◇ リヴァイと夕暮れの空、霙の夜 跋編
「シルヴィアさん、また前みたいに頻繁に来て下さいよ。」
別れ際にエレンが言う。
シルヴィアは淡く笑って、「....ん、出来る限りそうするよ。」と応えた。
「じゃあ、また。」
そう言ってまた頭を撫でると、とても嬉しそうにする。
この子は出会った時から随分と変わって...優しい表情をしてくれる様になった。
....けれど....これから、且つての事件よりもっと辛い目に合うだろう。
その時に、一緒に過ごした時間を思い出して....君の拠り所にしてくれたら嬉しい。....とても。
「シルヴィアさん」
扉の取手に手をかけた時に、後ろから呼びかけられた。
振り返ると、少し照れた様に目を晒される。
「あの....何か、悩みとかあったら...オレで良ければ、話...聞きますよ」
「........。」
シルヴィアは....少しの間、眼前の少年を眺めていた。
それから目を細めて...「大丈夫だよ」と穏やかに言う。
......どうやら、想像以上に自分は分かりやすいらしい。
おやすみ、エレン...と呟く様に言って部屋を後にする。
何かを言いかける声が背中の方から聞こえた。...聞こえないふりをした。
.....優しい子だ。
ありがとう。
いつも君が私にくれる愛情が、どれだけ嬉しかったか分かるかい?
......いずれ君は私を忘れる。自由の翼を背負い、未来へ向かって加速していく。
けれど....その時が訪れても、私は君の事を思っているよ。....どんな時でも、ね。
*
長い階段を昇り、地下から地上階へと出る。
(おや....)
湿った臭いがした。
窓へと視線を向けると、案の定雨が....違うな、これは霙かな...が静かに暗い空から流れ落ちていた。
(参ったな...)
傘は持ち合わせていない。....誰かに借りて行くか...?
いや、此処に訪れる事はもう滅多にないだろう。....恐らく返却は難しい。
(.....走るか)
厄介な事になったとぶつくさ考えながら冷えきった廊下を歩く。
石で出来た廊下をブーツが叩く音が耳障りな程響いた。
.....冷たい空気が流れて来る。
この角を曲がれば入口の扉が見える.....。
シルヴィアは、やがて我が身に降り注ぐ冷たい霙の感触を思ってひどく憂鬱になりながらも、曲がり角に差し掛かった。
「え........」
しかし....思考は中断する。
中断せざるを得なかった。
「......何故」
小さな呟きが口から漏れる。
それは凍てついた空気の中、白い水蒸気へと変化した。
「.....送って行く。」
扉近くの柱にもたれながら、リヴァイはこちらを見る事なく言葉を発する。手中には錆鼠色の傘があった。
しばらく、辺りは静寂に包まれる。
シルヴィアは目を伏せて、唇を弱く噛んだ。
「いや....構わないよ。....これ位なら「シルヴィア」
静かに...しかしよく響く声で名を呼ばれた。
視線がこちらに向けられたのが気配で分かる。シルヴィアは顔を上げる事ができなかった。
「俺もそっちへ用事がある。ついでだ...。」
リヴァイがこちらに近寄ってくるのが衣擦れと靴音で分かった。
何も出来ずに固まっていると、腕をぐいと引かれて、そのまま歩き出す。
「行くぞ」
.....低く、優しい声だ。
昔から変わらない。私は...君の声が好きだった。
.....逆らう事が出来ずに、されるがままになる。
やがて歩幅が揃い、リヴァイとシルヴィアは隣り合う形になった。
.....扉を開くと、刺す様な寒さが全身を包む。
リヴァイが傘を開いたので、シルヴィアは大人しくそれに入った。
二人は無言のまま、霙が泥水に姿を変えた道へとぐしゃりと踏み出す。
.....古城をぐるりと囲っている濡れた樹々の梢からは土の香りをがした。
涙を代弁する様に冷たい氷は振っている。すぐに手の感覚が無くなった。
しかし...触れ合う肩口は対照的に微かな熱を持ち、それが互いを思う気持ちを確かに伝えていた。
*
.....愛されなくても愛したかった。
だが、それすらも許されなかった。
手が届かないと分かると、余計に愛しくなって、溜まらなく愛しくて....
そして、愛されたくなってしまう。
.....これの繰り返しだ。
「リヴァイ」
シルヴィアの声で我に返る。
「何処へ行くんだ。公舎の正門はそちらではないよ」
俺にも、何処へ行きたいのかさっぱり分からなかった。
「リヴァイ、聞こえないのか...?」
自分が何をしたいかも全く分からなかった。
「ここで...大丈夫だよ。ありがとう。」
ただ、同じ傘の下で過ごすこの時が...降りしきる霙に閉ざされて永遠になれば良いと思った。
....これだけは、確かな望みだった。
「.....俺の部屋に来い。」
自分の言葉に、シルヴィアの体が強張るのを感じる。
「エレンの今後について話がある....。」
そう呟けば緊張はやや緩んだ。
「.....あまり人に聞かれたくない。悪いが同行してくれ。」
しばらく....傘の上に霙がびしゃりとぶつかる音だけが周りを囲っていた。
シルヴィアは火の点いた街灯の光りの下で、沈丁花が雨に打たれているのを見つめている。
「......分かった。」
小さな声が零される。それは霙の水音の間を縫ってよく響いた。
「聞こう。」
二人の視線がようやく交わる。彼女は淡く微笑んでいた。
....そして再び歩き出す。なるべく....ゆっくりと。
今が、少しでも長く続く様に....。
霙はぼたりぼたりと公舎の向こうの林の上にも降り注いでいる。
おりおり杉の梢を揺り動かして行く微かな風が、真っ黒なそこを消えるように通りすぎた。
.......お前に叩き壊された俺の想いは、未だに耳障りな程に時を刻み続けている。
それは聞いてしまってからも、身体の中に音そのままの形で残るような音だった。
....想うだけなら自由だ。
しかし、口にした途端それは呪いとなる。
それはこの世で最も残酷な呪詛の言葉だ。
俺にとっても....、お前にとっても。
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