銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイと夕暮れの空、霙の夜 前編

「シルヴィアさん....最近来ませんねえ...」

エレンが机に頬杖をつきながらハア、と溜め息を吐いた。

「そうだな...。前は一週間に一度位は必ずひやかしにやってきたのに」
あの人ってほんと暇だよなあ...とエルドは書類に目を落としながら呟く。

「....珍しく忙しいのかもしれないわ。ほら...いつも仕事が溜まり過ぎると執務室に軟禁されるじゃない?」
ペトラはそれぞれに紅茶を給しながら苦笑いした。

「それにしても来なさ過ぎですよ...もうひと月ですよ?」
遂に机に突っ伏してしまったエレンが言う。

「もしかしたら出張してるのかもしれないな。副長の仕事は社交関係が多いから...」
グンタがしゃんとしろ、とエレンの姿勢を正した。

「だから内地には彼女のファンが結構いるのよね。」

「....あの人はなあ...こう、外面だけはさいっこうだからなあ...」
溜め息を吐きながらオルオが言う。何かを思い出してしまった様だ。

「よく見合いも申し込まれているしな...」

「あの年でか?」

「あの年でだ。」


「おい」


グンタとエルドが少し可笑しそうにしていた時、低い声が室内に響いた。


「あいつの話はするな」

それだけ言うとリヴァイは再び地図に目を落として何かを書き込み始める。


明らかに不機嫌そうである。....重たい雰囲気が辺りに立ちこめた。


「.....でも、やっぱりシルヴィアさんに会えないのは寂しいですよー」

しかしエレンが何事も無い様に会話を再会させる。どうやら彼に耳はついていないらしい。

リヴァイのペンを握る指先はぴくりと震え、グンタがエレンの頭に拳骨を落とした。



「あ、あの....」

殺伐とした空気の中、恐る恐ると言う様にペトラが声を発する。リヴァイ以外全員が彼女の方を向いた。


「........失礼になるかもしれませんが......副長と、何かあったんですか?」

少しの逡巡の末、彼女は声を発する。

リヴァイは地図から目線を上げずに何かを書き込み続けていた。

静寂が場を支配する。リヴァイの眉間に刻まれた皺を見て、ペトラは自分の発言を後悔していた。


「ああ、喧嘩したんですか?」

そしてエレンの空気の読めなささである。ある意味凄い。最早恐怖すら覚える。


「大丈夫ですよ、リヴァイ兵長」

凍り付いた場の雰囲気とは対照的にエレンは朗らかに笑った。

「シルヴィアさん凄く優しいから...きっとすぐ仲直りできると思います。」

そう言って彼は少し照れ臭そうにする。その暖かな表情に、居合わせた人々の緊張は少し解れた。....唯一人を除いては。


「エレンは本当にシルヴィア副長が好きなのね。」

ペトラが微笑みながら優しく言った。

「.....はい、大好きです。」

恥じらいながらも...けれどはっきりとエレンは応える。

微笑ましい所作に、何とも言えないこそばゆい気持ちが全員の胸の内に起こった。....唯一人を除いては。



リヴァイは広げていた書類と地図を片してがたりと席を立った。

「.....リヴァイ兵長、どちらに?」

「そろそろ支度をしてくる。」

ペトラの質問に答えながら入口へと歩き出す。....もうこの場に居たく無かった。

「ああ、貴族の懇親会に招待されているんですよね。お帰りはいつになりますか?」

「.....夕方から夜の何処かだ。明日にはならない。」

「分かりました。その様に心得ておきます。」

「おい...お前等、」

入口をぎいと開いた所でリヴァイは後ろを振り返る。

「もし俺の留守中に...あの調子こいたババアが来たら、絶対に逃がすな。枷をはめてでも拘束しとけ。」

瞳孔が開いた状態で凄む様に一言そう告げると、荒々しく扉を閉めて出て行ってしまった。



「.....痴情のもつれだな」

リヴァイがいなくなってから、開口一番そう言ったオルオの頭をペトラがページ数述べ3074のお掃除大全の角で殴った。

「まあ...仲が悪いのはいつもの事だが...今回は格別だな。」
エルドが少し心配そうに言う。

「どうせあの人がなんかしたんだろう...。」
俺は時々兵長が可哀想になるよ、とグンタが溜め息を吐いた。

「でも...シルヴィア副長の嫌がらせなんて日常茶飯事でしょう?あそこまで機嫌が悪いのは変よ...」

