銀色の水平線 | ナノ
◇ 冬の花火 中編

「君等が来てくれたらきっとエレンも喜ぶよ。」


シルヴィアは優しく笑いながら二人に話しかけた。息が真っ白で、如何に今の気温が低いのかが分かる。


....少し前に、同じ様に三人でこの道を辿った。時間帯が違うだけで、何だか知らない風景を見ているみたいだ。


「エレンは夜しか自由に動けないからなあ。彼のお陰で私は夜の娯楽にちょっと詳しくなったぞ?」


その口ぶりから察するに、エレンとシルヴィア副長は...幾度となく夜に、古城を抜け出して二人の時間を過ごしてきたのだろう。


「....貴方は、エレンの事...贔屓し過ぎだと思います。」

ミカサがぼそりと言った。赤いマフラーで表情を隠す様にしながら。

「普通...副団長という、責任ある立場の人間が一人の新入りの兵士にここまで入れ込んで...面倒を見るものでしょうか。.....それは、不公平ではありませんか。」

アルミンには....ミカサの心が非常に複雑な貌を描いているのが分かった。

勿論...エレンが一歩先を歩く美しい上官と非常に仲が良い事をよく思わない心がまずあって...その下をもうひとつの、認めたく無い気持ちが静かに流れているのだろう。


「.....エレンだけじゃないよ。
例の...トロスト区の戦いを経験した104期の兵士とはじっくり話し合う機会を全員に設けている。....それが私の仕事でもあるから。」

シルヴィアは後ろを振り返りながら言う。色素の薄い身体がぴんと張りつめた空気の中で霞んで行く様だ。


「....でも、そうだね。特にエレンは...他の兵士より多く構っているかもしれない。」

その言葉にミカサの掌は胸元でぎゅっと握られる。


「....何故なら彼は調査兵団にとって大切な存在だし...人類の希望になり得るから....」

呟く様な...そして平坦な声だった。


「というのは建前で...」

彼女は独り言の様に言葉を紡ぐ。


「私は気に入らないんだよ....。
何だあの子は..今でこそ少しはまともになったが初対面の時の言葉は『調査兵団に入ってとにかく巨人をぶっ殺したいです』だぞ?
それからも口を開けば駆逐、駆逐と....。世の中全部が敵だと言う様に怖い顔をいつもして...。」

まったく、と眉をひそめ、白い息を吐く。晴れ切った冬の夜空にそれは消えて行った。


「....世界には楽しい事や綺麗な事...素敵な事が、残酷な事と同じ位沢山あるのに...。
怒りや悲しみで自らの目を塞いでしまうのはすごく勿体ない事だと思うなあ。」

その中では白熱する火の粉のような星が或は消え或は現われて美しい現象を呈している。


「エレンは究極の死に急ぎ野郎で究極の生き急ぎ野郎だ。見ていてこっちがいたたまれなくなる。
私は気付いて、大切にしてもらいたいんだよ。いろんなものを....。」

そこまで言った後に、シルヴィアはハッと気付いた様にこちらを見てから微かに頬を染めた。


「やだな...どうも年を取ると話が長くなる....」

恥ずかしいなあ、と照れくさそうに笑いかける姿を見て、ミカサは再び掌を胸の辺りで小さく握る。



......心の何処かがきゅっと痛む。

エレンはもう15才で...大人とは言えないけれど一人で生きていける年齢なのに...貴方はまるで、小さな子供のお母さんの様な顔をしている。普段はむしろ自分の方が子供みたいなのに。

この胸の痛みはなんだろう。エレンを取られて..悔しい?悲しい?...それとも、切ない?

どれも少し違う。.....きっとエレンも、関係無い。


......ひどく、懐かしいのだ。泣きたいくらいに.....。







地下にあるエレンの部屋を尋ねると....まず、副長の姿を確認してその表情は柔らかになった。


....きっと彼女は動かしたのだ。5年前の悲劇のままカチリと凍てついていた、エレンの時間を。


そして....その後ろにアルミンと私の姿を確認すると、その顔は大いに綻んだ。


彼女の言う通り...私たちが来た事でエレンは喜んでくれた。


.....良かった。...一緒にあの家で過ごした時は戻らないけれど、新しい幸せはきっと見つける事はできる。


そして....私も、傍らでそれを見届ける事ができるのなら....



