銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイと夕暮れの空、霙の夜 後編

「シルヴィア副長」

シルヴィアが古城に訪れた際、ペトラが少し驚いた様な表情で迎えてくれた。

「あの...今、リヴァイ兵長は留守で....それで、」

「うん、知っているよ。....だから、これを君に預ける。彼に渡しておいてくれないか....」

書類をペトラの手の中に持たせると、彼女は淡く笑って立ち去ろうとする。


(あ.....)


ペトラは、先程の逃がすなというリヴァイの言葉と....痛切な表情を思い出す。


(このままでは....駄目。貴方は絶対に後悔する....!)


「あの...!シルヴィア副長...!」

遠ざかる背中に言葉をかける。そこまで大きな声ではなかった。しかし、叫ぶ様な響きがあった。


「.......どうしたの」

シルヴィアが振り返る。その姿はやはり美しい。....しかし人間味が欠けており、まるで良く出来た工芸品を眺めている気分になった。


「せ、折角久しぶりにいらしたんですから....お茶のひとつでも....御馳走させて頂けませんか...」

消え入りそうな声で持ちかけた。

シルヴィアとペトラはしばらくの間見つめ合う。

......それから、彼女は微笑んで「.....うん。そうしようかな」とこちらにゆっくりと戻って来た。


――――


「本当に久しぶりだなあ...」
前は週に一回は来てたのにね、とシルヴィアは紅茶の入った白いカップをソーサーに戻す。

「あの...何故、急にいらっしゃらなくなったのですか...?」

彼女の向かいに座っていたペトラが尋ねた。

....どうにか、私が...この人を、リヴァイ兵長が戻られるまでここに留めなければ...


「.....うーん、そうだね..」

シルヴィアは少し考える様に、窓の向こうで茜色の光線を吐き始めた陽と、その向こうに見える毒でも飲んだ様に徐々に紫になる空を眺めた。

「ちょっと忙しかったからね...」

視線をこちらに戻す事は無くそう答える。

「....そう、ですか」

それだけ言うと、ペトラは口を噤む。返す言葉が見当たらなかったのだ。


....室内の冷たい空気に沈黙が落ちて来た。


凍てついた窓硝子から淡紅の影が差し込む。茶色く渇いた草ばかりの原の上には、夕暮れに染められ、固く凍てついた雪が果てまで続いていた。


「リヴァイ兵長の気持ち....私、知っています。」

ペトラの微かな声がする方へ、シルヴィアは視線を向ける。二人は互いの瞳の中をじっと見つめ合った。

「副長も...知っている筈ですよね...?」

.......シルヴィアは黙っている。ペトラはそれを肯定の意思と受け取る。

「じゃあ、どうして....」

彼女の言葉に、シルヴィアは目を伏せた。長い睫毛が濡れた様に光っている。


「何で、駄目なんですか....」


ぽたり、と雫の様な言葉が流れ落ちる。シルヴィアは何も言わず、それに耳を傾けていた。


「.......駄目じゃないよ。」

しばらくして、シルヴィアはひどく落ち着いた声で応える。

「リヴァイは素晴らしい人だ。仕事の上でも、人間としても...」

瞳はどこか遠くを見つめていた。その視線の上を一匹の羽虫が行ったり来たりしている。

「強く、独善的に見えてとても優しく、私のおせっかいをいつも受け入れてくれて....彼との出会いに、私がどんなに救われた事か...」

唇がゆっくりと弧を描いた。....彼女の体の中で唯一の色彩を持つ、薄紅の唇が。


「私はリヴァイの事がとても大切だ。」

シルヴィアはそう言ってペトラへと視線を戻す。


「けれど....リヴァイが私を大切に思う必要は無い。」

....その瞳は確かにこちらを見ているが...銀灰の虹彩の中、真っ黒い瞳孔に写って脳裏に印される形は、恐らく自分ではない。



「そろそろ...帰るよ。」

ご馳走様、と言いながらシルヴィアは席を立つ。

固まっていたペトラはハッと我に返った。


いけない....、このままでは....


「あの、副長...!エレンが、貴方に会えなくてとても寂しがっています...。どうか、彼の所へ寄ってあげて下さい....」

お時間があれば...ですが...と遠慮がちに言えば、シルヴィアは快く「いいよ」と承諾する。

その返答にペトラはほっとした。


......兵長、早く、早く帰って来て下さい...

そうしないと、この人はまた、何処かへ行ってしまいます...!


「エレンは地下の自室にいます...。」
緊張を隠しながら発言する。

「うん、分かったよ。」
.....じゃあ、行ってくるね、と言ってシルヴィアは歩き出した。

そして入口の重い扉を開けながら、振り返って「ありがとう」と微笑んでみせる。


扉が閉まり......しばらくして、階段を降りるコツ、コツという音が遠くで聞こえた。


ペトラはそっと目を伏せて...先程彼女が使用していたカップを見つめる。


....それから、窓の外へ視線を移した。


大地は...未だ氷に覆われたままだ。


...春は、まだ...遠い。



―――――



「.....客でも来てたのか」


聞き慣れた声にペトラの意識は急浮上する。

振り返ると、テーブルの上の空になったカップに視線を寄越しているリヴァイの姿があった。


「リ、リヴァイ兵長....!」

「......?どうした」

ペトラの普通では無い動揺の仕方に、リヴァイは訝しそうにする。


「.....今....シルヴィア副長が....」


それは端的な言葉であった。しかし、リヴァイの心を揺さぶるには充分だった。


「いつ....何故だ、今はどこに居る....」

ペトラへの距離を詰めて問う。声色はいつもと同じだったか、胸の内の焦燥が挙動に滲み出ていた。


「今さっき、地下のエレンの部屋に向かい....あ、」


言葉が終わる前にリヴァイは弾かれた様に走り出す。

重い扉をまるで紙で出来ているかの様に簡単に開け、荒々しい足音を響かせて出て行ってしまった。


ペトラは....ひとつ、溜め息を吐いた。

それから、開け放しになっていた入口を閉める。重たい扉はぎいと音を立てた。その音をじっと聞いていた。



......どうか、二人が幸せになれます様に。


そんなありきたりの言葉しか思い付かないけれど....


いつ命を落とすか分からない私たちだからこそ、せめて...生きている間だけでも....どうか、



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