「リヴァイ兵長の機嫌が悪いのはいつもの事ですよ?」

「その原因を作っているのはほぼお前とシルヴィア副長なんだがな...」

「だが、副長も根っからの性悪では無いからな...。ここまで兵長を怒らせる事をするとは思えないんだが...」
エルドは思案する様に腕を組んで天井を見つめた。

「....逆にリヴァイ兵長の方がなんかしたんじゃねえの?」
それで副長が怒って気まずくなってるとか、と仮死状態から復活したオルオが呟く。

「.......兵長が?一体何をしたんだ」

「さあ、そこまでは分からん」


(.........あ)

全員が首をひねる中、唯一女性のペトラだけはオルオの発言をヒントに何となく事態を察してしまった。


(でも....それじゃあ、あんまりに...)


掌をきゅっと胸の辺りで握る。

話題が別の事に移りつつある中、彼女の胸の中にだけは石の様に固く重たいものが降りてきた。


.....私は、リヴァイ兵長もシルヴィア副長も好きだから...二人共が幸せになる事を望むのだけれど...



....上手くいかないのだろうか....。


副長....何故なんですか...







シルヴィアが...ぱたりと古城に姿を現さなくなった。

公舎に訪れる際も全く会う事は無い。....俺の事を頑なに避けていやがる。


.....前と、同じだ。


分かっている。こうなる事は充分過ぎる程分かっていた。

策も略も無く想いを吐き出せば、再びこれを繰り返してしまうと....


だが....止める事はできなかった。

気持ちを口に出した途端、それは形を手に入れより深く、重く、体の中に根を張って行く。


本当に、いつからここまで想いが強くなってしまったのだろう。

顔、髪、指先、瞳、どれかひとつを思い出すだけでも胸の内が引き千切られる様に痛む。


.....諦め切れる訳が無い。

お前が俺の言葉に応えるまで何度でも言ってやると伝えた筈だ。

....簡単に逃げ切れると思うなよ。

俺は、....



「エレンは本当にシルヴィア副長が好きなのね。」


「.....はい、大好きです。」



ふと、頭の中を過った声に....しばらく、古城に据えられた仮の自室の中空を見つめて静止していた。


それから...体の内から息が詰まる様な痛みが去来する。

左右の手を握りしめてゆっくりと机の上に置いた。少しの静寂、...後、勢い良く振りかぶって同じ場所に叩き付ける。

残響が部屋に木霊した。木の机は軋み、ばきりと嫌な音が何処かでする。


.........あいつは、俺だ!!


かつて、俺が注がれていた眼差しと同じものを受けている。

部屋に頻繁に尋ねて来て無駄話をするのも、妙な所に連れ出しては楽しそうに笑うのも、

紅茶を淹れてやればその濃さについて殴り合いに発展しそうな議論をし、菓子を作っては見せびらかす様に差し入れをされ、

仕事の愚痴をだらだらと喋る奴の向こう脛を蹴飛ばし、部屋の掃除を手伝わせては更に汚されて腹が立った、

俺が周りに打ち解けられる様に奴なりに根回しをし、いつでも俺への嫌がらせを嬉しそうに全力で考え、辛い時には....傍にいてくれた。


......そして、俺も奴の事が好きだった。


ずっとずっと、好きで...ただ好きで....



.....シルヴィアはそういう奴なのだ。

孤独な人間を放っておけなくて、誰にでも....惜しみなく優しい。

.....俺も、その...大勢の中の一人に過ぎない。

決して特別な訳ではないのだ.....。



そして、ひとつ....けれど決定的なエレンとの違いを挙げれば...想いを行動に移したか否かだろう...。

俺は臆病だった。気持ちを成就できなかった時の事を考えては立ち止まり...


『恋人は居ないよ。これからも作るつもりはない』

『だって死んでしまったら悲しいじゃないか』


その、たった一回の会話が、俺を何年もの間滞らせ続けていた。


....きっと当時は...奴も、そこまで頑なでは無かった筈だ。

もし、俺があの時もう少し勇気を出して気持ちを伝えていれば...ここまで...拗れる事は無かったのかもしれない....


....愛されなくても良い。せめて愛させて欲しい。

それなのに、何故.....


それすらも、許してもらえないのだろうか....



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