「ミカサ」


低すぎず、高すぎない声が私を現実に呼び戻す。


.....もう、エレンとアルミンは冷たい廊下を歩き出していた。


「二人に置いて行かれてしまうよ。」


手が差し出されている。白い手。まるで、胡粉の様に無機的で...繊細な色。


握ると、冷たい。.....母さんの手は、もっと暖かだった。けれど...同じ様に優しくて、しっとりとしていた。


「行こう」


手を引かれて歩く。もう何年ぶりの感覚だろうか。かつて、私にこうしてくれた人は...もういない。


....二人の母さん。大切な思い出。


私は、忘れない。


そして今夜....こうして繋がっていた事、右手の先の冷たくて暖かい存在の事もまた...忘れないだろう。


ふと、そんな予感がした。なんとなく、だけれど.....。







「冬の花火なんて珍しいですね」
アルミンが呟いた。

外に出ると冷たい空気が再び身体に突き刺さる。暦の上では春だなんて、まるで信じられない。

「知らなかったのかな?毎年この時期にやるんだよ。....最も、雪が多い季節だから具体的な日付は決まってないけれど。」

シルヴィアはぽんぽんとアルミンの頭を軽く撫でながら応える。


「毎年...一人で見てたんだ。だから、今年は一緒に見てくれる人がいて、凄く嬉しい...!」

彼女の幸せそうな笑顔に、三人は穏やかな気持ちになった。


ふと、エレンがじっとミカサの事を眺めた。ミカサは少し頬を赤らめて「どうしたのエレン」と尋ねる。

「.....いや、お前...手なんか繋いじゃって随分シルヴィアさんと仲良くなったんだなーって。」

そこでミカサはハッと、未だに自分は彼女と手を繋いだままだった事に気付いた。

「こっ、これは違う...!偶々手が重なっていただけでっ...」

急いでその手を振りほどく。シルヴィアはそれを微笑ましく思いながら眺めていた。


「何笑っているのエレン...!本当なんだから...」

「....いや、お前がオレ達以外の人間と仲良くやってる姿なんて見た事なかったからさ...」

ちょっと嬉しいんだよ、と優しく笑うエレンに...ミカサは口を噤むしかなかった。かわいすぎる。


「いいのいいの。皆仲良しって事で良いじゃないか。」

ね、とシルヴィアは三人に笑いかけながら一歩前に出た。銀色の髪がふわりと揺れる。


それからしばらく四人で取り留めの無い話をしながら歩く。

シルヴィアはあまり会話に参加せず、三人の話に軽く相槌を打つだけだった。

しかし、時たま質問に答えるその横顔は穏やかで優しく...綺麗だった。


それを眺めながらアルミンは...この人は、本当の年齢はいくつなのだろうか、と考える。

リヴァイ兵長より年上だと言うから、三十路は越えている筈だ。


けれど、まるで年齢を感じさせない。

何処かで....ぴたりと時が止まってしまっている様だ。


自分よりも年が下なんじゃないかと思う位聞き分けの無い時、若者の様に生気に満ちている時、艶やかな色香を漂わす時、老成を感じさせる程落ち着いている時....

色々な顔があるけれど、どれも真実ではない気がする。


......その根底には、何があるのか。



暗い道の左手には溪の向こうを夜空を横切って、爬虫の背の様に公舎の尾根が延々としている。

黒ぐろとした杉林がパノラマのように廻って行手を深い闇で包んでしまっている。

その前景のなかへ、右手からも杉山が傾きかかる。この山に沿って道がゆく。

けれど不思議と不安な心持ちはしなかった。

かつて三人で夜道を探検した、あの時間に似た高揚、そこには二度と戻れない切なさ、色々な事が胸を過って....幸せな気持ちで満たされていたから。



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