...両手はシルヴィアを抑えている為に自由が効かないので、噛み千切る様に取り払う。

彼女の腕をひとつに纏め、自由になった右手で生真面目に首まで締められた襟元に手をかけた。



「リヴァイ」



......名前を呼ばれた。


はた、とそれを見下ろす。瞳と瞳が今初めて、合わさった様な...そんな気持ちがした。


息を呑む。....一点の曇りも無い....硝子の様に透明な瞳だった。



「君だって、こんな形は望んでいないだろう」



....いつ切れたのだろう。赤い血を流す唇から、言葉が零れ出る。


床に広がった銀色の髪がランプの光の中で、一本一本が生命を受けている様に柔らかく畝っていた。


やはり、綺麗な瞳だった。....何年も前からずっと...子供の様に穢れ無い。



........そして、我に返った。



震え始めた掌を、ゆっくりと彼女から離す。


シルヴィアは自由になった手をそろりと伸ばして、....頬を撫でた。


切なそうに目を細めた後、首に腕を回して、自分へと抱き寄せる。

首筋に顔を埋めると、いつもの...心地良い香りがふわりとした。



しばらく.....二人はそのままで過ごした。



...シルヴィアの体を初めて温かいと感じる。

体中の力が抜け、気遣いも忘れ....それに全てを預けてしまった。



「リヴァイ....」



また....名前を呼ばれる。



「いつか...言おう。必ず言おう。私の真実を...」



シルヴィアはリヴァイをしっかりと抱き締めた。強い力だ...。...痛い。本当に、痛い。


「ごめん....。」


耳元で囁かれる。...叫ぶ様に痛切に。



「本当に、ごめんなさい.....。」



血液と共に流れ落ちたその言葉は、いつまでも静まり帰った部屋に残響して......消える事は無かった。



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